2017年07月22日

伊藤ゴロー『アーキテクト・ジョビン』インタヴュー(「ラティーナ」8月号)

7月21日に発行された「ラティーナ」8月号に、7月5日にトム・ジョビンのインストゥルメンタル曲を集めた『アーキテクト・ジョビン』を発売した伊藤ゴローさんのインタヴュー記事が掲載されています。ぜひお読みいただき、『アーキテクト・ジョビン』をお聴きいただくサブテキストにしていただければと思います。
インタヴューを始める前に伊藤ゴローさんに、「細かいことを訊いて書いても良いですか? それとも読者にはそういう情報のない状態でこのCDを聴いて欲しいですか?」と質問したところ、「これはある程度解説を必要とするアルバムだと思うので」とのことでした。それではと、一曲一曲について意図や料理方法や聴きどころをしつこく訊いて、いくつもの「種明かし」を書かせていただくことができました。丁寧にオープンに答えてくれた伊藤ゴローさんに感謝します。
話題は伊藤ゴローさんが昨年訪問したというトム・ジョビンの別荘ポッソ・フンドの話に。ジョアン・ジルベルトの『愛と微笑みと花』のリハーサルをしたところ、トムが「三月の水」を初めとする70年代の名曲のインスピレイションを得たところです。その土地を訪ねたことは伊藤ゴローさんにとってとても意味があることで、この『アーキテクト・ジョビン』を製作する下地と言うか根幹になっているようでした。
トムの曲をクラシック音楽的にアレンジしたアルバムとしては、ホベルト・ミンチャックが中心になった『ジョビン・シンフォニコ』のプロジェクト――フルオーケストラが中心になっています――と、あとはギターのアルバムが何枚かありますが、この『アーキテクト・ジョビン』はストリングスのカルテットとギターとピアノという室内楽的編成で、こういう取り組みは世界でも初めてではないかと思います。しかしまったく違和感のない、自然で美しくて正統的な作品に仕上げられているのは、トムの曲がもともと持っているクラシック音楽的な要素や構造を、伊藤ゴローさんが独自の解釈で丁寧に再構築した成果ではないかと思います。伊藤ゴローさんもまた巧みなアーキテクト(建築家)だった……取材と執筆を終えて数週間が経って、そのことに気が付きました。
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2017年04月23日

ヘレン・メリル Farewell SAYONARA Concerts

4月22日(土)、ブルーノート東京の最終日のセカンドステージ――すなわちこの国における最後の最後のライヴを聴いた。
ヘレン・メリルは、老いていた。力は衰えていたし、輝きは失われていた。音程も、声量も、不安定なところがあった。でも、それでも、サーヴィス精神を発揮して、とても楽しい、感動的なステージを見せてくれた。心に残る歌を聴かせてくれた。
この淋しさをどう言えば良いのだろう? 1人の歌手が、高齢(86歳)を理由に、引退する。かつてあれほど可憐で、瑞々しかった歌手が、すっかり変わってしまって、目の前にいる。そして一生懸命に、最後のステージを務めている。僕はとても良いライヴを観たと思う。
最後は全員総立ちで、ヘレンを送り出す。ちょうど座っていた席が良くて、ヘレンは僕の手も握ってくれた。彼女がいなくなったあとも、しばらく立ち去りがたくて、そこから動けなかった。ちょっと呆然としてしまった。
一夜明けた今も、まだ呆然としている。もしかして彼女が戻ってくるのではないかと、心のどこかで思っている。

セットリスト
(トリオ2曲)
イット・ドント・ミーン・ア・シング
アム・アイ・ブルー
サマータイム
オータム・リーヴス
アイ・ガット・イット・バッド(エンド・ザット・エイント・グッド)
(トリオ1曲)
ピープル・セイ・ウィアー・イン・ラヴ
マイ・ファニー・ヴァレンタイン
バイ・バイ・ブラックバード
ジー・ベイビー・エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー
オール・オヴ・ミー
ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
アンコール:スワンダフル
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2016年12月30日

サラヴァ、ピエール・バルー、サラヴァ

ピエール・バルー……。ライヴは数回見た。言葉を交わしたのは一度。僕がトム・ジョビンの本を書いたと言うと、「ああ、彼とは友達だった……。ヴィニシウスとも、バーデンとも、みんなみんな友達だった。一緒に演奏したものだ。ずっと昔のことだ……」と懐かしがっていた。それで本を送ったのだった。もっとちゃんと話したかった。一緒に何かしたかった。伝手があったのだが、まだ時期ではないと思っていた……。
あまり知られていないことだが、彼は大のラグビーファンで、7人制の国際大会を主催したり、ラグビーチームの自主映画を製作したりしている。2019年のラグビーワールドカップでジャパンとフランスが対戦したら隣で一緒に観たい人だった……。
ただただ残念。惜しい。哀しい。ご冥福をお祈りします。世界はまた少し淋しくなってしまった。
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2016年09月12日

ジョアン・ジルベルトから13年

9.11。あれから15年。ということは、ジョアン・ジルベルトの初来日初公演から13年。初日のあの「本当に現われるのか?」から、「こんばんは」という完璧な日本語から、1曲目の「僕は家には帰らない」から、めくるめく次から次へのボサノヴァの名曲の「実演」から、13年。いろいろなことが遠くなってしまった……。

2016年08月06日

リオオリンピック開会式

僕にとってのハイライトは、「サンバ・ド・アヴィアォン」が流れていると思ったら、ダニエル・ジョビンが出てきて「ガロータ・ヂ・イパネマ」を歌い始めたシーンだった。トムのポートレイトがあんなに大きく……。そしてスーパーモデルのジゼル・ブンチェン(エロイーザ役だが水着ではない)の足元にオスカー・ニーマイヤーの曲線が現われては消える……。
そうなんだよね。この曲は、根っからの女好きで、中年に差し掛かっていたトムとヴィニシウスの女性賛歌なんだよね。基本的にエッチな歌なんだ。ヴィニシウスの最初の歌詞には「bunda」という語があったとかなかったとか、そんな話があったよね。
そしてここはマラカナン。どうしても思い出すのは、この隣のマラカナンジーニョで開かれたフェスティヴァルで、トムとシコの「サビアー」に不当なブーイングが浴びせられたという出来事。1968年のことだと思うから、48年前だ。ほぼ50年後のマラカナンの「ガロータ・ヂ・イパネマ」の大合唱。朝から泣いてしまった。

2016年04月08日

エドゥとヴィニシウス、トムとエドゥ

東京の2セットを聴いた。素晴らしかった。今もからだの中にその音が残っている。エドゥ、この国に来てくれてありがとう。あなたの音楽を今僕たちに聴かせてくれてありがとう。
バンドも最高だった。メンバーが発表された時、「これでピアノがクリストヴァオンだったらなあ」なんて言ってすみませんでした。このメンバーで最高でした。ファーストとセカンドでは、圧倒的にセカンドが良かった。サウンドがものすごく柔らかくなっていた。
あまり伝えられていないことだが、エドゥは10年ほど前に大病をしている。死の淵から戻ってきたと言っていた。神の手(手術を担当した医師)に助けられたと言っていた。それであなたの音楽に取り組む姿勢は変わった?と訊いたら、変わっていないと言っていた。今は楽譜を読みながらクラシックを聴いていると言っていた。何だかその話はわかる気がする。
あと、エドゥは録音が少ないと思われているけれど、まあ、自己名義のアルバムは少ないのだけれど、キャリアの間ずっと絶え間なく猛烈に仕事をしてきた人だ。そのことも紹介しないといけない……。
ヴィニシウス、トム、エドゥ。それが僕の愛するメインストリーム。本当にこのタイミングでエドゥを聴くことができて、こんなに幸せなことはなかった。この来日のためにご尽力された皆さん、本当にありがとうございました。一生忘れられない夜になりました。
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2014年12月09日

トム・ジョビン没後20年

今日12月8日は、トム・ジョビンの20回目の命日。トムが亡くなって、今日でちょうど20年になります。
僕は没後10年の2009年12月8日には「愛と微笑みと花」を上梓することができたのですが、あれからずっとさぼりっぱなしで、今日までに何も間に合わせることができませんでした。せいぜい旧知のジョビンマニアの一人のところに行ってグラスを傾けるくらい……。
10年前に危惧していたように、世界もすっかり「トムがいない日々」に慣れてしまった感があります。ブラジルも。日本も。僕自身もそうです。
しかし急いで何かの答えを出すことはしないで、もう少し成り行きを見守って、トムのことは思い続けて、やるべきことをやっていこうという気持ちはあります。
こんなに多くのものを受け取ったのですから。トムが僕の人生を決めてしまったのですから。
そうだなあ。まだまだずっと先、10年以上先ですが、生誕100年は、盛大にやりたいですね。
今から同志を募りましょうか。
Tom, Sem Você, Só Tinha De Ser Com Você.

BGM「Don't ever go away」(英語版)
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2014年07月20日

ドリヴァル・カイミとボサノヴァ(1)

今日――もう昨日ですが――発売の「ラティーナ」8月号に久し振りに原稿を掲載していただきました。
テーマは、「カイミとボサノヴァ」。「ボサノヴァ」という特集記事の中で、4ページをいただいています。
ドリヴァル・カイミとボサノヴァの関係について以前から深く考えていたわけではないのですが、テーマを提案していただいて、いろいろと文献を探しているうちに、一冊の書籍に行き当たりました。「Caymmi e a Bossa Nova」。著者はステラ・カイミ。ドリヴァル・カイミの夫人のステラではなくて、彼の孫、ナナ・カイミの娘のステラです。
この書籍の論説をベースとして、ドリヴァル・カイミがボサノヴァに与えた影響を考察してみたのですが、文字数がぎりぎりで思うように記述できなかった部分もあります(それは僕の力量が不足しているからですが)。また、結果的に一度書いた原稿を半分近く圧縮して掲載することになりました。
それでしばらくこのブログに「補稿」を書き留めていきたいと思います。もっともっと紹介したかった切り口やエピソードがあるので。時間の制約もあるのでどこまでできるかわかりませんが。

