2005年02月28日

閉じない音階

トム・ジョビンに関連して、ずっと前から気になって気になって仕方がなかったのですが、僕の手にはとても負えない手ごわい話なので、これまでどこでも触れてこなかった大切な問題が一つあります。

それは、エレーナ・ジョビンの「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創った男」の中でいちばん興味深い部分でもあります。すなわち、青土社の日本語翻訳版の91ページに出てくる、「平均律の音程は狂っている」という話です。

トムは十四歳くらいの時に平均律の功罪の「罪」に興味を持って、自分でピアノを調律していたそうです。そして、正確な五度音程を取っていくと、「音階が閉じない」という話。

音楽家にとっては常識中の常識に類する話なのだと思いますが、ずっと何の疑問もなく平均律を受け容れてきた僕にとって、これは本当に目から鱗が落ちるような話でした。

でもそうなんだろうな、トムがやろうとしていた音楽は。僕はまともに音楽学を学んだ人間ではないのですが(楽典を数冊読んだくらい)、直感的に、トムのハーモニーの感覚はそういうふうにできていたんだろうなあと、そう思います。

2005年02月27日

ジョアン・ジルベルトの歌(4)ジョアンは語る 下

*昨日の続きにして「ジョアン・ジルベルトの歌」の最後です。ジョアンの発言の引用符つきの部分をそのまま紹介します。

「そのような執着のもう一つの利点は、時々は語句を少し早めて一定の小節内に二つかそれ以上の語句を収めることができることだ。それによってリズムの韻を創り出すことができる。一つの音楽的語句はほかのもう一つの音楽的語句と韻を踏む。曲が不自然に改悪されることなしに。一般的に歌手は喉から出る声に執着して声を張り上げる。一人で低い音で語っているヴィオラォンを……あるいは何であれ伴奏のほかの楽器を……置き去りにして。ヴィオラォンにちょうどぴったりの声の響きが必要なんだ。空手の技の精密さを、詩的な結び付きを失わない歌詞を伴った……。彼(ペドロ・ブロッホ博士)は僕に、言葉の発音方法を妨げない呼吸形式を使うことを教えてくれた。一つ一つの歌詞は、また、より喉あるいは鼻を使ったそれと一致する発音は、曲の内側に異なる効果を与えることができる」(岩切註:ジョアンの発言はここまで)

「その「ホーザ・モレーナ」のトラックも含まれている彼の最初のLPレコードの録音で、ジョアンはすでに声とヴィオラォンを……すでに探求し尽くした音の響きを持っている」

2005年02月26日

ジョアン・ジルベルトの歌(4)ジョアンは語る 上

*ズーザ・オーメン・ヂ・メーロ著「ジョアン・ジルベルト」の「歌(カント)」の章を紹介してきましたが、その最後は、非常に貴重なジョアン自身の発言が引用されている部分の要約・拾い訳です。

 ジョアンが自分の歌い方を最も詳しく語ったのは、おそらくは雑誌「ヴェージャ」の一九七一年五月十二日号に掲載された、タリク・ヂ・ソウザに許されたインタヴューだ。

「僕の目を覚まさせてくれた曲、異なった試みができるということを僕に示してくれた曲の一つは、ドリヴァル・カイミの「ホーザ・モレーナRosa Morena」だった。僕は、当時の歌手たちの音の響きを引き伸ばす歌い方は曲の自然なバランソを損なってしまうと感じていた。(「ホーザ・モレーナ」は)語句の響きを短くして、歌詞は小節の中に収まっていながら漂っていた。僕は改悪する必要などまったくなく、曲の構造をすべて動かすことができた。

 僕が同調できなかったもう一つのことは、歌手たちがいくつかの言葉でしていた、最大のバランソを創り出すためにその言葉の上に被さるリズムにアクセントを置くという変更だった。僕は、言葉はできるだけ自然な形で、まるで会話されているように発音されなくてはならないと考えている。変更というのはすべからく、作詞家が彼の詩行で言いたかったことを改悪することになってしまう」(続く)

2005年02月24日

ジョアン・ジルベルトの歌(3)テンポ 下

*昨日の続きです。

 一九九一年に録音したコール・ポーターの「ユー・ドゥ・サムシング・トゥ・ミーYou do something to me」でも、ジョアンは語句と語句の間のスペースを摘み取って原曲を圧縮している。

 さらなるセンセイションは、ジョアンがこの曲の構造を変えてしまっていることだ。オリジナルは四分の四拍子なのに、四分の二拍子で演奏しているのである。

「声の抑揚の変化が、完璧なメロディの声域の幻想を創り出している」ことに関する、ロレンゾ・マンミの解説。

「ジョアン・ジルベルトの基本的な直感は、その反対に、ルバートをドラマティックにではなく構造的な形で使うことも可能にする。著しいアクセントゥエイションと緩やかなアーティキュレイションという、基本と補足の二つの特性に分類されるブラジルの韻律法、また、ヴィオラォンのシンコペートしたバチーダと連続したヴォーカルの発声という二つの異なったプランでジョアン・ジルベルトが創り出しているのは、発達するために外部の援助を必要としない自給自足の有機体の中で、メロディを変化させていくのに充分な論法である。実際、ジョアン・ジルベルトの歌は伴奏のコードに基づいていると言うことはできない。繰り返し聴くことができるのは、その反対に、歌にぶら下がっているコードである。物干竿に数珠繋ぎになっている洗濯物のように」

 ジョアンの歌は三コーラスなら三コーラス集中して聴かないと、価値ある絶妙の創造を知覚することができない。どれも同じ方法で表現しているような誤った印象を持ってしまう。

2005年02月23日

ジョアン・ジルベルトの歌(3)テンポ 上

*ズーザ・オーメン・ヂ・メーロ著「ジョアン・ジルベルト」の「歌(カント)」の章から、引き続いて「テンポ」に関する部分の要約・拾い訳です。

「ジョアン・ジルベルトの歌にはさらに人を引き付ける魅力が存在する。すでに歌われたり録音されたりした曲の語句(フラーゼス)を彼がどのように展開していくのかを常に期待して鑑賞することだ。ジョアンはオルランド・シルヴァのように、ルバート(リタルダンドとアッチェレランド)とサスペンションを通じてヴォーカルの弾力性と柔軟性の要素を挿入する。音節や語句を引き延ばして、彼はあとから追い着くようにヴィオラォンを先に進めさせ、遅れた分を急いだり縮めたりして、もう一度早めに歌い、詩行の一行をほかの一行に、あるべき場所の外に補って、そして、再び一緒に進行していくためにヴィオラォンの到着を待つのである」(続く)


*蛇足

ルバート テンポを自由に加減して演奏すること

リタルダンド 次第にゆっくりと 

アッチェレランド 次第にテンポを速めて

サスペンション ある和音から他の和音に進行する時に先行する和音の中の一音または数音を次の和音まで繋ぎ留めて演奏すること

2005年02月22日

ジョアン・ジルベルトの歌(2)音程 下

*昨日の続きです。

「彼の音符の絶対的に確実で正当な正確さは、ジョアン・ジルベルトの音程を議論する方法などないほどの秩序である。非常に低い音の調べで歌い始めると、それを保っていくのが懸念されるかもしれないが、囁きに近付いた彼の音程は、欠点のない状態を保っていく」

 一九九四年にライヴで録音された「平和な愛O amor em paz」では、一コーラスめの「nunca mais」でオクターヴを飛び越えて、「mais」で頂点に上り詰めている。それはまるで低音で歌うのを避けているように聴こえるのだが、二コーラスめの同じところでは「まるで話しているような、でも完全に音程の合っている」低音で歌っている。低音で歌うのを避けているわけではないのだ。「同じ一つの曲のヴォーカルの異なる表現の絶妙な変更の一つ」なのである。

2005年02月21日

ジョアン・ジルベルトの歌(2)音程 上

*2月20日までのアクセス数が4万5千を超えました。ここのところ夜中まで昼間の仕事に追われていて思うように書けないことも少なくないのですが、お読みいただいてどうもありがとうございます。

*ズーザ・オーメン・ヂ・メーロ著「ジョアン・ジルベルト」の「歌(カント)」の章から、「音程」に関する部分の要約・拾い訳です。

 語り口のほかに、ジョアンの音程に関する「神経症的な」評価の問題もあった。「ボサノヴァ大統領Presidente Bossa Nova」を作って歌ったジュカ・シャーヴィスは、ジョアンの「ヂサフィナード」における音の外し方を研究したと推測されていた。「ヂサフィナード」の歌詞のちょうど「音を外した(ヂサフィーノ)」という言葉の音符には、当時としては異常な音程が含まれていた。その結果、歌手が音を外して歌うことは可能なのだという誤った示唆を与えてしまっていた。

「音を外すことについてのこの定着した思い違いと、「か細い小声」に対するわかりやすい「先祖探し」は、ジョアン・ジルベルトに「ニェン・ニェン・ニェン」歌手という烙印を押す組織的な嫌悪感を巻き起こしていた。でも今日、彼の音程にいくらかでも疑問を抱く者は一人もいない」(続く)

2005年02月20日

虹と雪のバラード

金曜日は約1年ぶりの札幌出張。一日三件の強行アポをこなし(昼食は札幌で今人気のスープカレー)、夜は夜で酒の杯を勧められるがままに重ねて、すすきのの夜はあっと言う間に終わってしまった。ホテルがなぜかセミ・スイートの豪華ルームだったのに、これでは本当に寝るだけだ。締めはもちろんラーメンで。

土曜日の朝ホテルから札幌駅までマイナス12度の中を歩いたら、洗ったばかりの髪がばりばりに凍って驚いた。千歳空港では掟破りの朝ビール。だってここのショッピはものすごくうまいのだ(僕は一度ここで生ビールを一杯、二杯、三杯と飲んでいるうちに飛行機を乗り過ごしてしまったというビタースウィートな経験を持っています)。快晴の札幌から雨の東京へ。秩父宮ラグビー場で日本選手権準決勝。今年いちばんの好ゲーム。そして、板垣真理子さんの「武器なき祈り」の出版記念パーティへ。以上、ボサノヴァとは何の関係もない2日間。

ところで、札幌オリンピックの「虹と雪のバラード」という歌はボサノヴァ・アレンジで歌ったら非常に宜しいのではないかと思うのですが、どなたかやってみないでしょうか?
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2005年02月18日

そう言えば

そう言えば昨夜聞いたのですが、Hiroquinho氏はニュウトン・メンドンサの息子フェルナンドの演奏を聴いたことがあるそうです。バーデン・パウエルがステージの途中で呼び出して二曲演奏したのだといっていました。

「やっぱりああいう四角い顔をしていましたよ」って。
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2005年02月17日

高田馬場コルコヴァード

すでにご存じの方もたくさんいらっしゃることと思いますが、高田馬場コルコヴァードが3月末までをもってしばらくお休みされるとのことです。

再開の日を楽しみに待ちたいですね。


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2005年02月15日

ジョアン・ジルベルトの歌(1)語り口 下

*昨日の続きです。

 作曲家で音楽家のルイス・ターチトは、「音楽以外の面の重要さを持った、音楽と並行するメッセージを提示するような感覚で内容の一部が突出していると、それが何であれ、ジョアンにとってはその歌を拒絶するか、あるいは少なくとも一節や二節を削除して彼の審美的検閲を実行する充分な動機になる」と解説している。

「ジョアンは、非の打ちどころのない語り口(ヂクサォン)でバイーア訛りの発音もない、透明で繊細なヴォーカルの方法を考案することに公然と執着している。彼の「esses」の語尾には「xis」の音がなく、(「sussurro」のような)無声摩擦音の状態の時には歯擦音になり、(「Brasil」のような)有声摩擦音の時には破擦音になる。言葉の語義と言葉の響き方のトータルの重みを込めて一つ一つの言葉を発することに完璧さを求めている。このようにして、すでに良く知られている曲を初めて歌う時にも、舞台の幕が開いた時にまだ知られていない舞台装置が現われるのと同様の効果を得ることができる。詩行の力は、まるで誰かを待って姿を見せないで隠れていたものが芽を吹いたようだ。写真の引き伸ばしでフィルムの画像が紙の上にくっきりと浮かび上がってくる瞬間のように」

「こうして、ジョアン・ジルベルトによって『発見された』詩行の意味は、積み込まれている感情、詩的な感覚、本当の価値を取り戻すことができる」。それは例えばアドニラン・バルボーザの「サウドーサ・マローカ」、デニス・ブリーンの「バイーア・コム・H」(いずれもジョアンのレパートリー)で明らかになっている。

2005年02月14日

ジョアン・ジルベルトの歌(1)語り口 上

*今日2月14日はニュウトン・メンドンサの誕生日です。彼は1927年の今日、リオのカシャンビ街区で生まれました。

*さて、ズーザ・オーメン・ヂ・メーロ著「ジョアン・ジルベルト」から、今度は「歌(カント)」の章をご紹介したいのですが、この本でいちばん長くていちばん力が入っている章なので、全部を四つの部分に分けてさらに7−8回かけて紹介していきたいと思います。途中何度か中断を入れながら、ボチボチとやっていきます。まず最初は、「語り口」についての要約・拾い訳です。


 ジョアン・ジルベルトの最初の何枚かのレコードに対しては、彼のスタイルを三〇年代の特異な歌手マリオ・ヘイスと比較するという反応もあった。

 マリオ・ヘイスはフランシスコ・アルヴィスとのデュエットを残しているが、この時シコ・アルヴィスが盗み取ったマリオの「秘訣」は、「より軽やかなリズムの分割と組み合わされた、日常会話的な歌い方」だった。マリオ自身はそれを「シラービカ」(一音節に一音を当てる歌い方(岩切註))と定義していた。

 ジョアンはマリオ・ヘイスの現代版だった。「非常に軽薄」と軽蔑的に語られた、とても小さな声。デリカシーを重んじた「歌手音楽家(カントルムージコ)」の表現。マリオとジョアンは共通する感覚を持っていた。

 だが、ジョアンが最大の賞賛を寄せていたのはオルランド・シルヴァだった。ジョアンはタリク・ヂ・ソウザに次のように述べている。

「彼(オルランド・シルヴァ)は彼の時代の世界最高の歌手だった。自然に語句を語ることができたし、曲のどの部分も大げさに語らなかった」

「歌う(カンタール)」ではなく「語る(ファラール)」という言葉を遣っているところなど、まるでジョアン自身について述べているようだ。そして、「曲のどの部分も大げさに語らなかった」という言葉。「ジョアンも語るように歌う。どの音節もどの言葉も強めないで」(続く)

*ちなみに僕(岩切)自身はマリオ・ヘイスにジョアン・ジルベルトの原型のようなものは感じません。ジョアンとはかなり異なる歌手であるように思います。

2005年02月13日

ナナ・カイミの季節

この数日、どういうわけだかナナ・カイミを良く聴いています。古いLPを棚から引っ張り出してきたり、中古レコード屋で一枚800円くらいで売っているLPを買ってきたり。なぜ今ナナ・カイミなのかはわかりませんが……もしかしたらこの週末インフルエンザ(たぶん)で苦しんでいたからか?

全部網羅しているわけではないのでいい加減な話なのですが、お気に入りを三枚紹介します。

CHORA BRASILEIRA(1985)
表題曲のほか、ノエル・ホーザのÚltimo desejo、 ミッシェル・ルグランのA minha valsa (La valse des Lilas)(ワンス・アポン・ア・サマータイム)、トム・ジョビンのDerradeira primaveraなどが買い。

A NOITE DO MEU BEM - AS CANÇÕES DE DOLORES DURAN(1994)
タイトル通りのドロレス・ドゥラン集。Por causa de vocêではトムのヴォーカルもちょっと聴けます。好企画盤。

En Buenos Aires (1973録音)
最近日本でも発売になったはずです。Por causa de vocêは実はこっちの方が好きなので。

でもこの人のディスクは何を買ってもそう外れはないような気がします。
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2005年02月12日

ベベウ・ジルベルト来日

ベベウ・ジルベルトの公演予定がe+からeメールで来ていました。

4/3(日)18:00 東京国際フォーラムホールC
4/6(水)19:00 なんばHatch

東京国際フォーラムのホールCって何人くらい入るのでしょう? ずいぶん大きなところでやるものですね。

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2005年02月10日

「Bahia de Todos os Sambas」のDVD再発売を望む

*今夜は某所に遊びに行こうと思っていたのに、珍しく風邪を引いてしまったようで断念。早々に自宅に引き上げてきて、もつ鍋をつつきながら、なぜだかわからないのですが「Bahia de Todos os Sambas」のVHSを観ました。

 この「Bahia de Todos os Sambas」ですが、DVDでの再発売を期待したいです。1983年8月23日から31日にかけてのローマの「カラカラ浴場」でのライヴ・フェスティヴァルを収録したもの。ドリヴァル・カイミ、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、バタチーニャ、ガル・コスタ、モライス・モレイラ、ナナ・ヴァスコンセーロス、ナナ・カイミなどに加えて、ジョアン・ジルベルトも出演しています。

 ジョアンはオーケストラをバックに、前半には「エスターテ」で登場。さらに後半には「ウェイヴ」「インセンサテス」「ロウコ」の三曲を歌っています。

 バタチーニャの「カリニョーゾ」も、カエターノの「エウ・セイ・キ・ヴォウ・チ・アマール」も、ガルの「カンタ・ブラジル」も、ドリヴァル・カイミの「プレータ・ド・アカラジャ」もいいのだけれど、やはりジョアン・ジルベルトの演奏は、非常に非常に独特です。彼がヴィオラォンを弾きながら歌い始めると、空気が変わってしまうと言うか、宇宙が作られてしまうと言うか、何と言うか……。

 これだけの面々の中で、ジョアンの特異性がとてもよくわかる映像資料だと思います。

 なお、ジョアンはこの時のライヴではミウーシャやベベウとも歌っているはずなのですが、その映像は出てきません。それも発掘を期待したいところです。


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2005年02月09日

カエターノ来日

●嬉しいニュース。

カエターノ・ヴェローゾが来日するんですね。月曜日にe+(イープラス)からeメールが来ていました。

5月23日(月)19:00 東京芸術劇場 大ホール
5月24日(火)・25日(水)19:00 東京国際フォーラム ホールA

●哀しいニュース。

僕はこの週、ちょうど海外出張です。

皆さんどうぞ楽しんできてください。
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2005年02月08日

エドゥ&トム 下

 トム・ジョビンとエドゥ・ロボの音楽の出会いは半分偶然に起こりました。アロイージオ・ヂ・オリヴェイラはもともとはエドゥのレコードを、この作曲家の作品を集めていろいろな音楽家と歌手が参加するレコードを企画しただけでした。

 レコード『ノアの箱舟A arca de Nóe』に参加して録音を終えたところだったトムは、最初は「さよならを言うためにPra dizer adeus」のみに参加するはずでした。けれどもこのエドゥとトルクァート・ネットの曲のためにトムが書いた新しいイントロに感動したエドゥは、エドゥとヴィニシウスの「夜明けの歌Canção do amanhecer」にも参加してもらえないかと持ちかけました。そして、アロイージオにはもう迷いはありませんでした。プロジェクトのコンセプトを変更することに。師匠と弟子だけによる、互いに与え合うものを持っている最高の人物と次点の人物によるLPを制作する望みを具現化することに。

 レコーディングは、大きな気負いもなく、ジャズのジャム・セッションのように、トムによれば「互いの大いなる賞賛を証明するための」フラットとシャープのお喋りのように、非常に打ち解けたものとなったそうです。

 事前の二曲が充当されたほかに、トムの単独作品が三曲(「ばらに降る雨Chovendo na roseira」、「アンジェラAngela」、「ルイーザLuiza」)、トムと二人の共作者との二曲(マリーノ・ピントとの「アイ・クェン・メ・デラAi quem me dera」と、ヴィニシウスとの「さよならを言わなきゃならないÉ preciso dizer adeus」)、エドゥの三つの作品、シコ・ブアルキとの共作(「連続運動Moto-contínuo」)、パウロ・セーザル・ピニェイロとの共作(「暴風Vento bravo」)、ヴィニシウスとの共作(「哀しい歌Canto triste」)が付け加えられました。

*参考文献「カンシオネイロ・ジョビン」

2005年02月07日

エドゥ&トム 上

 トム・ジョビンと他のミュージシャンとの共同名義のアルバムの中でも、かなり地味なところに位置しているのがエドゥ・ロボとの『エドゥ&トム』。でもこれは実に渋味の効いた、いぶし銀のような名盤です。

 CDでは読むことができませんが、オリジナルのLPの裏ジャケットにエドゥ・ロボはこう書いています。「僕の知るすべての音楽の建築家の中で、アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ヂ・アルメイダ・ジョビンは、疑いなく、最高に幅の広い完璧な軌跡を描いている。彼から生まれてくるものは世界の心を護るための確固とした成熟したプロジェクトだ」

 録音は一九八一年でした。エドゥは十五歳の時に「シェガ・ヂ・サウダーヂ」のボサノヴィスタの魔術にかかってしまい、それまで演奏していたアコーディオンをヴィオラォンと取り替えました。だからエドゥにとってトムは単なる全時代を通じたポピュラー・ミュージックの最大の作曲家というだけではなくて、「全世界の」最大の作曲家でした。

 同じくこのアルバムにトムが書いている文章は、共演者エドゥアルド・ヂ・ゴエス・ロボと初めて会った時のことを回想しています。その時のエドゥはまだ青年で、「痩せていて、目が大きく、ヴィオラォンを脇に抱え、期待して、注意深く、身体も音楽も成長中だった」とトムは書いています。

 さらにこの文章は次のように続きます。

「今日、僕は成熟した、魅力的な、微笑みを浮かべた、広がりのある美しい曲の作者である男に改めて会っている。クラシックの分野に攻め込むことに加え、エドゥは知っている。音楽を、オーケストラを、編曲を、作曲を、指揮を、歌うことを、ヴィオラォンとピアノを演奏することを」(続く)

2005年02月06日

スイング・ジャーナル「ジャズ・ボサノバ名曲名盤」を嗤う

先日、あるジャズのライヴの店での出来事。

僕の本「愛と微笑みと花」のことをある方が話題にしてくれた直後のことでした。店にいた客の一人がわざわざ僕に聞こえよがしにこう話す声が聴こえてきました。

「ジョビンなんて結局、ジャズの影響を受けただけのブラジルの田舎ものなんだから……」

僕は非難や中傷には慣れていますし、こう見えても好戦的な人間ではないので、その場は黙って聞き流しました。でも、今考えると、あの時ばかりは一戦交えておけば良かったかなと思います。だって僕が非難されたのではなくて、トム・ジョビンが非難されたのですからね。

さて、表題の件。

7年ほど前に出たスイング・ジャーナルの別冊です。そしてこれはジャズの側がボサノヴァをどのように捉えているかが笑っちゃうほど表面に露呈してしまっている一冊です。

大見出しや小見出しからいくつか拾ってみましょうか?

「ボサノバの現住所はジャズである」
「スタン・ゲッツの存在なくしてジャズ・ボサノバは生まれなかった」
「この作品によってボサノバ・ブームが始まった」(スタン・ゲッツ&チャーリー・バード『ジャズ・サンバ』)
「都会派トミー・リピューマの作ったおしゃれな世界」(ジョアン・ジルベルト『アモローゾ』)
「ボサノバのギター・スタイルがこの作品によって確立された」(ローリンド・アルメイダ『ギター・フロム・イパネマ』)
「ボサノバのルーツはギル・エバンス!?」
「ボサノバと相性のいい楽器はサックス」
「初の英語タイトルによるボサノバ・ナンバー」(ワン・ノート・サンバ)
「環境問題を視野に入れたジョビン入魂の作」(三月の水)
「ボサノバの親戚?マンボの最新話題盤も楽しんでみよう」
「1960年代に登場したボサノバと和製ポップスはある意味で類似している」

してねえよ!って思わず声に出してしまったのは僕だけではないでしょう。見出しだけ拾ってこれなのですから、あとは推して知るべし。一体何をどう取り違えたらこういう解釈が成り立つんだろうという奇妙奇天烈な記述で全体が埋め尽くされています。繰り返しますが、30年前の本ではなくて、たった7年前の本なのです。これはもう発禁ものですよね。

僕は昔はジャズにどっぷり浸かっていた時期もあるので、こういう単眼的な見方は体質的には理解できる気がします。だからジャズはダメなんだよなあと、ちょっと同情的にも思います(それは「だからブッシュはダメなんだよなあ」と思う気持ちにもちょっとだけ似ています)。でもこれはジャーナリズムとしては完全に失格です。弁解の余地はまったくありません。

なぜなら、間違っているというだけではなくて、もしかしたら自分たちは間違っているかもしれないということを髪の毛ほども疑っていないから。そして、探せばいくらでもある資料を、まったく調べていないから。あるいは、結局のところ、対象を理解するといういちばん肝心な作業を最初から放棄しているから。

これを読むと、ジャズの影響を頑なに否定したトム・ジョビンの気持ちが痛いほどわかるし、山下洋輔さんの「アントニオ・カルロス・ジョビンは一人しかいなかった」(「ピアニストを笑うな!」と「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創った男」に収録)という文章がさらに光り輝いてきます。

*こういうことを書くから好戦的な人間だと思われるのかもしれないですね。
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2005年02月05日

4万アクセスを超えました

昨年10月10日の開設から昨日までのアクセス数が40194と、4万アクセスを超えました。こんなに芸のないページ(画像なし、デザインの工夫なし)にお越しいただいて、本当にありがとうございます。これもひとえにジョビンとジョアンの根強い人気の賜物と思います。
posted by naoki at 19:30| Comment(6) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする