2005年04月30日

長谷川久さんの「バーデン特集」を聴きました

今夜は国分寺のクラスタに長谷川久さんの演奏を聴きに行きました。

長谷川さんには「サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ」のコード進行についての解説を、僕の「愛と微笑みと花 アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック2」で引用させていただいたのですが、ようやっとそのお礼を直接述べることができて一安心。

そして、今夜のプログラムは「バーデン・パウエル特集」。バーデンが遺した名曲の数々を長谷川さんの力強いギターで堪能させていただきました。改めて言うまでもないことですが、バーデンというのはやはりワン・アンド・オンリーのコンポーザーですね。こういう曲を書く人はほかにいないだろうなあと思いながら聴かせていただきました。

で、演奏はすばらしかったのですが、とても残念だったのは、ずっとパンデイロを鳴らしながら聴いていた客がいたこと。まあ、うまければそれほど腹も立たないのだと思いますが……。本人は楽しいのかもしれませんが、おかげさまでうちの相方はずっと機嫌が悪かったです。

メンバーは、大渕昭さん(ピアノ)、石井幸枝さん(フルート)、新田収さん(ベース)。リハーサルなしだったそうですが、息はぴったりでした。曲目は次の通りです。

1st
哀しみのサンバSamba triste
恋人の瞳Introducao ao poema dos olhos da amada
宇宙飛行士O astronauta
カーニヴァルの朝Manha de carnaval[ルイス・ボンファ]
アペーロApelo
あの頃にはNaquele tempo[ピシンギーニャ]
祝福のサンバSamba do bencao

2nd
アマゾナスAmazonas[ジョアン・ドナート]
アペーロApelo
オッサーニャの歌Canto de Ossanha
孤独のとりこRefem da solidao
イパネマの娘Garota de Ipanema[トム・ジョビン]
デイシャDeixa
ビリンバウBerimbau

*一曲足りない気もします…。
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2005年04月29日

トムとサウンドトラック 4

 トムが「僕の二つのフランスもの」と呼んでいた二つのワルツ、「Eu te amo」と「Luiza」が、彼のスクリーンへの再接近でした。

 前者は、シコ・ブアルキの歌詞、テルマ・コスタのヴォーカルで、一九八〇年に制作されたアルナルド・ジャボルの同名映画の劇的な緊張を和らげるために効果的に用いられていました。

 後者は、ヴェラ・フィッシャーによって演じられたジルベルト・ブラーガのテレヴィドラマ「ブリリャンチBrilhante」の主人公のテーマ曲となりました。TVグローボのグート・グラッサ・メーロが八時のドラマのためのテーマを「大至急」と頼んできた時、トムにはまだ曲名も目的も一握りの音符とコードもありませんでした。「Luiza」はトムのピアノの周りを二日間漂ったのちに完成されました。

 このワルツでトムが特に苦労したのは歌詞を書くことでした。結局彼はこの曲を自分で歌っています。「(この曲を作る作業は)本当のマラソンだった」と彼は言っています。「息をつかせてもらう休止さえなかった」と。

 でも「Luiza」の出来は彼を満足させました。トムはエドゥ・ロボとのレコードとアルバム『パッサリン』でもこの曲を収録する誘惑に逆らいませんでした。(続く)

2005年04月28日

トムとサウンドトラック 3

 一九六七年にレオン・イルスマンが監督した「イパネマの娘」の音楽は、ほかの作曲家に任せることはできませんでした。トムは彼の最も有名な作品のための濃密でドラマティックなヴァリエイションを創ることに最大限の労力を注ぎました。その結果、映画そのもの以上の多大な芸術的収穫を獲得することができました。

 さらに映画はマエストロに借りを作り続けます。ギマランエス・ホーザの原作の映画に音楽を付ける可能性に惹き付けられて、トムは一九七三年にパウロ・チアーゴが企画した「Sagarana, o duelo」に賛同しました。でもそのあとは、七年間にわたって映画から離れることになります。(続く)

2005年04月27日

6万アクセスを超えました

2004年10月10日から昨日2005年4月26日までのアクセス数が60,098となり、6万件を突破しました。

ご覧いただいてありがとうございます。細々とですが、あともう少し続けていこうと思います。
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2005年04月26日

トムとサウンドトラック 2

 一九七〇年の「冒険者」の前に屈したのは、巡り合わせの偶然と、センティメンタルな弱点の間隙を突かれたためでした。監督(英国人のルイス・ギルバート)に同情したのです。ギルバート監督はしつこいだけではなく、トムに無条件の委任を与えました。しかし、完成した映画をトムは「おぞましい」と思いました。

 そのあとは、一九五八年にアロルド・コスタ監督の「Pista de grama」で控えめに始めて、「黒いオルフェ」で国際的になった、ブラジル映画との関係を維持することを選びます。一九六一年の「Pluft, o fantasminha」では音楽家兼端役として参加。映画作者パウロ・セーザル・サハセーニの作品では、「Porto das caixas」(一九六二年)と、八年後の「A casa assassinada」のサウンドトラックを担当しました。サハセーニ監督は「ポルト・ダス・カイシャスのワルツ」を、「O viajante」を含む彼のほかの映画で繰り返し使いました。(続く)

2005年04月25日

トムとサウンドトラック 1

 もしもトム・ジョビンが望めば、彼は映画音楽を作曲しながらハリウッドでキャリアを積むこともできました。

 トムは一九六四年の「ピンク・パンサー」(邦題「ピンクの豹」 監督ブレイク・エドワーズ)と、その三年後の「トゥー・フォー・ザ・ロード」(邦題「いつも二人で」 監督スタンリー・ドーネン)の音楽を依頼されましたが、深い考えもなくこれを断っています。この二本の音楽は結局ヘンリー・マンシーニが引き受けました。

「その時は」とトムは説明しています。「ブラジルに戻ってブラジル音楽を書き続けたいと結論したんだ。僕は電子効果や水の音のような音楽を作り続けるためにいるんじゃないからね。ある人間が金持ちになったからって、それは音楽とはあまり関係のないことだ」

 同じくトムは、悪魔に取り付かれたリンダ・ブレアの発作を鎮める音楽も拒否しました。七〇年代初めの「エクソシスト」(監督ウィリアム・フリードキン)の音楽も彼に話があったのです。(続く)

2005年04月23日

ヂャルマ・フェヘイラさんの死を悼みます

今日まで知らなかったのですが、ヂャルマ・フェヘイラDjalma Ferreiraさんが、昨年の九月二十八日に亡くなっていたのですね。

ヂャルマ・フェヘイラさんは一九一四年五月五日生まれ。何よりものちに述べる数々の名曲の作者として知られています。一九五〇年代にはリオのプリンセーザ・イザベル大通りで「ドリンキ」というナイトクラブを経営していました(この店には若き日のトム・ジョビンも出演していました)。同時に「ヂャルマ・フェヘイラとリズム百万長者たちDJALMA FERREIRA E SEUS MILIONÁRIOS DO RITMO」を率いて4枚のレコードを録音しています。このバンドには「ドリンキ」ではジョアン・ドナートも参加して演奏していたといいます。

しかし、強盗に襲われて重症を負ったあと、リオを離れてアメリカのラスヴェガスに在住。まるでカジノビジネスのあとを追うようにして、ラスヴェガスに安住を見出しました。時にはリオにも戻っていたようですが、亡くなったのもラスヴェガスだったようです。

僕が最初に彼の名前を意識したのは、かねてから愛聴していたMJQとラウリンド・アルメイダの『コラボレーション』に入っている「フォイ・ア・サウダーヂ」の作者としてでした。こんなにチャーミングな曲を書いているのだから(これはぜひとも再評価して欲しい、サウダーヂに満ちた名曲です)、絶対にほかにも名曲を残しているはずだと思って調べたら、ハンク・モブレイやイーディー・ゴーメでおなじみの「リカード・ボサノヴァ」の作者であることがわかりました。稀代のメロディ・メーカーだったと思います。そして、彼に数々の名曲を書かせたのは、何よりも遠く離れたブラジルへのサウダーヂだったようです。

でも彼の名前がブラジルで話題になることはほとんどないように思います。ブラジル人はアメリカ合衆国に移住したミュージシャンには冷たいですからね。それは心情としてはとても良くわかりますが、結果として残念な現象も数多く作り出してしまっていると思います。トム・ジョビンも一九七〇年代はブラジルでは半ば忘れ去られた人でした。

ヂャルマ・フェヘイラさんの死を心から悼み、MJQとラウリンド・アルメイダの「フォイ・ア・サウダーヂ」を聴きながら、彼が遺した作品のリストを以下に掲載したいと思います。

Bicharada
Cansei
Carnaval
Casa da Loló
Cheiro de saudade
Confissão
Destinos
Devaneio
Devaneios
Drinkando
Ela foi embora
Fala amor
Foi a saudade
Lamento
Longe dos meus olhos
Longe dos olhos
Murmúrio
Nosso samba
Organizando
Recado
Recado bossa nova
Samba do Drink
Samba do perroquet
Samba in the perrotoquei
Samba no Drink
Solovox blues
Taste of sadness [Cheiro de saudade]
Volta
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2005年04月21日

平均律と純正律

以前に、トム・ジョビンが平均律を疑っていた、たびたびピアノを自分で調律し直しては楽しんでいたというエピソードを「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創った男」の中から紹介しましたが、純正律に関する本を三冊読みました。

奥が深いです。でも、日ごろ自分たちが何の疑いもなく拠って立っている基盤を疑って掛かってみることは、絶対に良いことだと思います。

特に、ミュージシャンにはこういうことを話題にして欲しい!

ちなみに、平均律が定着し始めたのはドビュッシーの頃からなんですね。そしてトムはドビュッシーの大ファンだったわけで。その辺も面白いです。

参考になるサイトを紹介しておきます。
http://www5.famille.ne.jp/~dr-m/TALKING/temper/temperam.htm
http://www.archi-music.com/tamaki/
http://s4.in12.squarestart.ne.jp/

posted by naoki at 22:02| Comment(295) | TrackBack(3) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月20日

まとめ 下

サウンド

「ジョアン・ジルベルトにおいては、ヴィオラォンは声によって補完される楽団の二分の一だ。ヴォイス・ウィズ・ヴィオラォンではなくてヴォイス・アンド・ヴィオラォンという一義的な存在を、そのひとかたまりを形成する楽団の二分の一だ」

 ジョアンのレパートリーは、何度も録音している古典と、彼の金庫から引き出してくる宝石に分類される。後者は、「その歌がどこで生まれたのかを知らない人々には互いの顔を見合わせさせる。普通それらは……ジョアン・ジルベルト的解釈と呼ばれるジョアン・ジルベルトのヴォイス・アンド・ヴィオラォンの音響効果で完全に再構成された……古いサンバやヴォーカル・グループのマルシャなのだ」。すなわち、「ジョアンは彼の公演用と考えられている曲以外のたくさんのブラジルの歌の兵器工場を持っている」

 ジョアンが歌っている曲のオリジナルを聴くことは驚くべき体験になる。それは、「付け加えられている情報の豊富さがより明らかになるからだ。彼は歌を断片の一つ一つに、語句の一つ一つに、コードの一つ一つに分解する。そして再建する。職人のように。声とヴィオラォンのサウンドの一義的な形のもとに。唯美主義者の書体を付け加えて」

 そしてまた、ジョアンには不当な評判が付き纏ってしまっている。コンサート会場の音質が完璧な状態になければ演奏しないからだ。

「ジョアンは非の打ちどころのない状態になければならない反響の品質という問題においては譲渡しない。声とヴィオラォンは、彼自身のパフォーマンスへの完璧なリターンとともに、どの地点からも完全に釣り合いが取れて聴き取れなくてはならない」

 しかし、彼が執着しているのは会場内のヴォリュームについてではない。

「舞台における反響についての彼の有名な執着は、その環境におけるヴィオラォンのヴォリュームと声のヴォリュームについてではない。高音、中音、低音の間の、周波数の調和した、透明さ、純粋さ、詳細さ、釣り合いについてである。それによって声のサウンドとヴィオラォンのサウンドがまるで観客のすぐ近くに清澄に残ることができるようになる。要するに、一人一人の耳元に達したいのである。何十メートルも離れているのではなくて、まるで数センチメートルの距離にいるように」

 そして、「反響が完璧に適正になった時、彼は、三千人がいる一つのホールが、歌手が一人一人の正面にいるとても小さな部屋であるような幻想を維持することができる。この状態になると、ジョアン・ジルベルトの公演は、アーティストと、彼のサウンドの魔法によって催眠術をかけられた観客が一体化する、忘れることのできない経験である」

*短文にまとめるつもりが結構な分量になってしまいました。メーロ氏の著書の紹介をこれで終わります。

2005年04月19日

まとめ 中



 ジョアンは、非の打ちどころのない語り口で一つ一つの言葉を自然に発声することに執着している。そうして詩行の本当の価値を取り戻そうとしている。

「彼の「esses」の語尾には「xis」の音がなく、(「sussurro」のような)無声摩擦音の状態の時には歯擦音になり、(「Brasil」のような)有声摩擦音の時には破擦音になる。言葉の語義と言葉の響き方のトータルの重みを込めて一つ一つの言葉を発することに完璧さを求めている。このようにして、すでに良く知られている曲を初めて歌う時にも、舞台の幕が開いた時にまだ知られていない舞台装置が現われるのと同様の効果を得ることができる」

 また、一九九四年のライヴ録音の「ウ・アモール・エン・パス」でも明らかなように、「彼の音符の絶対的に確実で正当な正確さは、ジョアン・ジルベルトの音程を議論する方法などないほどの秩序である。非常に低い音の調べで歌い始めると、それを保っていくのが懸念されるかもしれないが、囁きに近付いた彼の音程は、欠点のない状態を保っていく」

 ジョアンの歌のもう一つの魅力は、ルバート(リタルダンドとアッチェレランド)とサスペンションである。

「音節や語句を引き延ばして、彼はあとから追い着くようにヴィオラォンを先に進めさせ、遅れた分を急いだり縮めたりして、もう一度早めに歌い、詩行の一行をほかの一行に、あるべき場所の外に補って、そして、再び一緒に進行していくためにヴィオラォンの到着を待つのである」

 ロレンゾ・マンミは、「実際、ジョアン・ジルベルトの歌は伴奏のコードに基づいていると言うことはできない。繰り返し聴くことができるのは、その反対に、歌にぶら下がっているコードである」と語っている。

 そして、ジョアン自身の貴重な発言。

「当時の歌手たちの音の響きを引き伸ばす歌い方は曲の自然なバランソを損なってしまうと感じていた」

 また、「僕が同調できなかったもう一つのことは、歌手たちがいくつかの言葉でしていた、最大のバランソを創り出すためにその言葉の上に被さるリズムにアクセントを置くという変更だった」

 すなわち、「僕は、言葉はできるだけ自然な形で、まるで会話されているように発音されなくてはならないと考えている。変更というのはすべからく、作詞家が彼の詩行で言いたかったことを改悪することになってしまう」

 さらにまた、「ヴィオラォンにちょうどぴったりの声の響きが必要なんだ」という言葉もある。ペドロ・ブロッホ博士に教示された「言葉の発音方法を妨害しない呼吸の形式」によって、「曲の内側に異なる効果を与えることができる」と語っている。(続く)

2005年04月17日

まとめ 上

 ズーザ・オーメン・ヂ・メーロ著「ジョアン・ジルベルト」を、ちょっとだけ紹介するつもりだったのが、次第に力が入ってしまって長々と引き伸ばしてしまいました。

 音楽を「解説」もしくは「評論」することの意味については常日頃から自問しているつもりですが、メーロ氏のこの著書は労作だと思います。自分で音楽をしない僕のようなファンにとっては、たくさんの「糸口」が示されていて、とても興味深く読めました。

 で、翻訳がまずい上に紹介の仕方も断片的でわかりにくかったと思うので、さらなる要約をまとめておきます。しばらくしたらもとの方は削除してこちらだけを残すようにするつもりです。

リズム

 シンコペーションとは、二拍子の二つの拍子のあとの方……普通の音楽では弱い拍子として演奏される拍子……にアクセントを置いて、テンション、バランソ、スウィング、レヴェーザ(軽やかさ)を創り出すことだ。

「ジョアン・ジルベルトが最初の数枚のレコードで取り組んだヴィオラォンのリズムの分割は、小節内の八分音符や十六分音符にアクセントを置く新しい方法だった。アクセントはよりテンションを創り出す形で割り当てられた」

 シンコペーションはさらに、弱い拍子を引き伸ばして次の強い拍子を侵食する。一小節の最後の八分音符は次の小節の最初の八分音符と結合して、強い拍子が弱められる。

「ジョアン・ジルベルトはこの方法をサンバの取り決めに適用してヴィオラォンを演奏した。(中略)要するに、ジョアンのヴィオラォンは彼以前のサンバの特性だった強い拍子の舞台を奪ったのだ」

 サンバ・カンサォンやショーロのヴィオラォンのバチーダは、「ボルダォン」と呼ばれる強い拍子の一つの音符と、二拍子の残りの空間を「十六分音符・八分音符・十六分音符」に分割する。ジョアンは、その強い拍子を休符にして「ためる」ことによって、沈黙の中に強力なスウィングを創り出した。

 さらに重要なことは、トム・ジョビンの次の言葉に要約されている。

「(ジョアンのバチーダは)のちにそうなってしまったような常に自己満足的な規格化されたバチーダじゃなかった。それはクリシェじゃなかった。クリシェに陥ったら、途端に誰の関心も引かなくなる。なぜならそこからどこにも行けなくなるからだ。ジョアンは絶対にそうじゃなかった。彼はケース・バイ・ケースだった。ハーモニーとメロディにリズム的な調和を持っていた」

ハーモニー

 ジョアン・ジルベルトは一つの曲を何十回も何百回も練習して三つか四つの音から成る転位コードを発見して完成させている。それらのコードではトニックがファンダメンタルになっていないか、存在しないことさえある。例えば「ヂサフィナード」では、トニックの代わりにボルダォンに五度音程を用いて、さらなる不調和、さらなる刺激を創り出している。

「その音符は歌の自然さを損なわずに、まるですでに以前に聴いたことがあるもののように飾りながら、オリジナルのシークエンスを単純化していた。新しいアプローチの感覚を持っていて、絶対に取り替えられたり取り除かれたり付け加えられたりできない決定版になっていた」

 彼の親指、人差指、中指、薬指から発せられる一度に四つの音符は、「ヴィオラォン一本のオーケストラ」である。(続く)

2005年04月15日

ジョアン・ジルベルト〜エピローグ 下

(続き)

 客席では、新たな拍手喝采の爆発のあと、たくさんの人がからだを揺すりながら椅子に座っている。ジョアンは再び始める。

 Vai minha tristeza e diz a ela……

 声を次第に落としていく彼の良く知られたルールによって要請された時だけは、彼らは意を決して歌い始める。静かに、音程を外さずに、歌詞も間違えずに、リズムも逃さずに、信じ難いヴォーカルの擬態。それは、充分に準備されて彼のヴィオラォンと正確なタイミングで起こる対旋律の歌唱に先導されたパフォーマンスにぴたりと適合している。ジョアンはさらに大いに満足したようで、動作とオープンな微笑みで承認する。彼が普通の音量になると、皆は歌をやめ、改めて聴くことに満足する。

 拍手喝采、大変な拍手喝采、共有される幸福、立ち上がる人、全員がアンコールを求める。彼は去る。が、賞賛の拍手は止まらない。マイス・ウン、マイス・ウン、マイス・ウン。ジョアン・ジルベルトは戻ってくる。

 静寂。

 ジョアン・ジルベルトは歌い始める。

(完)

2005年04月14日

ジョアン・ジルベルト〜エピローグ 中

(続き)

 ある段階まで来ると、誰かがリクエストする。「ジョアン、『ドラリシ』歌って!」。彼はまるで待ち構えていたようだ。イントロなしで、メロディにダイレクトに入る。

 Doralice, eu bem que lhe disse,amar é tolice,……

 観客は陶酔する。どの歌でも空気中の震えを感じることができる。曲が終わると、熱烈な拍手喝采の中で、ジョアンは深く考え込むように頭を下げる。床に広げられた、彼のレパートリーのタイトルが書かれた紙をちらっと見る。選曲が行なわれた瞬間は正確にはわからないが、彼は間もなく決心する。一つのコードに満足する。そしてダイレクトにメロディへ。

 Madame diz que a raça não melhora, que a vida piora por causa do samba,……

 それはサンバの、ジョアンが護り、広め、価値を高め、彫り刻み、実践しているサンバの凱旋の物語だ。ジョアン・ジルベルトはサンバが持っている切り札なのだ。

 ジョアン・ジルベルトは世界におけるブラジルのサンバの可能性になったのだ。(続く)

2005年04月12日

ジョアン・ジルベルト〜エピローグ 上

*長らく紹介してきたズーザ・オーメン・ヂ・メーロ著「ジョアン・ジルベルト」ですが、本編の要約はほぼ終わりましたので、最後に「エピローグ」を紹介します。とても味わいのある文章なので、ここだけはノーカットで、ほとんどそのまま掲載します(引用符は省略します)。おそらく三回くらいで紹介できると思います。

 もしもディスクがあらゆる人にとって彼の文化遺産を保存するためにあるのなら、ジョアン・ジルベルトのリサイタルはブラジル人が羨ましがられる特権だ。実際に毎年、静寂と純粋の巨匠が彼独特のサウンドを創り出す場面に参列することができる。

 観衆は幕が開く前に着席して、照明が消灯まで弱められるのを待つ。

 幕が開く。

 その前に拍手喝采の熱狂が起こる。儀式は、ヴィオラォンを握って舞台の中央まで断固として進むジョアン・ジルベルトによって始まる。素早く腰を下ろし、楽器とヴォーカルのマイクを調節し、最初の音符を始める。サウンドが空間を横切り、観客を慈愛の状態で魅了する。それらは彼の仲間の歌であり、すでに世界のものになっている音楽だ。

 ジョアンは彼と観客一人一人の間に打ち建てられる音楽的感受性の結合によってのみ説明できる空中浮揚の感覚を創り出す。全員が尊敬を持って聴く……夢中になって……鳥肌を立てて……恍惚状態に入り込む。(続く)

2005年04月11日

吉祥寺もブラジル化

僕は東京の吉祥寺というところの井の頭公園の近くに住んでいるので、先週は毎夜のように公園でビール片手に桜を堪能しました。

日曜の夜もそうしていたのですが、どこからともなくサンバのリズムが聴こえてきて我が耳を疑っていたら、今度はこっちでビリンバウを演奏している若者がいて、かと思うとカポエイラの話をしながら通り過ぎる女の子がいたりして……。

とうとうこの街にもブラジル化の波が押し寄せてきたようです。あなたの街は大丈夫ですか?
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2005年04月10日

サビア(5)

 では最後にトムの発言を。

「マルザガォンがこの家に電話してきて、僕に一曲頼みたいって言ったんだ。僕は言った。新曲は一つもないし、今作ってもいないし、コーナーで休んでいるところなんだってね。すると彼は、それならフェスティヴァルの威信を高めるために審査員になってくれと言ったんだ。僕は言った。審判なんかなれないよって。自分の仲間たちをジャッジなんかできないよって。二番目の依頼は煩わしい、三番目のはなおさらだし、四番目のは銃撃で、最後のは原子爆弾だよ。それで、審査員にならないために、僕は曲を引き受けたんだ。フェスティヴァルには向かない曲で、実に複雑な曲で、転調がたくさんあって、全然大衆向けではなくて、自分を自由にするために準備しただけなんだよ。国内大会を突破しないということは確信していた。でも突破しちゃったんだ。僕の友人たちは僕に反対票を投じていて、僕の敵たちは賛成票を投じていたのにも拘らずね。僕はフェスティヴァルの状態を案じて、シコ・ブアルキに助けを求めた。彼はローマにいたんだけど、気の毒にも戻って来た。彼はローマでがぶ飲みし、飛行機でがぶ飲みし、僕と一緒にマラカナンでがぶ飲みした……。マラカナンの舞台はとても急勾配で、僕のエナメルの靴は全然使い物にならなくて、本当に滑って仕方なかった。そこで僕たちは手を繋いで下に下りようとしたんだよ。非難や称賛を理解するのはとても難しいことだよね」

*参考「カンシオネイロ・ジョビン」

2005年04月09日

サビア(4)

 このほかにも、ちょっと捻って見れば、「サビア」はアーティストの国外追放の問題に触れていました。「僕は帰ってくる/いつか帰ってくる」。しかしながら、その点は、「Caminhando」を熱狂的に応援していた人たちには最後まで気が付かれませんでした。フェスティヴァルの審査員が優勝曲として「サビア」を選んだ時、鉄筋コンクリートをも割るような嘲りがマラカナン中に響き渡りました。

 しきたりに従って優勝した歌をもう一度披露するために舞台に戻ったシナーラとシベーリのデュオは、叫び、罵り、口笛に妨害されました。当惑したヴァンドリーがマイクロフォンを掴んで叫んだ言葉も傑作です。「みんな、ちょっと待ってくれよ。君たちがジョビンとシコに無礼をしても僕には何にもならないよ。フェスティヴァルだけが人生じゃないんだよ」

 思い掛けない勝利と観衆の反応に二重に当惑して、トムは競技場をそっと出て、神経を静めるために友人のヘイムンド・ヴァンデルレイ(ヂーコ)の家に避難しました。次の日曜日には、マラカナンの嘲りを共作者と分かち合うために祖国に帰っていたシコ・ブアルキとともに、「サビア」は国際間の競争相手に打ち勝って再び勝利します。エリス・レジーナやアメリカの作曲家のハリー・ウォーレン……「I only have eyes for you」「There will never be another you」などの古典の作者……を含む審査員の決定によって。(続く)

2005年04月08日

サビア(3)

 この曲は実にまあ論争の運命にありました。最終的な曲名が大衆の耳に達すると、文法学者と鳥類学者の間には議論が巻き起こりました。

 すなわち、「サビア」は男性名詞なのですが、歌詞の中では女性名詞の不定型詞を付けて「ウマ・サビア」と歌っています(このことは日本版のライナーノーツでも大島守さんが不思議がっています)。ある者に言わせるとこの語は両性通用名詞で、性別的に定義するためには雄サビア(サビア・マッショ)、雌サビア(サビア・フェメア)といった補語を必要とするという別の説明もあります。

 このことに関してはトムはジョークを言わずにはいられませんでした。「実際は、僕は、友人のフーベン・ブラーガとフェルナンド・サビーノのサビア出版社に敬意を捧げたかったんだ。二人ともすべての出版社と同様に女性種に属しているからね(出版社editoraが女性名詞であることを指しているのだと思います)」と彼は新聞に述べました。

 トムはさらに、ジョゼ・ヂ・アレンカールの小説「イラセマIracema」の一章が証明しているように、ノルヂスチではサビアは女性名詞として使われていることを付け加えるのも忘れませんでした。

 次のような発言もあります。

「サビアという言葉は僕たちにとっては男性名詞だけど、ブラジルのいくつかの地域では女性名詞なんだ。オンサ(ジャガー)と言う時にオンサが雌だと言いたいわけじゃないだろう? サビアも同じことなんだ」(続く)

2005年04月07日

サビア(2)

「ガーヴェア」。これがこのトムとシコの歌の最初のタイトルでした。

 風の噂では、「サビア」というタイトルはサビア・ラランジェイラ(オレンジツリー・サビア)に霊感を受けたもので、それは明らかにジェイミ・オヴァーリの「青い鳥Azulão」(詩はバンデイラ)と詩人ゴンサルヴェス・ディアスの「流浪の歌Canção do exílio」の詩へのオマージュでした。単に小鳥が囀っている歌だというだけではなくて、サビアが歌っている故国に帰ることを夢に見ている者の郷愁ということからもです。

 だからこれは本当にフェスティヴァルで成功するような曲ではありませんでした。それゆえにトムはFIC(国際歌謡フェスティヴァル)に名前を刻むとはまったく考えていませんでした。(続く)

2005年04月06日

サビア(1)

*「サビア」については「愛と微笑みと花」の中でも書きましたが、その後に文献の中に見つけたエピソードを、補稿のつもりで紹介します。

 リオデジャネイロ、一九六八年九月二十九日。満員のマラカナンはその夜行なわれる第三回国際歌謡祭の審査で選ばれる国内大会の優勝者を待っていました。そこで優勝者となった曲はその後のフェスティヴァルの国際大会でブラジルを代表して競争することになっていました。圧倒的な優勝候補はジェラルド・ヴァンドリーの「Caminhando」(「Pra não dizer que não falei de flores」)というプロテスト・ソングで、スリー・コードのシンプルな、「人の心を掴むのも歌うのも簡単な曲」でした。

 トム・ジョビンとシコ・ブアルキの「サビア」には、優勝するチャンスはほとんどなさそうでした。トム自身の評価では、最高でも十人のファイナリストに残って、四位になるかどうかというところでした。トムはその重大な夜にシコ・ブアルキと一緒に歌うことができませんでした。シコが数日前にイタリアへと旅立っていたからです。トムの正・共作者であるヴィニシウス・ヂ・モライスは、彼とは意見を異にしていました。ヴィニシウスは、「『サビア』は優勝するだろう」と言っていました。「審査員が正当ならの話だけど」と語っていたのです。(続く)