いちばん大きな疑問は、「ドリヴァル・カイミってそんなに大きな影響をボサノヴァに与えているのか?」という問題です。
何しろ、シコ・ブアルキが次のように言っているくらいなのですから。
「革命的なムーヴメントだったから、ボサノヴァはたくさんのものを否定した。ノエルを、アタウルフォ・アルヴィスを……、ブラジル音楽の巨匠たちを否定した。でもカイミは否定できなかった」

*続きます(たぶん)。

2014年04月12日

引っ越しそれからボブ・ディラン

*ご覧の通りで、引っ越しました。今まで使っていたLOVELOGがサーヴィスを停止するというので、仕方なく、誘導されるままこちらに移転してきました。ここで不都合があればほかのところに移ろうと思います。不都合がなければここにしばらくいます。
全然新しい記事を書いていなかったこのブログですが、もうちょっと命脈は保ち続けていこうと思っています。自分の近況を報告する代わりに、昨日行ってきたライヴの報告をします。


昨夜(もう一昨日ですが)、ボブ・ディランの東京公演最終日に行ってきました。
僕はディランの熱心なファンとは言えません。1980年くらいまでのアルバムは全部聴いているのですが、そのあとは全然聴いていませんでしたし、持っていたアルバムも全部売ってしまいました。78年の日本初公演はFMで生放送を聴いていたことを覚えていますが、自分ではライヴに行ったことはなくて、昨夜が初めてでした。と言うよりも、まさか自分がディランのライヴを体験できる日が来るとは思っていませんでした。

でも一昨日のライヴはとても良かったです。シャープで、包容力のある、最高の音楽でした。感想を残しておきたいのですが、今の僕にはまとまった感想を整理する時間はとてもないので、感じたこと、思ったこと、考えたことを、メモ程度だけ書き殴っておきたいと思います。

知っていた曲は4曲でした。ファーストセットの2曲目の「シー・ビロングス・トゥ・ミー」、同最後から2曲目の「タングルド・アップ・イン・ブルー(ブルーにこんがらがって)」、セカンドセットの2曲目の「シンプル・トゥウィスト・オヴ・フェイト(運命のひとひねり)」、アンコール1曲目の「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー(見張塔からずっと)」、同2曲目で全体のラストの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド(風に吹かれて)」。でも、それらの曲も、アレンジもディランの歌い方もオリジナルと全然違うので、曲名を歌う1番の最後になって「あ、やはりあの曲だ!」と気が付くのでした。「風に吹かれて」などは、ちょっとセルフパロディのような感じもしたくらいです。

僕の知らない曲もとても良かったです。大半の曲にスティールギターが入るので、アレンジはルーツ・ミュージックと言うか昔一時期ライ・クーダーがやろうとしていた音楽を思い出すのですが、先に書いたように、シャープでいながら柔らかくて、懐古調なのにポジティヴな、そういうサウンドでした。それに何よりも、全員うまいことうまいこと。完全に魅了されました。

あと、ブルースを何曲も演奏したのですが、そのことに限らず、ボブ・ディランはブルースだったんだと強く認識しました。これは僕には大きな発見です。

バンドのメンバーは楽器を演奏するのみで、バックコーラスでハーモニーを付けることは全然しません。これはディランがやろうとしている音楽がそういう音楽なのだということだと思います。そしてそれは多くのポピュラーミュージックとは一線を画していると思います。

それと、これはディランの歌を聴いていて思ったのですが、二―ル・ヤングも、ブルース・スプリングスティーンも、トム・ウェイツも、みんなボブ・ディランから生まれたんだと思いました。あと思い出したのは、ジム・クロウチとポール・サイモンとデヴィッド・ボウイ(笑)。絶対に影響大きいって。それと一部は逆影響もあるのだと思います。

ディランはピアノは下手(笑)。でも彼がやりたいことはその時その時伝わってくるので別に良いのでしょう。ハーモニカは、反対に、シンプルでしたが、とても良かったです。

最近のアルバムを全然聴いていない僕にはこういうことを言う資格はないですが、ディランはやはり新作を聴かないといけないのだろうなあと思いました。実際に聴いてみようと思います。

でも、ディランが生で聴けてとても良かったです。いろいろ書きましたが、単純に「格好いい!」と思ったことも事実です。

良い夜でした。僕はこれから「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」を聴いて眠ります。
posted by naoki at 04:49| Comment(0) | ライヴ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月05日

I left my heart in

サンフランシスコにいる。

この街に以前にあった「ブラジル」という店のことを知っている人・覚えている人、どこかにいませんか?

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2012年10月22日

快楽のピアニスト

*僕が引っ越しをする時にはいつも金木犀が香っている気がします。

5年前に初めてパリに行った時、アメデオ・モディリアーニやエディット・ピアフやジム・モリソンが眠っているペール・ラシェーズ墓地に行って、ショパンの墓もあるというのでショパンにもお参りして、さあ帰ろうかと歩き始めて数歩で足が止まった。ショパンの3つ隣の墓銘に目が止まったからだった。

Michel Petrucciani  1962〜1999

それは僕にはまったくの不意打ちで、パリの秋の青空を仰ぎ、立ち尽くすしかなかった。とてもゴージャスかつシンプルな大理石の墓石。そんな形で彼に再会するとは思ってもいなかった。

ミシェル・ペトルチアーニの生涯を描いたドキュメンタリー映画が上映されているというので今夜観に行ってきた。邦題は「情熱のピアニズム」。「1984」を撮ったマイケル・ラドフォードが監督をしている。

映画そのものは、特別な工夫があるわけではなく、彼の人生を淡々と綴ったもので、それほど良くできているとは思わない。新しい発見も多くはない。しかしペトルチアーニの人生があまりにも圧倒的なので、そういう作り方が功を奏しているとも言える。余計な装飾がないことは称賛すべきことなのかもしれない。

そう、圧倒的。僕はペトルチアーニの演奏を生で聴いたことは一度しかない。そしてその時の感想がまさしくそれだった。ペトルチアーニの演奏は、何と評して良いのか、当時の僕にはわからなかった。ただただその迫力に圧倒されただけだった。

ミシェル・ペトルチアーニのことを語るのはとても難しい。どうしても話が彼の障害に関することにいってしまうからだ。そしてそれは、多くの場合、彼が最も嫌ったに違いないレッテル貼りとかカテゴリー分けとかに繋がってしまうからだ。

ただ、ペトルチアーニのピアノのからっとした明るさのことは書いておきたい。彼のピアノには彼の内面の葛藤が入り込んでいない。聴き手が当然想像するであろう、あの障害から彼が受けたに違いない苦痛や苦悩の痕跡が見当たらない。彼の音楽は純粋に音楽的な音楽で、そのスリルは純粋に音楽的なスリルで、そのエモーションは純粋に音楽的なエモーションだ。それが彼のピアノの特徴と言えば特徴だと思う。

そしてその鍵は映画の終盤でだんだん明らかになってくる。ペトルチアーニ本人が「僕が苦しんでいると言えれば良いんだけど、言えないんだよね。全然苦しんでいないんだから」という意味のことを言うシーンがある。これがこの映画のいちばんのハイライトだ。

その発言には多分に誇張もあるに違いない。でも僕はそれこそ彼が言いたかったことなのだと受け取りたい。

ペトルチアーニは、女性を抱いたりドラッグを吸ったりするのと同じようにピアノを弾いたのだ。ペトルチアーニにとってピアノは最高の快楽の一つだったのだ。彼はそれが気持ちが良いからピアノを弾いたのである。

これも映画の終盤で、彼を良く知る登場人物の証言の中で、印象に残った言葉が、「オプティミスティック」と「ヴァイタリティ」だった。それもまた上記のことと符合している。能天気にして元気。周囲の心配や困惑をものともせずに。それで彼はあれだけ女性にももてたのだ。

だからこの映画のテーマを言葉にするとすれば、「彼は、生きた」ということになると思う。それが彼のピアノの正しい聴き方--などというものがあるとしての話だが--ではないかと思う。

ミシェル・ペトルチアーニ。「1980〜90年代のジャズ・シーンで唯一何かを成し遂げた男」(ジョン・アバークロンビー)。うん、そう思う。あの実りの少なかった時代にジャズを聴いていた者の一人として、彼と同時代に生きたことは最大かつ最高の幸福だ。

*冒頭に書いたように、映画の最後の日本語の字幕は間違っています。画面の説明は「à côté de」だったと思うけれど、その仏語は必ずしも「隣」のことではないからね。パリに墓参りに行こうと思っている人がいたら要注意です。

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2012年10月18日

ブラジル映画祭

*久し振りに書き込みます。

金曜日にブラジル映画祭に行ってきた。プレスの試写会にも行けなくて、結局東京の最終日に。以下、「三月の水」的な今回の音楽映画二本の覚え書き。

「エリス・レジーナ〜ブラジル史上最高の歌手」はDVDも以前に出ているが、日本語の字幕がありがたくて。歌も演奏も素晴らしいのだが――ピアノ:セザル・カマルゴ・マリアーノ、ベース:ルイザォン・マイア、ドラムス:パウリーニョ・ブラガの演奏がまた格別の味わいだ――それと同じくらいにエリスの独り語りに釘付けにさせられる。生々しいと言うよりも、痛々しいという感じ。いくつか印象に残ったことを。

エリスはアゴスティーニョ・ドス・サントスのことを話して「太陽の道Estrada do sol」を歌い始める(セザルのピアノのイントロが絶妙)。歌い終わったあとにもアゴスティーニョがここにいるようだと、彼のためにこの曲を歌ったのだと言っている。エリスにとってはこの曲はアゴスティーニョの歌なのだということがわかる。

アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ヂ・アルメイダ・ジョビン(エリスは「アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ジョビン」と言っていたと思う)については、「三月の水Águas de março」を録音した時のことを回想し、彼は何でも知っている、本当に何でも知っているのだとしきりに言っている。それで彼のことが嫌いな人も尊敬せざるを得なくなってしまうのだと微妙なことを言っている。また、「彼はスリランカのヒット曲まで知っている」と言っているのがおかしい。トムはそんなふうなことを言って周囲を煙に巻く人だったと思うのだが、エリスは本気にしたのだろうか?

シコと最初に会った時には、友人に紹介されてシコが曲を持ってきて、シコが数曲を披露したのに、あまりにも喋らないものだから、エリスは自分が嫌われていると思ったと、それで自分はシコの曲を録音しなかったと、それをナラが録音して大ヒットしたと言っている。そのあとエリスは大ヒットした「アトラス・ダ・ポルタAtrás da porta」を歌うが、結局エリスが録音したシコの曲はこの曲だけだっただろうか?

いちばん深刻に思えるのはエドゥの話。エドゥには本当に感謝している、自分が今日あるのはエドゥのおかげだと言って、しかしあることが起こってエドゥからの連絡は途絶えてしまったとエリスは告白している。そのことについては多くは言えないと言いながら、誤解が生じてしまっていることを仄めかして、「いつかエドゥとワンダと私と私の家族とセザルとでそのことについて話し合わなければ」と言っている。だから男女の問題であることは容易に想像がつく。なお、このシーンのあとでエリスはシロ・モンテイロともいろいろあったと言ってシロを懐かしんでいる。

もう一本の「バイアォンに愛を込めて」は、ウンベルト・テイシェイラの人生を実の娘のリリオ・フェヘイラが追い掛けていくドキュメンタリー。とても個人的な映画だが、とても良い映画だ。

映画の中盤でクルービ・ダ・シャーヴィのエビソードが出てくるところがあるのだが、その直前に映った店の看板が「フィオレンチーナ」だったと思う。これはニュウトン・メンドンサの陸軍学校の同級生がオーナーだった店で、ニュウトンの伝記に店名が何度も出てくる店だ。もしかしたら違う店かもしれないが、もしあの「フィオレンチーナ」だったら、今度リオに行ったら訪ねてみたいものだ。

あと、この映画のアシスタント・プロデューサーをアナ・ジョビンが担当していることが最後のクレジットでわかった。ほかにも2つくらいのスタッフを兼任しているようだった。もともと写真家なのだから、いろいろと活躍しているのであれば嬉しい。
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2012年03月31日

冷たい水

周辺のいろいろなことが「イン・チューン」している。
今まで気が付かなかっただけかもしれないけれど。

石巻。東日本大震災1年の取材。
その人は唐突に「三月の水なものですから」と言った。
「三月の海水」ではなく、「春先の水」でもなく。
地震の時間は仙台の「岩切」にいた人だ。
そしてそれは水の冷たさの話だった……。

トムはそれを「北半球では雪どけの水」と知っていて、自分で英詞を書いたのだ。
ラテン派生語を一語も使わないで。良くそんなことができたものだと思うが。
だからそれは意味のあることだ。「Waters of March」なのだから。
「三月の雨」ではないのだ。今さらそんなことを言わないで欲しい。

東北へは もう何度も行きましたね
君の住む 美し宮古……

まだまだやらなければならないことがたくさんある。

以上。
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2011年06月19日

67年前の6月19日という時代

 1944年6月19日、セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダの夫人、マリア・アメーリア・セザーリオ・アルヴィンは、リオデジャネイロのカテーテのサンセバスチャオン産院に向かうその時に、空気中に何らかの違和感を、一種のオプティミズムのようなものを予感した。それはまた、周囲の人々が彼女に重大な出来事を隠しているという感覚でもあった。

 マリア・アメーリアの直観は正しかった。家族たちが彼女に隠していたのは、6月6日の連合国軍の「Dデイ」ことノルマンディ上陸作戦の成功だった。周囲の人間はそのニュースが彼女を興奮させて出産に差し障りが生じることを懸念したのだ。フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダは、そのような時代の気分、大戦の終結への希望と新しい時代の前兆の中でこの世界に生を受けた。

 シコ・ブアルキの人生と作品を考える上で、このことは極めて重要な意味を持っていると思う。シコの作品を特徴づけているいくつかの性質、過剰なまでのオプティミズム、徹底して弱者の立場に立ったまなざし、青臭いくらいの理想主義・平和主義・民主主義などなどは、シコが生まれた時代が「そういう時代だった」ことと深く深く関係しているように思えるのだ。

 人間は、この世界に産み落とされて最初に吸い込んだ「時代の空気」に性質や人格を大きく左右されるというのが僕の持論だ。例えば、僕のスリークッションくらいの知り合いの中に、今回の大震災の直後に福島県で子供を産んだ女性がいる。僕にはどうしてもその子供が人間の生命や生きること・死ぬことに対する感受性が人一倍強い人間に育つのではないかと思えてしまう。あるいはそれは第三者の勝手な願いなのかもしれないけれど、「この時代に生まれた」という事実は、占星術や血液型の何倍もその彼の人間形成に大きな影響を与えるような気がしてしまう。

 ちなみに僕が生まれたのは東京オリンピックの約1ヶ月後の土曜日の朝。僕もまたどうしようもないくらいのオプティミストであり、また、他人から何と言われようと青臭い理想主義を追い掛けてどうにかこうにか生きてきている。

 まあそれはともかくとして、今日はシコ・ブアルキの67回目の誕生日。もうそういう歳なんだなあ。地球の裏側からフェリース・アニヴェルサリオ!

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2011年05月13日

東北の名前のない海岸とヴィラ・ロボス

「何をしている?」と知人からEメール。「仕事をしている」とEメールを返信する。この2ヶ月間はちょっとばかり仕事をしている。僕はもともと起きている時間には、仕事をしているか、飲酒をしているか、その両方を同時にしているかという人間だが、この2ヶ月間は眠っている時間をちょっと削って仕事をしている。目の前にするべき仕事があるからだ。

4月の1週目以降、東北には何度行っただろう? 4日間掛けて福島県から岩手県まで走って、そのあとにいわきに行って、それから仙台に行った。今週も月曜日にまたいわきに行って、水曜日にまた仙台に行った。来週の火曜日は盛岡だ。それは今の東北にこれが自分の仕事だと思える仕事があるからだ。

おそらく、今の僕の仕事は、大変な困難を乗り越えて前を向いて生きている人たちの言葉を伝えることだと思っているので、そういう取材の仕事がメイン。でも、取材から取材へと車を走らせていると、ほとんど不意打ちに近い形で、津波で甚大な被害を受けた地域のど真ん中に足を踏み入れてしまっていることがある。最初は何が何だかわからなかった。ただ呆然とするしかなかった。哀しいとか淋しいとかいう気持ちとは違う。どちらかと言うと静かな気持ちだ。あるいは無感覚に近いものだ。どんな言葉も当てはまらない。非常に特殊な感情だ。今でも良くわからない。ああいう光景に当てはまる的確な言葉など、どのような悲劇を背負った民族にも持ち合わせはないと思う。

4月の初めに4日間掛けて東北を縦断した時に、ほんの2、3枚だけCDを持って行っていたのだが、その中の1枚がホベルト・ミンチャックのヴィラ・ロボス「ブラジル風バッハ」だった。津波で一面何もなくなってしまった荒野に、ヴィラ・ロボスは怖ろしいくらいに溶けて流れていった。ヴィラ・ロボスはまるで今日のこの情景を想定してこの曲を書いたのではないかと思えるくらいだった。なるほどそういうことだったのかと僕は思った。

津波の被害が大きかったある海岸で車を降りてみた。そこには音がない。まったく音がしない。そういう状況を今の東京で想像できるだろうか? でも、音楽を愛している人間はそういう状況を想像してみるべきだ。それは音楽の歓びと裏表のところにある光景だ。あるいは「紙一重」の状況と言うべきかもしれない。僕はそこから、そういう荒野の真ん中から、自分が愛する音楽を聴いていきたいと改めて思った。

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2011年04月03日

レッド・ガーランド「スプリング・ウィル・ビー・ア・リトル・レイト・ディス・イヤーSpring Will Be a Little Late This Year」

井の頭公園の近くに住んでいると、1年の節目は正月よりもむしろ桜の季節で、この季節を迎えてようやく去年のことが整理できて今年のことが計画できるというところがある。ただし今年は公園中に「宴会の自粛のお願い」の貼り紙が貼られていて、人出はとても少ない。まあまだ三分咲きくらいということも一因ではある。しかし「自粛をお願いします」という日本語はどうだろう? 「自粛」というのは自ら慎むということだ。「宴会は慎んで下さい」とどうして書かないのだろう? その是非はともかくとして。

今日の昼間はレッド・ガーランドを聴いていた。レッド・ガーランドのトリオ・アルバムの中で人気盤を挙げるとすれば、この国ではおそらくは、(1)『グルーヴィーGroovy』、(2)『レッド・ガーランズ・ピアノRed Garland’s Piano』、(3)『アット・ザ・プレリュードAt the Prelude』の3枚が上位に来るに違いない。少なくとも20年前はそうだった。どれも良いアルバムだと思う。

けれども僕の選択はまったく異なっていて、(1)『オール・カインズ・オヴ・ウェザーAll Kinds of Weather』、(2)『ホェン・ゼア・アー・グレイ・スカイズWhen There Are Grey Skies』、(3)『ブライト・アンド・ブリージィーBright and Breezy』ということになってしまう。なぜか? その話はいずれまた。まあ要するに愛着ということなのだが。

それにしても、『オール・カインズ・オヴ・ウェザーAll Kinds of Weather』の魅力は筆舌に尽くし難い。A面冒頭で突然に夕立を降らせて(「Rain」)、真夏の南部の眠りに誘い(「Summeretime」)、今度は嵐に閉じ込める(「Stormy Weather」)。B面は春が来るとか来ないとかの季節に始まって(「Spring Will Be a Little Late This Year」)、いきなりクリスマスに連れて行き(「Winter Wonderland」)、秋の美を端正に歌って締め括る(「‘Tis Autumn」)。レッド・ガーランドは一定したリラックスを保ちながら演奏していて、「カクテル・ピアニスト」(この場合は「誉め」言葉だ)の面目躍如といったところ。僕はこのアルバムを聴き込まなかったらレッド・ガーランドというピアニストのことを表面的にしか捉えていなかったと思う。ジャズをあまり聴き込んでいない人(=頭の柔らかい人)にこそお薦めしたい1枚だ。

この日、僕たちは夕方から井の頭公園を歩いて、それからハーモニカ横丁へ。吉祥寺仲間の武田和命さんの奥さんがいる店に行ってちょっとだけ飲む。僕たちは時々彼女の顔を見に行ってはちょっとだけ喋ってワインを飲むことにしている。良い1日。でも心は晴れない。

東京はずいぶん暖かくなった。東北はどうだろう。今年の春はちょっと遅いかもしれない。でも、春は来る。どのような形であれ。それで「スプリング・ウィル・ビー・ア・リトル・レイト・ディス・イヤーSpring Will Be a Little Late This Year」。来週は東北に行く。

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2011年03月28日

ベヴァリー・ケリー「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユーI'm glad there is you」

先週は関西にいた。昼間の仕事で阪神大震災の教訓を取材するためだ。しかし神戸の人も大阪の人も口を揃えて言っていた。今回の東北大震災は神戸の時とは比べ物にならないと。規模が違うし、性質が違うと。いつもそうだ。僕たちは学ぶことができるようでいて学べない。経験が生かせるようでいて生かせない。これから起こることに対してほとんど無防備だ。素手で立ち向かっていくしかない。

親族・知人の安否はだいたい確認することができて、うちの会社の福島県の分室の社員も家族を含めて全員無事だった。でも、言葉少ない報告の中に、苦労と心配と恐怖とが滲み出ている。もちろん原発の問題も含めて。僕たちにできることはほとんど何もない。でも来週くらいには会いに行かなくてはと思っている。

羽田空港で週刊誌を立ち読みしていたら、ビートたけしが喋っていることが今の僕の気持ちにとても近かった。「何万人が亡くなった」という見方をしていると、今回のこの震災の本当のところは見えてこない。僕にとっていちばん印象深かった場面の一つは、TVのニュースが映し出していた、日本大使館に献花に来ていたドイツの女性だ。「娘を亡くしたという母親の話をTVで見て、ただただ泣きました」と彼女は言っていた。

その関西の取材で、昼食にうなぎ屋に連れて行ってもらった。ずいぶん高級そうな店だった。でも、申し訳ないのだが、僕にはそのうなぎは美味しくなかった。つい今まで人の生きるとか死ぬとかの話しをしていたのだ。

「消費しなさい」という話は、「自粛しなさい」という話と表裏の話のように思える。人間というのはそういうものではない。哀しむ時には人から言われなくても哀しむし、楽しむ時には人から言われなくても楽しむものだ。どうしてそのことがわからないのかが不思議だ。

その店でたまたま流れていたのが、僕の最愛の女性ヴォーカル、ベヴァリー・ケリーだった。しかもこの曲が流れるなんて。「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユーI'm glad there is you」。ピアノはパット・モラン、ベースはスコット・ラファロ。この曲を毎日のように聴いていた日々を思い出す。とりあえずは自分の隣にいる人を大切にしよう。僕たちに今できることはそのくらいしかない。

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2011年03月19日

トム・ジョビン「三月の水Aguas de março」

3月18日

学生時代に寝袋を担いであちこちを放浪していたこともあって、日本中どの土地に対してもそれなりの想いはある。けれども東北の太平洋岸のあの一帯は、日本の宝と言うか、原風景と言うか、本当に美しいところだった。釜石、宮古、大船渡、気仙沼。当時いただいた数々の親切を――「今夜泊まって行けよ」「味噌汁一杯飲んで行けよ」――今思い出して噛み締めている。

東北を襲った大地震・大津波から1週間。1週間前のあの時間にいた北関東のある街に、今日もたまたまいた。それにしても、この1週間で、この国の様相は一変してしまった。

うちのきょうだいは4分の3の確率で東北出身者と結婚しているので、そのこともあって、今回は「今まだ誰それと連絡が取れない」という話が周辺にいくつかある。それでなおさらことの深刻さを実感している。

以前に奥尻島に行った時に、大津波のあとに建てられた防波堤の高さに、人々の哀しみの深さを感じて絶句したものだった。では今回はどのくらいの高さの防波堤を建てれば良いのだろう?

今この大地震・大津波から教訓を導き出すのは性急のように思う。もう少しこのことを考えて思って感じていかなくては。

今日の帰りの車の中ではトム・ジョビンの『マチータ・ペレーMatita Perê』を聴いていた。「三月の水Aguas de março」という曲のタイトルは、こういうことが起きてしまった今となっては、大いなる皮肉のように響いてしまう。けれどもトム・ジョビンは自然の美しさと同時に怖ろしさをも知っていたひとだ。それらのすべてをひっくるめて世界とか宇宙とかを賛美していたひとだ。

そしてもちろん人間もその世界や宇宙を構成する因子の一つである。

今夜テレビのニュースで取り上げられていた、息子を亡くした父親の言葉に胸を打たれた。それが今の僕の心境にいちばん近い言葉でもある。

「残された自分たちが一生懸命生きていくことが供養なんだ」。

*今回の東北の大地震・大津波で被災された皆様のために心から祈ります。

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2011年03月02日

アストラッド・ジルベルト「ユー・ディドント・ハフ・トゥ・ビー・ソー・ナイスYou did’nt have to be so nice」

3月1日

 昼間月刊誌の仕事をしているので、毎月末に責了が終わると非常に解放感を感じる。特に2月という月は厄介な月で、年末年始の特別進行が落ち着いてきたかなというところで気が付いたら3日足りないという月なので、ほっとする感じはひとしおだ。かと思うと週間の仕事の締め切りが残っていたり、別の月刊誌の仕事が待っていたりするのだが、とりあえず今日のところは解放感。夕方に渋谷で相方と会って……でも結局は自宅でおでん。それでも解放感。

 おでんをつまみながら日曜日の日本選手権の決勝の録画を初めてちゃんと観る。三洋電機対サントリー。シーズンの締め括りを飾るにふさわしい好ゲーム。僕たちはクライストチャーチのためにオールブラックのジャージで観戦。ひたすら攻め続けて三洋の防御網を突破したサントリーは見事。三洋は、新日鉄釜石と神戸製鋼以来の四連覇は成らなかった。4年も勝ち続けるのはやはり難しいのだ。トニー・ブラウンはこれで最後だろうか? サントリーでは、テストマッチ139キャップのジョージ・グレーガンがこのゲームで引退。いろいろな感慨のあるゲーム。

 夜中に思い出し仕事(思い出し笑いのようなもの)のために起き出して、ビールを飲みながらパソコンを叩いてアストラッド・ジルベルトの『ビーチ・サンバBeach samba』を聴く。このアルバムにはラヴィン・スプーンフルの名曲「ユー・ディドント・ハフ・トゥ・ビー・ソー・ナイスYou did’nt have to be so nice」が入っている。今から30年くらい前、たまたま聴いていたラジオの番組に出ていた松任谷由美が、「守ってあげたい」という曲を書いたのはこの曲が好きだったからだと、「You did’nt have to be so nice」というフレーズで曲を作ろうとしているうちにそれが「You don’t have to worry」になったのだと話していた。アストラッド・ジルベルトの話をする時にこの曲の話をする人はまずいないので、実は僕もこれ気に入っていたんだよなと、ユーミンにちょっと親近感を持ったことを思い出す。

 3月。人々が去来するシーズン。「You did’nt have to be so nice」というのは、「そんなに良くしてくれなくても良かったのに」という感じだろうか? この曲をジョージ・グレーガンとトニー・ブラウンに。
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2011年02月20日

2月19日の1曲「夜明けFim de Noite」シコ・フェイトーザ

 朝7時起床。パソコンを開いてグーグルのトップページで今日がブランクーシの誕生日であることを知る。パリのポンビドゥの敷地の一角に再現されているブランクーシのアトリエを思い出す。あれは僕のような人間にとっては一つの理想の空間だ。仕事に必要なのは静謐と太陽光線だなあと思う。

 ラグビー日本選手権準決勝。三洋電機対東芝。秩父宮ラグビー場。14時キックオフ。前半29分までに東芝が3トライを奪って21対3とリード。しかし三洋は田邉の3つのPGで点差を縮め、後半に入ると霜村のトライとコリニアシのトライで同点。さらに北川が2つのトライを取って33対21で逆転勝利。間違いなく今シーズンのベストゲーム。三洋の4つのトライは――特にホラニ・コリニアシのノーホイッスルトライは長く記憶に残ることになるだろう。興奮した。

 その熱を冷ますためにラグビー場に近接した酒場に入ると観戦仲間もいて、ちょいと一杯のつもりが止まらなくなってしまう。居合わせた三洋ファンの女性たちとラグビー談議に花が咲いて実が生って。帰りは深夜。相方と二人でくたくたになって、もう深酒はやめようと誓い合う。

 今日の曲は上記の行動とは何の関係もないのだけれど、夜明けに目が覚めて掛けたのがシコ・フェイトーザだったので。この『シコ・フィン・ヂ・ノイチChico Fim de Noite』はボサノヴァを聴いてきたことの幸せをしみじみと噛み締めさせてくれる一枚だ。
posted by naoki at 05:04| Comment(0) | 今日の1曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする