2005年01月31日

「カンシオネイロ・ジョビン」

最近ちょくちょく紹介している「カンシオネイロ・ジョビンCancioneiro Jobim」について紹介します。

「ジョビン・ミュージック」が2000年に発行した、トム・ジョビンの伝記と楽譜で構成された美しい本です。貴重な写真もたくさん掲載されていて、デザインも美しく、とてもしっかりとした造りの貴重な資料です。

実はこれには二種類ありまして、伝記と楽譜に分けた二分冊と、年代別に区切った五分冊とがあります。で、僕はその両方を持っているのです。と言うのも、最初に二分冊の方をある人に頼んでいたのですが、一向に音沙汰がないのでそのうちに諦めてしまい、五分冊の方を自分で購入したら、その直後に二分冊の方も届いたのでした。安いものではないので結構痛かったのですが、確認しなかった僕が悪いので、泣く泣く両方本棚に並べました。

で、どう見ても分量の多い五分冊の方のページを捲っていたら、その「ビオグラフィア」に掲載されているエピソードの中に日本では紹介されていないものがずいぶんあったので、「これは面白いぞ」と思ったのが始まりでした。それでその中から興味深いものをピックアップして、簡単にまとめ直して、「三月の水 アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック」で紹介しました。同書に掲載した「トム・ジョビン語録」の大半も、この「カンシオネイロ・ジョビン」から拾い集めたものです。

ところが、最近になって気が付いたのです。トム・ジョビンの「伝記」に関しては、二分冊の方が充実しているのです。二分冊に掲載されていて五分冊ではカットされているエピソードがいくつもあるのです。これはもったいないことをしたなあと思って、そのいくつかを要約して、このブログで紹介している……そういう次第です。

では、この「カンシオネイロ・ジョビン」を入手するとしたら五分冊ではなくて二分冊の方が良いのかという問題ですが、これがそう単純ではないのです。なぜならば、楽譜に関しては圧倒的に五分冊の方が充実しているからです。二分冊の収録曲数42曲に対して、五分冊の収録曲数はなんと合計222曲にのぼるのです(1巻64曲、2巻67曲、3巻27曲、4巻32曲、5巻32曲)。

だからどちらを買うべきかというのは一概に言えないわけです。その人の用途によるのですね。

今となってはああいう形で両方とも買っておいて良かったと、ちょっと思っています。自分の意志では絶対に両方は買わなかったでしょうから。

2005年01月30日

ルイザォンさんの冥福をお祈りします

先週『エリス&トム』を紹介したと思ったら、ルイザォンさんが亡くなったのですね。仁さんのblogで知りました。ご冥福をお祈りいたします。

ある方から「今度会いに行こうよ」と誘われていたのに、そのままになってしまっていたことが悔やまれます。

月並みですが、本当にグルーヴィなベースでした。ブラジル国内のみならず、多くのフュージョン・ベーシストにも影響は絶大だったと思います。

今夜はエリスの何枚かのレコードを聴いて彼をしのぶことにします。
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2005年01月29日

こっちがラスト?

少し前にトム・ジョビンのラスト・レコーディングはルミアール社のアリ・バホーゾ作品集に入っている「ナ・バトゥカーダ・ダ・ヴィーダ」だと紹介したのですが(「カンシオネイロ・ジョビン」にはそう書いてある)、sombrasのディスコグラフィでは『Eugenia Melo e Castro canta Vinicius de Moraes』の「カンタ、カンタ・マイス」になっているんですよね。本当はどっちなんだろう?

エウジェニア・メーロ・イ・カストロはポルトガルの女優兼歌手で、この「カンタ、カンタ・マイス」はベスト盤の『Eugenia Melo e Castro .com』でも聴くことができます。実を言うと僕が持っているのもそれ。エウジェニアのヴォーカルはいくぶん優等生に過ぎるかもしれないけれど、なかなか見事な表現力です。トムはピアノとヴォーカルで参加。美女と仕事する時はいつもそうなんだけど、トムのご満悦の様子が伝わってきて楽しくなります。

2005年01月28日

「ボサノヴァ記念日」

 僕の「愛と微笑みと花」は、2004年12月8日、アントニオ・カルロス・ジョビンの10回目の命日という記念すべき日に世に送り出すことができました。偶然に偶然が重なって、どうにかこうにかその日に発行が間に合ったもので、非常に不思議な、ちょっと「導かれている」ような気分を味わっています。奥付の2004年12月8日という日付は、僕にとってはこれ以上考えられない、執筆の最大の褒美のようなものです。

 で、さあ、これからどうしようかなあと考えながら、今後数年間にやってくる「ボサノヴァ(などの)・アニヴァーサリー」を考えてみました。

 2005/3/17 エリス・レジーナ生誕60周年
 2005/7/9 ヴィニシウス没後25周年
 2006/6/10 ジョアン・ジルベルト75歳
 2006/12/17 シルヴィア・テリス没後40周年
 2007/1/25 トム・ジョビン生誕80周年
 2007/1/19 エリス・レジーナ没後25周年
 2007/8/7 カエターノ65歳

 と、まあ、こんなところでしょうか? エリスの誕生日はもうすぐですね。日本ではどういう企画が立てられるのでしょう? まだあまり聴かないですね。せっかくの60周年なのに、そんなに盛り上がらないのかな?

 個人的には、○○73周年とか、○○21周年とか、○○59周年とかいうのは、「全然周年じゃないじゃないか?」と思ってしまうのです。基本はディケイドで、さらにセンチュリーで、あと、半世紀、四半世紀、その次は5年単位だと思う。「39周年」なんて、あと1年待てよと思ってしまうのですよね。

 それとやはり気になるのは2008年7月10日。ジョアン・ジルベルトの「シェガ・ヂ・サウダーヂ」録音50周年です。果たしてこの日がボサノヴァ生誕50周年として大々的に祝われるのか? それともそれは「ボサノヴァ40周年」の時のように1957年を起点として考えられるのか? 僕はやはり「シェガ・ヂ・サウダーヂ」でいいと思いますけれどもね。

 あと、個人的には、2027年1月25日のトム・ジョビン生誕100周年を一つの目標に何かが作れたら、と思っています。そのくらいになれば僕もトム・ジョビンについて今よりもうちょっとまともなものが書けるようになっているんじゃないかなあと。なっているといいんだけどなあと。

 20年くらいの単位でやることがあってもいいと思うんですよね。
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2005年01月27日

エリス&トム 下

 エリスとトムの衝突の最大の原因は、トムがエレクトリック・ピアノに対する彼の毛嫌いを隠さなかったことにありました。

 エレクトリック・ピアノはいくつかのトラックで使われることになっていました。エリスはエレクトリック・ピアノをモダニティの最高の象徴と考えていたので、必死になってトムに抵抗しました。

 この件が落着するまでにはMGMスタジオにおいて数時間を費やし、ようやくすべてが解決しました。エリスとトムはお互いに完全に納得したのですが、結局、エレクトリック・ピアノは使われることになりました。折れたのはトムの方だったのです。

 トムは三つのトラック(「三月の水Águas de março」「別れのソネットSoneto de separação」「ばらに降る雨Chovendo na roseira」)でエリスとデュエット。「コルコヴァードCorcovado」でも最後の一節で小声で歌っています。このほか、「モヂーニャModinha」はこのレコードで唯一トムのアレンジを使用して録音されています。

『エリス&トムElis&Tom』とタイトルされたレコードは、リオとサンパウロではショウとともに発売されました。そのショウでトムはフルートまで演奏しました。

 トムは後年このレコーディングをこう振り返っています。

「僕は穴倉生活に慣れていたし、その上、そこから絶対に出るまいとしていた。アロイージオとマエストロのレオ・ペラッキは僕のことをとても良く知っていて、いつも僕を動かそうと、常に僕に付き纏っていたこの臆病さを捨てさせようと、僕に自分を表現させようとしていた。そしてついに、エリスと共同のLPを録音するという結論に達したんだ。それは簡単なことではなかった。でも、それを可能にしたのは僕とエリスの間に生じた音楽的な親近関係だった。彼女が僕のレパートリーを僕よりも良く知っていたことを含めてだ。その録音では、エリスは僕がすでに忘れていた編曲を覚えていたんだ。信じられないことにね」

 トムの晩年の活発な演奏旅行の源泉も、意外にこの『エリス&トム』にあったのかもしれません。

*参考文献「カンシオネイロ・ジョビン」

2005年01月25日

エリス&トム 上

 トム・ジョビンと他のミュージシャンとの共演作品の中で最も成功したものの一つが『エリス&トム』であることは、多くの人が認めるところだと思います。

 このアルバムの録音の経緯を、トムはこう振り返っています。

「それはホベルト・ヂ・オリヴェイラのアイディアだった。彼はある日ロサンゼルスの僕の家に電話してきた。エリス、アロイージオ・ヂ・オリヴェイラ、セーザル・カマルゴ・マリアーノのクインテットが、僕の曲のレコードを録音するために合衆国に向かっているって通告してきたんだ。最初に僕の心に浮かんだのは、空中の飛行機を停めて全員を引き返させることができればいいのにってことだった。でもその時には空港に彼らを迎えに行くしか方法はなかった。僕だって非社交的なわけじゃない。でも職業の領域では常に完璧主義者癖を持って行動している。アロイージオはそんなふうに突然到着したんだ。それにエリスはちょっと僕を怖がらせてもいたんだよ」

 一九七四年一月に、ポリグラム(かつてのフィリップス、現在のユニヴァーサル)の社長のアンドレ・ミダニは、トムにエリス・レジーナとのレコードを提案しました。エリスは歌手としてのキャリアの十周年を迎えていて、彼女の興行主のホベルト・ヂ・オリヴェイラは、レコード会社を説得して特別なLPでその年を記念することに成功しました。そのLPはロサンゼルスでアロイージオ・ヂ・オリヴェイラの監督のもとで制作されました。

 一月二十日に、エリス、アロイージオ、ピアニストでエリスの夫のセーザル・カマルゴ・マリアーノと彼のバンドのミュージシャンたち(ヴィオロニスタのエーリオ・ベルミーロ、ベーシストのルイザォン、ドラマーのパウリーニョ・ブラーガ)はカリフォルニアへと出発しました。続いて、数日後に、TVバンデイランテスに録音に関するドキュメンタリー番組の制作を承諾したホベルト・ヂ・オリヴェイラも到着しました。

 でももちろんレコーディングはそんなにすんなりとは進みませんでした。(続く)

2005年01月24日

ハッピー・バースデイ

昨日の「サウージ!サウダージ」で紹介していたように、1月25日はトムの78回目の誕生日。そこで今日はボサノヴァにゆかりの深い人たち30人の誕生日を書き出してみました。

ヴィニシウス・ヂ・モライス 1913/10/19
ドリヴァル・カイミ   1914/4/30
ルイス・ボンファ    1922/10/17
ビリー・ブランコ    1924/5/8
トム・ジョビン     1927/1/25
ニュウトン・メンドンサ 1927/2/14
ホナルド・ボスコリ   1928/10/28
ジョニー・アルフ    1929/5/19
ドロレス・ドゥラン   1930/6/7
ジョアン・ジルベルト  1931/6/10
ヴァルテル・ヴァンデルレイ 1932/5/12
ジョアン・ドナート   1934/8/17
シルヴィア・テリス  1934/8/27
カルロス・リラ    1935/5/11
アライヂ・コスタ   1935/12/8
マイーザ       1936/6/6
ルイス・エサ     1936/4/3
バーデン・パウエル  1937/8/6
ホベルト・メネスカル 1937/10/25
クラウデッチ・ソアレス 1937/10/31
アストラッド・ジルベルト 1940/3/30
セルジオ・メンデス    1941/2/11
ホヂーニャ・ヂ・ヴァレンサ 1941/7/30
ナラ・レオン       1942/1/19
エウミール・デオダート  1942/6/21
カエターノ・ヴェローゾ  1942/8/7
エドゥ・ロボ      1943/8/29
シコ・ブアルキ     1944/6/19
ワンダ・ヂ・サー    1944/7/1
エリス・レジーナ    1945/3/17

*出典はあちこちです。

*マイーザの誕生日を後日に修正しています。
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2005年01月22日

ジョアン・ジルベルトのリズム 感想

 ジョアンのヴィオラォンのリズムについて改めて考え直してみて、初期の三枚のレコードを時間を掛けて聴き直してみたのですが、今さらですけれど、唸るしかないですね。ほとんど呆気に取られます。何とも言いようがない。

 一つだけ言えることがあるとすれば、曲によってアプローチはかなり異なっているし、一つの曲の中でも表情が目まぐるしく変わり続けているということ。トムが言っているように、ケース・バイ・ケースなのですね。「ボサノヴァのリズム」って誰が決めたんだよと思ってしまう。

 もちろんこれを、基本は同じで、すべてはそのヴァリエーションなのだと言うことも可能だとは思いますけれど。

 それと、思うのですが、音符で表現できることと、できないことがあるような気がします。譜面では絶対に表現できない絶妙の間合いと強弱……タメとかノリとか……が、ジョアンのリズムの表情を決定的なものにしているような気がします。

 一言で言うと、当たり前過ぎるくらい当たり前のことですが、やはりシンコペーションなのだなあと強く思います。

 しかし「クリシェに陥らない」って、ここではとりあえずリズムにおいての話なのですよね。うーむ。

 これはほかのミュージシャンと共演できなくなるわけだ。

2005年01月20日

ジョアン・ジルベルトのリズム 下

*昨日の続きです。

 ジョアンはリズムにおいても歌詞との関連を重んじていた。繊細な歌詞の曲でドラマーが派手なリズムを叩くと、ジョアンはスタジオで突然演奏を中断した。「そうじゃない!」と彼は怒った。「僕の居場所はどこにあるんだ?」と問うた。ドラマーは音を抑えて演奏せざるを得なかった。けれどもそれはまさにボサノヴァの精神だった。

 トム・ジョビンはボサノヴァのリズムとジョアンについてこう言っている。「(ジョアンのバチーダは)のちにそうなってしまったような常に自己満足的な規格化されたバチーダではなかった。それはクリシェではなかった。クリシェに陥ったら、途端に誰の関心も引かなくなる。なぜならそこからどこにも行けなくなるからだ。ジョアンは絶対にそうではなかった。彼はケース・バイ・ケースだった。ハーモニーとメロディのリズム的な調和を持っていた」

 ジョアン・ジルベルトは、ヴァルテル・ガルシア(ジョアンについての著書「ビン・ボン」がある)の言う「リズムの原型の洗練された単純化」で、「ヴィオラォンとパーカッションがサンバのシンコペートをするための新しい形を創り出してきた。何年も継続した不断の追及ののちに」

2005年01月19日

ジョアン・ジルベルトのリズム 中

*昨日の続きです。

 ジョアン・ジルベルトは最初期のレコードにおいてドラマーの演奏にも干渉した。一つの小節に八つの十六分音符を演奏するサンバのタンボリンのバチーダを借用したのだった。「想いあふれて」ではジュキーニャ(ジュカ・ストックレル)に「片手にブラシを、片手にスティックを持つように」と命じた。ジュキーニャは、ブラシではタンボリンの十六分音符と同様に一小節に八つのピアニシモを叩き、最初の拍子の一つ目と四つ目と、次の拍子の三つ目と四つ目にアクセントを置いた。スティックでは三つのバチーダを叩いている。最初の拍子の二つの八分音符と、次の拍子の二つ目の十六分音符で、乾いた音を出すためにドラムの枠を叩いている。

 なお、コパカバーナのアパートメントでジョアンと同居していたグァラニは、そのバチーダをカイシェッタで演奏している。(続く)

2005年01月18日

ジョアン・ジルベルトのリズム 上

*スタート以来のアクセス数が昨日1月17日で3万5千を超えました。

*ずいぶん前に「ズーザ・オーメン・ヂ・メーロ著「ジョアン・ジルベルト」(2001年/プブリフォーリャ社「フォーリャ・エクスプリーカ」シリーズ)を読んでいるので内容をご紹介します」と宣言したままそのままになってしまっていて、さすがに良心が痛んできましたので、これから時々ご紹介することにします。

*この本の紹介に関しては、私見は一切挟まないで、内容をそのまま要約または拾い訳します。メーロさんの意見と僕の意見が混同するのを避けるため。「おまえの言っていることはちょっと違うんじゃないか?」と思うところがあったとしても、それは僕の言っていることではないので、適当に流してください。

*今日は「リズム(ヒットゥモ)」の章から。

 二拍子の二つの拍子のあとの方……普通の音楽では弱い拍子として演奏される拍子……にアクセントを置くと、「ちょっと軽やかな感覚とよりリズミックな刺激」を味わうことができる。そこに、テンション、バランソ、スウィング、レヴェーザ(軽やかさ)が生まれる。これがシンコペーションだ。

「ジョアン・ジルベルトが最初の数枚のレコードで取り組んだヴィオラォンのリズムの分割は、小節内の八分音符や十六分音符にアクセントを置く新しい方法だった。アクセントはよりテンションを創り出す形で割り当てられた」

 シンコペーションはさらに弱い拍子を引き伸ばして次の強い拍子を侵食する。一小節の最後の八分音符は次の小節の最初の八分音符と結合する。こうして強い拍子が弱められ、休止符が生まれ、さらなるテンションが作られる。

「ジョアン・ジルベルトはこの方法をサンバの取り決めに適用してヴィオラォンを演奏した。アクセントを付けること、引き伸ばすこと、休符を置くことによってスウィングを創り出した。その休符は、シンコペーションの強敵である強い拍子にアクセントを置こうとする秩序から逃れるために挿入された。要するに、ジョアンのヴィオラォンは彼以前のサンバの特性だった強い拍子の舞台を奪ったのだ」

 サンバ・カンサォンやショーロのヴィオラォンのバチーダは、「ボルダォン」と呼ばれる強い拍子の一つの音符と、二拍子の残りの空間を「十六分音符・八分音符・十六分音符」というシンコペーションで分割して成り立っている。

「この強い拍子を使わないで貯めることによって、ジョアンはさらなるテンションを創り出した。休符の中に、沈黙の中にスウィングがあったのだ」

 このように二拍子の各小節を分割するジョアンの手法はまったく新しく、当時のヴィオロニスタたちに衝撃をもたらした。けれどもジョアンのリズムにおける功績はそれだけではなかった。(続く)

2005年01月16日

「オペラ・ド・マランドロ」を観て

「オペラ・ド・マランドロ」のDVDが中古店で1,000円で売っていたので買って観ました。

映画そのものはまあ「三文オペラ」ですからね。やはりこれはシコ・ブアルキの音楽を中心に観る(聴く)べき映画だと思います。そういう意味では本当にすばらしい。

ところで、特典映像のフイ・ゲーハ監督のインタヴューウを観ていたら、若き日のノルマ・ベンジェルのヌードの映像が出てきてびっくり。彼女はエレンコにディック・ファルネイとの録音を残していますが、それよりも何よりも一九五九年九月二十二日のボサノヴァを世間に知らしめた歴史的なコンサート「第一回サンバ・セッション・フェスティヴァル」の会場をリオデジャネイロ・カソリック大学から建築大学に移さざるを得なくなった事件の中心人物なのです。このエピソード面白いので、ぜひ「ボサノヴァの歴史」をお読みください。

そしてこのフイ・ゲーハは、ご存知のようにナラ・レオンの昔の恋人で、ナラを「社会派」に転向させた張本人。エドゥ・ロボと共作した曲もある、ボサノヴァと深く関わっていた人物です。
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2005年01月15日

そしてクアルテート004とトム・ジョビンの共演盤の感想

で、昨日書いたクアルテート004の『Retrato em branco e preto』の、トム・ジョビンが参加した四曲の感想です。

A−1 Retrato em branco e preto
 編曲・指揮・共演:アントニオ・カルロス・ジョビン。トムの録音やシコの録音やジョアンの録音の原点までもがここにあります。この曲の節回しや間合いがこの時点ですでにどれだけ譜面に書かれていたかがわかります。トムのピアノの「手くせ」も堪能できるトラックです。

A−2 Bom tempo
 編曲・指揮・共演:アントニオ・カルロス・ジョビン。イントロのトムの「ウン、ドイス、トレス」だけで幸福な気分に。

A−3 Canção do encontro
 編曲:エウミール・デオダート、指揮:アントニオ・カルロス・ジョビン。英題「ジェントル・レイン」です。ロマンティック。

B−1 Vou te contar
 編曲・指揮・共演:アントニオ・カルロス・ジョビン。歌詞がついたのはこれが初めてだったかもしれません。後年聴かれるトムのアレンジの原点もここにあります。

で、クアルテート004ですが、ほとんど男声版クアルテート・エン・シーです。ボサノヴァからMPBに移っていく途上の絶妙の瞬間の記録がここにあります。

2005年01月14日

クアルテート004とトム・ジョビンの共演盤

先月、「レコード(LP)1枚に出せる金額は1万円まで」と書いたのですが、昨日、とうとう1万円以上出してしまいました。1万3千円払ってしまいました。

そのLPは『Retrato em branco e preto(白と黒のポートレート)』。男声コーラスのクアルテート004のレコードで、トム・ジョビンが編曲、指揮、演奏で四曲に参加しているのに、ほとんどのディスコグラフィで無視されているレコードです。録音は一九六八年。一曲にはシコ・ブアルキも参加しています。

以前に二度ほど見かけたことがあって、その時は「高い」と思って買わなかったのですが、今回はちょっと値が下がっていたこともあって、我慢できずに買ってしまいました。

このクアルテート004、ほとんど録音を残していない幻のコーラス・グループなのですが、クララ・ヌネスの『A BELEZA QUE CANTA』(一九六九)に一曲参加しているのをさっき見つけました。あと、この『白と黒のポートレート』でトムと共演した4曲のうち3曲は『DISCOMUNAL』にも収められています。

僕にとっては非常に興味深いレコードが手に入って喜んでいます。CD化されて誰でも手軽に聴けるようになると良いですね。

2005年01月13日

マンゲイラのピアノ 下

「トムはマンゲイラとそっくりよ。誰にも奪えないカリスマ性を持っているわ」

 伝説のマンゲイレンセのドナ・ネウマは、一九九一年十一月五日の夜にジャーナリストたちにこう語りました。

 その夜、マンゲイラのクアドラ(エスコーラの練習をしたりするところ)ではトムのショウが開かれていました。そのショウにはベッチ・カルヴァーリョとアルシオーネも参加していて、大勢のジャーナリストが集まっていました。さらにもう一つのサプライズが「マンゲイラのピアノ」でした。トム・ジョビンとシコ・ブアルキとがマンゲイラへの敬意を込めて作ったサンバが披露されたのです。この曲は数ヵ月後のサンボードロモ(カルナヴァルの会場)で見られるものの「予告編」であり、ジョビン・ミュージックのルーツを改めて知らしめるものでした。

「マンゲイラのピアノ」は、アルバム『マンゲイラのトーン』のオープニングを飾っています。このアルバムにはブラジルの最高に著名な三十人のポピュラー歌手が参加しています。シコ・ブアルキ、カエターノ・ヴェローゾ、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ、ジョニー・アルフ、アライヂ・コスタ、バーデン・パウエル、イヴァン・リンス、エルザ・ソアレス、マリア・ベターニャ、ネイ・マットグロッソ、アルシオーネ、ベッチ・カルヴァーリョ、ガル・コスタ、ジョイス、ハファエル・ハベロ。そして、カルトーラ、ネルソン・カヴァキーニョ、クレメンチーナ・ヂ・ジェズス、エリヴェルト・マルチンスなど、すでに故人となってしまった重鎮たち。彼らはエスタサォン・プリメイラ(マンゲイラ)にちなんだ二十八の新旧のサンバを十四のトラックで創作または再現しました。

 一九九二年のサンボードロモで、トムはマンゲイラの山車のいちばん上に乗って行進しました。白のスリーピースを着て、ピアノの脇で、一万人の群集にパナマ帽を振って挨拶したその映像は、私も良く覚えています。「ノーベル平和賞でも獲ったみたいな気分だったよ」とマエストロはカルナヴァルの直後に語りました。トムはパレードが終わっても鳴りやまない大衆の喝采に深く深く感動していたそうです。

*参考文献「カンシオネイロ・ジョビン」

2005年01月12日

マンゲイラのピアノ 上

 人生の最後の十年間に、トム・ジョビンはたくさんの称号や勲章を受け取りました。「賞を気にして感謝のスピーチを書くための秘書を雇わなくちゃならないな」と冗談を言うくらいでした。フランス芸術文芸勲章「コマンデゥール」(一九八五年)、ブラジリアのアルヴォラーダ名誉勲章、インターアメリカ音楽評議会名誉賞、サンパウロ音楽大学総長、リオデジャネイロ州立大学とリスボン大学の名誉博士号、ラテン・アワード(「ヂサフィナード」が一九九四年にラジオとテレヴィで最も多く流れたラテンの歌になりました)、そして、コール・ポーター、ジョージ・ガーシュウィン、アーヴィング・バーリン、ミッシェル・ルグランと肩を並べた、アメリカン・ポピュラー・ミュージック・ナショナル・アカデミーの「栄誉殿堂」。けれどもトムを最も感動させたのは、リオのモーホの「サンバのゆりかご」からもたらされた栄誉でした。

 エスコーラ・ヂ・サンバの名門「エスタサォン・プリメイラ・ヂ・マンゲイラ」は、一九九一年、翌年のサンバ・エンンヘードのテーマにトムを選ぶことを決定しました。トムはこれを非常に誇りに思い、マンゲイラの幹部を自宅に迎え、その招待を正式に受け容れました。練習にも参加することを約束し、それと同時に、エスコーラのバテリア(打楽器隊)をバックにアルバムを録音することを承諾しました。そのアルバムの収益はマンゲイラの資金として還元される計画が立てられます。それからの数ヶ月間、トムは口を開けば一九九二年のカルナヴァルの行進のことを話していたといいます。

 こうして、トムとバンダ・ノヴァとトムの友人たちはサンバ・エンヘードの「もし皆があなたと同じだったら」をバックに行進することになりました。(続く)

2005年01月10日

最近の方針など

どうして過去の記事を削除してしまうのかとご質問をいただいたのですが、いくつか理由があるのですけれど、基本的には以前に書いた文章が恥ずかしいからです。それはもちろん間違いもありますし、僕のものの見方が数週間のうちにずいぶん変わってしまうということも少なくありません。

なお、トム・ジョビンのミナスのライヴについての記事だけはまた読めるようにして欲しいと言われたので、それだけはそのようにしておきます。

最近、この次に取り組もうとしていることがだんだんと明確になってきたので、その下書き・速報のようなつもりで、このブログを使っていきたいと思っています。

でもそれもぼちぼちやるつもりなのでご容赦ください。何しろ昼間の仕事の方が半端ではない状況なので。

それとですね、LDやCDやLPを譲って欲しいとかダビングして欲しいとかいうコメントには、この場では一切お答えできませんので悪しからずご了承ください。一応、パブリックな発言の機会を持っている者ですので、そういうコメントはこちらで削除させていただいています。知人・友人同士の話ならば別の対応もできるのですけれど(どこぞのライヴでお会いした時にでもご相談いただければ……)。

今日はこの辺で。
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新年会

今夜は新宿エル・フラメンコで板垣真理子さんと新年会。メンバーは、昨年のジョアン・ジルベルトのコンサート評を毎日新聞に書いた土屋典子さん、かつてジミー・カーターの通訳を務めたこともあるTMさん、トゥイッケナム・ラグビー場のすぐ近くで生まれ育った写真家・芸術家のピーター・ゴードンさん。二次会は新宿ゴールデン街のかくれがバーで。23時20分解散。新宿の気温は午前3度(ん?)。

フラメンコも良かったけれど、何よりもお喋りがごちそうで、いろいろなことがいろいろなところで繋がっていることを再認識。こういうのは楽しいです。しばらくはこの流れに身を任せていこうと思っています。

で、フラメンコですが、アントニオ・ガデスのパートナーだったクリスティーナ・オヨスが選んだメンバーだけあった。特にカンテのロロ・セラーノさんが抜群に良かったです。
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2005年01月08日

9 ポルト・ダス・カイシャスのワルツValsa do Porto das Caixas

ポルト・ダス・カイシャスのワルツValsa do Porto das Caixas

 パウロ・セーザル・サハセーニ監督の一九六二年の映画「ポルト・ダス・カイシャス」のために作られた曲。一九六四年録音の『ザ・ワンダフル・ワールド・オヴ・アントニオ・カルロス・ジョビンThe wonderful world of Antonio Carlos Jobim』に収められている。このアルバムの編曲はネルソン・リドルが担当しているが、この曲のみはトムのオリジナルの編曲をそのまま採用しているという。

 このほかにはマリオ・アヂネの『トゥー・カイツTwo kites』、チボー・デロルの『ノ・トム・ダ・イストリアNo Tom da história』でも聴くことができる。なお、『ハーロス・コンパッソスRaros compassos』の三枚目にボーナス・トラックとして「Derradeira primavera/Valsa Porto das Caixas」という記載があるが、実際にここで聴けるのは「Derradeira primavera」のみなので、これは何かの間違いだと思われる。。

 トム・ジョビンの数ある曲の中でも一、二を争う不思議で幻想的なテーマの曲。どことなくエリック・サティを連想させる。

2005年01月07日

8 我が友ハダメス

 最近、といっても一ヶ月くらい前ですが、あるレコード店でたまたま手に取って、眺めているうちに「これは!」とはっとして慌てて買ったCDがあります。

『Radamés Gnattali』というそのアルバムは、一九八五年にFUNARTE(国立芸術財団)の後援によって制作されたLPの復刻盤。オリジナルのレコードのタイトルは『Meu amigo Radamés』といったはずです。CDで復刻されているとは知らなかった。まさか手に入るとは思っていなかった一枚です。価格は1000円前後でした。

 このアルバムの一曲目に、トムがハダメス・ジナタリのために作曲した「我が友ハダメスMeu amigo Radamés」というショーロが入っています。この曲は『アントニオ・ブラジレイロAntonio Brasileiro』に収められているのでそれほど「珍しい」感じはしないのですが、オリジナルのこの演奏はさまざまな意味で貴重。第一に、これはおそらく、トムとハダメスのピアノのデュオなのです。そしてまたこの演奏が実に美しい。

 この曲はそのほかには、『ジョビン・シンフォニコJobim sinfônico』、チボー・デロルの『ノ・トム・ダ・イストリアNo Tom da história』、『アントニオ・カルロス・ジョビン ソングブック・インストゥルメンタルAntonio Carlos Jobim/Songbook Instrumental』、山下洋輔の『ストーン・フラワー』にも収められています。

 で、この『Radamés Gnattali』というアルバムなのですが、「我が友ハダメス」の次にハダメスがトムにお返しに作った「我が友トム」というお茶目な曲が入っていたりします。おまけにパウリーニョ・ダ・ヴィオラがカヴァキーニョで参加していたりします。

 でもこのアルバムを紹介してるディスコグラフィはほとんどないんですよね。これだからレコード探しは自分の勘と経験が何よりの頼りです。

 特に勘。