2005年12月31日

「リオ、ミレニアム」

さて、大晦日です。

大晦日と言えば、先日スカイパーフェクトTVのシネフィルイマジカで「リオ、ミレニアム」という映画を放送していました。1999年の大晦日のリオを舞台にしたブラジル映画です。監督はヴァルテル・サレス。何となく観ていたのですが、いきなりネルソン・サルジェントが出てきて驚きました。しかも「サンバは死なず」をちょっとだけ歌って倒れるという役です。機会があればご覧下さい。映画そのものもなかなか良いです。

この一年間ご覧いただいて本当にありがとうございました。皆さんの温かいまなざしに支えられて何とか続けています。来年もぼちぼちとやりますので、どうぞ宜しくお願いします。

それでは皆さん、どうぞ良いお年を!
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12月30日に聴いたレコード

*今日から昼間の仕事が正月休み(とは言っても大量に仕事を持ち帰っているのですが)。朝8時に起床。入浴・食事をして、日課の語学の勉強をして、年末恒例の第九を掛けながらの大掃除。

『ベートーヴェン交響曲第九番/ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団』CD面

『ベートーヴェン交響曲第七番/カルロス・クライバー指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団』AB面

『ヴィーダ/シコ・ブアルキ』

『テラ・ブラジリス/アントニオ・カルロス・ジョビン』AB面

『バッハ・フルートソナタ全集/ジャン・ピエール・ランパル ロベール・ヴェイロン・ラクロワ』A面

『オンリー・ザ・ロンリー/フランク・シナトラ』B面

『私の肖像/タンバ・トリオとストリングス』A面

『ホーギー・シングス・カーマイケル/ホーギー・カーマイケル』A面

*相方と吉祥寺をぶらついて、二人で忘年会しようということになって、焼鳥屋「いせや」の本店へ。もう動けないというくらい食べて呑んで、二人で4700円でした。安い。

『ウィンター・ムーン/アート・ペッパー』A面

『レイ・ブライアント・トリオ』A面

『アントニオ・ブラジレイロ/トム・ジョビン』A面

*A面B面の表記があるものがLPで、ないものがCDです。
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2005年12月29日

上田力さんとお会いして(3)

さて、その時からは、上田さんとナンダノヴァの「ジョビン・マイ・ラヴ」の都内のライヴには必ずお邪魔させていただいています。セミナーやパーティにも声を掛けていただいて、いつもいつもいろいろなことを教えていただいています。

最近上田さんが良くおっしゃるのは、「アイディアとセンス」ということです。編曲にはこれが不可欠だと強調なさっています。しかしこういうことがはっきりと言える人は、日本には上田さん以外にいないように思います。

ところで上田さんと交わした会話の中でいちばん印象に残っているのは、「右手が弾けなくなったピアニストの話」です(もしかしたら左手だったかもしれません。記憶が曖昧で申し訳ありません)。

上田さんがたまたま観ていたテレビ番組で、病気か何かの理由で右手が使えなくなったクラシックのピアニストが取り上げられていたそうです。そのピアニストは、左手だけで弾くために書かれているごく僅かな楽曲を探し出しては演奏しているという話です。ちょっと聞くと美談なのですが、上田さんは、一刀両断にこうおっしゃっていました。

「クラシックの演奏家というのは駄目だなあとつくづく思ったよ。だって、そんな曲、なければ自分で作ればいいじゃないか?」

僕は、あっと息を呑みました。本当にそうだと思いました。これだ!と思った瞬間でした。

それとは別の機会に上田さんがおっしゃっていた「自分が本当に聴きたい音楽を演奏している音楽家がほかにいないから、自分で演奏しているんだよ」という話もほぼ同じです。僕はそのお考えには本当に共感します。結局、僕がトム・ジョビンの本を書いたのも、「ボサノヴァの歴史」や「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創った男」を読んでしまうと、日本語で読めるものがほかに残っていないというのが大きな理由でした。だったら自分で書いてしまおうと、極端に言うとそれが動機でした。

「演奏する曲がないのなら自分で創り出せばいいじゃないか?」。これは、生き方として、あるいは仕事の仕方として、あるいは生活の仕方として、さまざまなものごとに当てはめることができる一つの哲学だと思います。そしてそれはクリエイティヴィティの本質でもあるように思います。人生を自分でデザインしていくということ。僕もできればそういう風に生きていきたい。上田力さんという人は、そういう本質的なことを教えてくれる音楽家です。

上田さんが取り組んでいる「アントニオ・カルロス・ジョビンの全曲演奏」という途方もないプロジェクトの旅はまだまだ続きます。この前お会いした時には、「来年はちょっと、「なぜ今ジョビンなのか?」ということを語っていこうと思うんだ」とおっしゃっていました。80歳を迎えられてますます意欲的。来年のお仕事が楽しみです。

*上田さんのことはまた随時、思い出したことを書きますが、とりあえずここまでにします。
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2005年12月28日

上田力さんとお会いして(2)

さて、上田さんと最初に夕食をご一緒した時の話です。

一杯目の生ビールも空かないうちに、「君のあの本は良かったよ」とお褒めをいただいたので、とても驚いてしまいました。さらに「すごく良いと思った箇所があるんだけど、どこだと思う?」と訊かれて首を傾げてしまいました。そして答えを聞いてさらに驚いてしまいました。

上田さんは「まえがき」が良かったと言うのです。

『(僕は)正直に言ってMPBのファンではない。ミルトン・ナシメントも聴かないし、カエターノ・ヴェローゾも聴かない。突き詰めて言うとボサノヴァのファンでさえないかもしれない。ただ、トム・ジョビンとジョアン・ジルベルトとヴィニシウス・ヂ・モライスを中心とする一部の真に個性的で創造的なミュージシャンの音楽をどうしようもなく愛しているだけである』

その箇所を上田さんは半分くらい諳んじてくださって、「良くぞ書いた」とおっしゃってくださいました。

実はその箇所は僕はちょっと迷いながら書いたのです。校正でも何度も削ろうかなと思っていた箇所だったのです。でもそれはあの本のアイデンティティに関わる箇所だったのでそのまま残すことにしたのでした。だからあの本の中で一箇所褒められて嬉しい箇所があるとするとその箇所だったのです。

上田さんからまさしくその部分を褒められて、僕は本当に驚いてしまいました。そして、改めて、正直に書いて良かったな、正直に書くというのは大切なことだなと思ったものでした。

*今夜はもう眠いので、続きはまた明日書きます。

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2005年12月26日

「パラトドス」に見るトム=シコの「ヘドンヂーリャ」の継承について(6)

*さて、ヘドンヂーリャの話も、そろそろ今夜で最後にします。

 僕は詩学についてはまったく無知で無学なのでお恥ずかしいかぎりなのですが、「ヘドンヂーリャス(redondilhas)」でウェブサイトを検索すると、十六世紀のポルトガルの詩人、ルイス・ヂ・カモンエスLuís Vas de Camõesの名前がたくさん出てきます。ヘドンヂーリャという形式(あるいは手法)を確立したのはもしかしたらカモンエスあたりだったのかもしれません。

 あと、ヴィニシウス・ヂ・モライスはどうなのだろうと思って僕の持っているいくつかの本や冊子でヴィニシウスの詩……楽曲のために作られた歌詞ではなくて、純粋な文学的な詩……を眺めてみたのですが、やはり随所にヘドンヂーリャを行使していて興味深かったです。もしかしたらトムにヘドンヂーリャを教示したのはヴィニシウスだったのではないだろうかと想像を巡らせています。

 ただ、この種の形式はポルトガル語だけの専売特許だったわけではありません。七音節と五音節を重視するのは広くヨーロッパ全体に認められた創作の手法だったようです。これもウェブサイトで仕入れた断片的な情報でしかないのですが、ウエールズにはcywyddという一行七音節の詩形があるとか、あるいはカンボジアには19世紀に七音節の詩形が生まれたとか、そういう話はほかにもたくさんあるようです。

 しかしそれにも増して七音節・五音節のスタイルの詩歌として真っ先に思い浮かぶのは、日本の和歌と俳句です。と言うよりも、これくらい厳格に音節数(字数ではありません)を形式として要求する詩形式もほかにはそうないのではないかと思います。和歌・俳句に代表されるように、散文において日本人くらい七音節と五音節を重視してきた民族はほかにないのではないでしょうか? 僕たちは普段の日常会話からして何気なく七五調を多用しています。ヘドンヂーリャという言葉も、ここで述べているような文脈で用いるかぎりは「七五調」と訳してしまいたくなるくらいです。

 そして、ここから先は空想の域を出ないのですが、ヘドンヂーリャをキーワードにして僕たち日本人はポルトガル語圏民族とどこか通じるところがあるのではないでしょうか? ボサノヴァが日本でこれだけ親しまれているのも、僕がトムやシコの音楽にこれほど惹き付けられるのも、その辺りの感覚と無関係ではないように思えるのです。

 それにしても、トム・ジョビンが意識していた創作上の極意の一つを愛弟子のシコ・ブアルキが継承しているというのは本当に何ものにも代え難いことだと思います。日本でもポルトガル語で歌詞を創作しようとしている若手の音楽家志望者たちが増えているようですけれど、ヘドンヂーリャをちょっとでも意識して歌詞の中に盛り込むと、トムとシコの創作の気分の一端を味わうことができるのではないかと思うのですが、さて、どうでしょうか?
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2005年12月24日

「パラトドス」に見るトム=シコの「ヘドンヂーリャ」の継承について(5)

*世間はクリスマスですが、「ヘドンヂーリャ」の話題を続けます。

 さて、シコがこの「パラトドス」でヘドンヂーリャという言葉を遣っている箇所を一行にすると次のようになります。

「ヘドンヂーリャスで覆ったこの調子を僕に吹き込んだ人物は、アントニオ・ブラジレイロだった」

 すなわちシコはこの文学的な手法をトムから教わったと言っているのです。

 僕がこの言葉に引っ掛かっていろいろと検索したのも、こうやってくどくどと説明しているのも、すべてそのためです。すなわち、トム・ジョビンの創作の秘密の一端が、このヘドンヂーリャにあるのではないかと直感したからです。

 ヘドンヂーリャがどういうものかが明らかになった今、トムのいくつかの楽曲の歌詞を調べてみたのですが、残念ながら今のところは「この曲は完全にヘドンヂーリャを行使している!」という楽曲は発見できていません。

 でも、例えば「o samba de Maria Luiza」という一文はヘドンヂーリャです(トムがこの一文の冒頭にoを用いているのは、おそらくヘドンヂーリャを手に入れるためだと思われます)。このようにして、ヘドンヂーリャだけで埋め尽くされた曲というのはごろごろ転がっているわけではないにしても、それはトムの歌詞のあちこちに隠れているのかもしれません。

 そして、さらに重要なことは、トム・ジョビンがヘドンヂーリャという手法を用いて歌詞に一定のリズムを与えようとしていたということです。実際にいつもそのようにしていたわけではないにしても、そのことは常に彼の頭にあったということです。

*続きます。
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2005年12月23日

「パラトドス」に見るトム=シコの「ヘドンヂーリャ」の継承について(4)

*昨日の続きです。

 ところで、昨日挙げた「パラトドス」の最初の四行をもう一度見てみましょう。

(1)O meu pai era paulista
(2)meu avô, pernambucano
(3)o meu bisavô, mineiro
(4)meu tataravô, baiano

 どうでしょうか? ポルトガル語の文法について生半可な知識しか持っていない僕などは「?」と思ってしまいます。すなわち、一行目と三行目に見られるように、「meu」(英語のmy)という所有代名詞の前に「o」(英語のthe)という定冠詞が来るのは文法的に誤りなのではないだろうかと思ってしまうのです。

 前出のパスクアーリ・シプロ・ネットの記事もまさしくそのことを指摘しています。そして結論は、誤りではないのだと説明しています。所有代名詞の前に定冠詞が来るのは、英語では禁じられていますけれども、ポルトガル語では禁じられてはいません。でも必ず付けなければいけないという義務があるわけでもありません。すなわち、どっちでも良いのです。何とまあ大らかな文法だろうと僕などは思ってしまうのですが。

 でも、なぜシコは、この曲の最初の四行にこういうふうに交互に定冠詞を付けたのでしょうか?

 一つはおそらく、そのようにしてリズムを作るためです。そしてもう一つは、これはほぼ間違いなく、ヘドンヂーリャを手に入れるためです。

 パスクアーリ・シプロ・ネットの記事はこう記しています。

 「シコはヘドンヂーリャスの構築という文学的な目的を果たすために文法上の特権を正当に行使したのだ(Chico usou competentemente uma liberdade gramatical para atingir o objetivo literário de construir redondilhas)」。

*明日に続きます。
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2005年12月22日

「パラトドス」に見るトム=シコの「ヘドンヂーリャ」の継承について(3)

*昨日の続きです。

 でもまだこれだけでは「ヘドンヂーリャ」がどういうものなのかが良くわかりません。そこで、前出の記事の後半を要約しながら、「ヘドンヂーリャ」の実例を検証してみます。

 まず、「パラトドス」の最初の一行である「O meu pai e-ra pau-lis-ta」。この詩行には、詩の上の音節はいくつあるでしょうか?

 普通に数えれば8です。でも8ではありません。なぜなら、詩の上の音節を問題にする時には、詩行の最後のアクセントのある音節までを数えるからです。この一行では、最後のアクセントは「lis」にあります。ですから「lis」までを数えます。そのあとの「ta」は数えません。従って答えは7です。すなわちこの一行はヘドンヂーリャです。

 次に、「パラトドス」の二行目の「Meu a-vô, per-nam-bu-ca-no」では、音節はいくつでしょうか? 8? 違います。これも7です。最後のアクセントが「ca」にあるからです。よってこれまたヘドンヂーリャです。

 三行目の「O meu bi-sa-vô, mi-nei-ro」も見てみましょう。これも8ではなくて7です。最後のアクセントがある「nei」までを数えるからです。そのあとの「ro」は数えないからです。

 四行目の「Meu ta-ta-ra-vô, bai-a-no」も、これまた7です。数えるのは「baiano」の中の、アクセントのある「a」までです。

 要するに、この「パラトドス」という曲は、大半が「ヘドンヂーリャ」で埋め尽くされている曲なのです。

*明日に続きます。
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2005年12月21日

「パラトドス」に見るトム=シコの「ヘドンヂーリャ」の継承について(2)

*昨日の続きです。

 何度も検索してようやく辿り着いたのは、サンパウロ新聞Folha de S. Pauloのコラムニストであるパスクアーリ・シプロ・ネットPasquale Cipro Netoという人物による「シコ・ブアルキとヘドンヂーリャスChico Buarque e as redondilhas」という記事でした(http://ciberduvidas.sapo.pt/diversidades/0298.html)。サンパウロ新聞の一九九八年二月十二日号に掲載された記事のようです。

 この記事では、「ヘドンヂーリャ」という言葉を「五つか七つの詩の上の音節から成る詩行(verso de cinco ou sete sílabas poéticas)」と説明しています。さらに、「詩の上の音節が五つの時にはヘドンヂーリャはより少なく、七つであればより多いという言い方をする(com cinco sílabas poéticas, a redondilha é menor; com sete, é chamada de maior)」と解説されています。

 なるほどなるほど。これで、「ヘドンヂーリャ」がどういうものなのかがわかってきました。これはやはりシコのこの曲を理解するのに非常に重要なキーワードのようです。

*明日に続きます。
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2005年12月20日

「パラトドス」に見るトム=シコの「ヘドンヂーリャ」の継承について(1)

 シコ・ブアルキがトム・ジョビンその他のブラジルのミュージシャンたちへのオマージュを綴った「パラトドス」の歌詞を訳そうとしたら、聞き慣れない言葉にぶつかって立往生してしまいました。

 その言葉というのは「ヘドンヂーリャス(redondilhas)」。「ヘドンド(redondo)」という語が「丸い」という意味なので、その派生語だということはわかるのですが、「ヘドンヂーリャ(redondilha)」という言葉はどの辞書にも載っていません。でも何やら特定の意味が込められていそうな言葉です。

 普通ならばここで歌詞を訳すのを放り出してしまうところなのですが、何となくこの「ヘドンヂーリャ」という言葉が気になって、四苦八苦しながらもあちこちのサイトを拾い読みしていました。その結果、非常に重要な発見に辿り着くことができました。

*長くなるので何回かに分けて書きます。
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2005年12月19日

パラトドス/シコ・ブアルキ

パラトドス

僕の父はパウリスタだった
祖父はペルナンブカーノ
曽祖父はミネイロ
高祖父はバイアーノ
僕の最高のマエストロは
アントニオ・ブラジレイロだった

アントニオ・ブラジレイロだった
この調子を吹き込んでくれた人
ヘドンヂーリャスで覆ったこの調子
僕の仕事を追い掛けて
霧で覆われたヴィジョンで
地獄と奇跡を見る

この曲がりくねった道
僕に贖罪の罰を与える
名士を信じよう
憎悪、不安、犯罪に対して
ドリヴァル・カイミを用いよう
ジャクソン・ド・パンデイロに行こう

都市を見た、金銭を見た
泥棒たち、収容所を見た
ビルから飛び降りる
小鳥のような娘たち
アリを吸おう、ヴィニシウスを嗅ごう
ネルソン・カヴァキーニョを飲もう

貧しい心のために
粗野な孤独に対して
ルイス・ゴンザーガは正確な射撃
ピシンギーニャは議論の余地がない
ノエル、カルトーラ、オレスチスを取ろう
カエターノとジョアン・ジルベルトを

ヴィヴァ! エラズモ、ベン、ホベルト
ジルとエルメート、
すべての楽器奏者に拍手を
エドゥ、ビトゥーカ、ナラを護ろう
ガル、ベターニャ、ヒタ、クララを
エヴォエ! 若者のヴィジョン

僕の父はパウリスタだった
祖父はペルナンブカーノ
曽祖父はミネイロ
高祖父はバイアーノ
長い歴史のある道を僕は行く
僕はブラジルのアーティストだ

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2005年12月17日

12月17日に聴いたレコード

*7時30分に起床。入浴後、仕事をしながら。

『バッハ・ブランデンブルク協奏曲/カール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団』AB面

『サンバ・パラ・ティ/ブルーノ・バティスティ・ダマーリオ』

『パラトドス/シコ・ブアルキ』

『ソニー・クラーク・トリオ』(ブルーノート)B面

『ナイチンゲール/ジョージ・アダムス』A面

*遅い朝食を食べて、スカイパーフェクトTVでラグビーを二試合観る。終わってまた少し仕事をしながら。

『ア・アルチ・マイオール・ヂ・レニー・アンドラーヂ』A面

『ア・ノイチ・ド・メウ・ベン アス・カンサォンス・ヂ・ドロレス・ドゥラン/ナナ・カイミ』A面

*公園を散歩して夕食の買い出し。以下、夕食の仕事をしながら。

『クロージング・タイム/トム・ウェイツ』A面

『マネー・ジャングル/デューク・エリントン』B面

『クアルテート・エン・シー・エン・1000キロヘルツ』B面

『ア・サーテイン・スマイル ア・サーテイン・サドネス/アストラッド・ジルベルト』A面

『ヒーズ・ファニー・ザット・ウェイ/アン・バートン』B面

『ヨーロピアン・コンサート Vol.1/MJQ』A面

『バッド・ハビッツ/ビリー・フィールド』B面

*夕食を食べながらスカイパーフェクトTVでマイケル・チミノの「サンダーボルト」を観る。酔っ払って眠たくなったので今日はもう寝ます。

*A面B面の表記があるものがLPで、ないものがCDです。

*今日の小さな再認識
今度はシコ・ブアルキの「ショーロ・バンヂード」を聴こうと思って『パラトドス』をかけたのですが、これは本当に素晴らしいアルバム。数あるシコの作品の中でも一、二を争う傑作だと思います。この年(一九九四年)トムが亡くなってしまったこともあって、「マンゲイラのピアノ」のデュエット(トムの『アントニオ・ブラジレイロ』とは別ヴァージョン)は特に心に沁みます。
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2005年12月16日

ポルトガル語の辞書

「どんな辞書を使っているんですか?」とeメールをいただいたので、本当にどうでも良いことなのですが、日ごろ良く使っている三冊をご紹介します。

Melhoramentos「Michaelis」dicionario pratico portugues-japones
二〇〇〇年に初版が発行されたポ和辞典。とにかく厚い。全791ページ。僕は光栄にもヴァスコ・デブリートからプレゼントされました。耳元で「これでシコの小説も訳せるね」と囁かれながら。うーむ…。

Melhoramentos「Michaelis」pequeno dicionario
ポ英+英ポ辞典。ポケットサイズですが、重宝しています。

カーザ・オノ商会 「ローマ字ポ和辞典」
それほど厚くないのですが、熟語と例文において他の追随を許さないと思います。

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2005年12月15日

ラティーナ・バックナンバー

eメールで質問もいただいたので、引き続き、僕が普段重宝している過去10年くらいの「ラティーナ」のバックナンバーを紹介します。

1993年10月号〜94年2月号
エレンコ・レーベルの軌跡[全五回]
 MEシリーズの主要な全アルバムを解説しています。大変詳しくて、非常に参考になります。

1994年3月号
シコ・ブアルキ・ディスコグラフィ

1997年6月号
カエターノ・ヴェローゾ・ディスコグラフィ

1998年8月号〜10月号
ヴィニシウス・ヂ・モライス物語[全三回]
 これも非常に詳しくて参考になります。

といったところでしょうか? ほかにも思い出したらまた紹介します。
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2005年12月14日

イザウリーニャ・ガルシアの死亡記事

また「古い「ラティーナ」のページを捲っていたら……」という話。1993年12月号にイザウリーニャ・ガルシアの死亡記事があるのを見つけました。亡くなったのは知っていたけれど、こうやって紹介されていたとは知りませんでした。古い「ラティーナ」にはこのように、何年も経ってから「お」と思う記事が少なくありません。

それで知ったのですが、ジョアン・ジルベルトのレパートリーとしてお馴染みの「De conversa em conversa 」(ルーシオ・アルヴィスとアロルド・バルボーザ作)は彼女の持ち歌だったのですね。

でもこの記事には書いていないのですが、ボサノヴァ・ファンにとって彼女の名前は「Meditação 」(ニュウトン・メンドンサとトム・ジョビン作)を初めて歌った歌手として光り輝いています。さらに、彼女が歌詞の中に「アイ、アイ、アイ」などというアドリブを入れてしまったために、トムがその録音を全然気に入らないで、ジョアンの二枚目のアルバムで「救済」しようとしたという事実によって記憶されています。

しかしこの記事によると、旦那のヴァルテル・ヴァンデルレイとは「嵐のような結婚生活」だったとのこと。一体どんな?
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2005年12月13日

カエターノ、ジル、ガルVSパウリーニョ

シコ・ブアルキのDVDを観ていて、どこかに記事があったはずだと思って探していたものが見つかりました。「ラティーナ」の1996年3月号。95年の大晦日にコパカバーナのビーチで行なわれた、トム・ジョビンへのオマージュを捧げる年越しのイヴェントの記事が出ています。

出演者は、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、シコ・ブアルキ、ミルトン・ナシメント、パウリーニョ・ダ・ヴィオラなどなど。全長6キロに及ぶ砂浜が客席で、ステージは高さが40メートル、幅が80メートル、動員した観衆は250万人と、途方もないその規模が伝えられています。

でもこの記事、後半はこの日の出演者たちの仲違いをスキャンダラスに報じる記事なのです。何でも、カエターノ、ジル、ガル、シコ、ミルトンがこの日の出演料として10万ドルを受け取ったのに対して、パウリーニョには3万ドルしか支払われなかったそうな。それで新聞紙上での大論争に発展してしまったようなのです。しかしこのメンバーだったら、僕はパウリーニョの肩を持ちたくなるな。

そして、この記事を書いたエイトール・アラウジョは、「たった一度の出演でギャラが10万ドルという事実は、大多数の労働者が1ヶ月働いて200ドルを得ている国には馴染まない」と切り捨てています。

で、もう仲直りしたのでしょうか? ブラジル人ってすごい喧嘩をするけれど、いつの間にかまた仲良くなってたりするからなあ。
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2005年12月12日

映画「トーク・トゥ・ハー」

*今日は一日数字とにらめっこして仕事。疲れ果てて夕方吉祥寺を散歩していたら上田力さんとばったり。帰宅して再び数字、数字、数字。音楽はほとんど聴かず。こういう日もあります。

カエターノが出演して一曲歌っている、スペイン映画「トーク・トゥ・ハー」をスカイパーフェクトTVで観ました。

カエターノが歌うシーンのほかにも、エリスの「ポル・トーダ・ミーニャ・ヴィーダ」(アルバム『エリス&トム』収録)がBGMとして効果的に使われてる箇所がありました。おまけにこれも重要な台詞の中に、トム・ジョビンの曲の歌詞からの引用もあります(「トリスチ」のことではないかと思う)。このペドロ・アドモロヴァルという監督(脚本も彼)、絶対にジョビン・フリークだと思います。最新作は「バッド・エデュケーション」という映画のようですが、今後の動向に注目です。
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2005年12月11日

12月10日に聴いたレコード

*今日は寝坊しました。10時に起床。入浴して仕度をして秩父宮ラグビー場に出かけてトップリーグ二試合を観戦。以下、帰宅して夕食の仕度と仕事を交互にしながら。

『エスコーラ・ヂ・サンバの首領/カルトーラ第一集』AB面

『ヴァモス・ジュントス/トッキーニョ ライヴ・アット・ブラバス・クラブ86』A面

『イパネマの娘/バーデン・パウエルの偉大な世界 第一集』A面

『グルーポ・マニフェスト』AB面

『ジャズ・セバスチャン・バッハ/スウィングル・シンガーズ』A面

『ゴーイング・ホーム/LA4』A面

『ゴーイング・ホーム/アート・ペッパー』A面

*夕食を食べてワインをがぶ飲みしながらボギーの映画を二本観る。以下、もうちょっと仕事をしないとなあと思って再びパソコンに向かいながら。でもさらにワインを飲みながら。

『バランサンバ/ルーシオ・アルヴィス』

『エドゥの大罪/エドゥ・ロボ』

*A面B面の表記があるものがLPで、ないものがCDです。

*今日の小さな発見
「ショーロ・バンヂード」を聴こうと思って『エドゥの大罪』をかけたら、「ファランド・ヂ・アモール」が入っていました。そうだった。すっかり忘れていた。

*今日の小さなぼやき
二十年くらい通っていた吉祥寺の中古レコード店が閉店したのを今日知りました。買ったレコード、売ったレコード、楽しい思い出です。800円で売ったレコードが8000円で売られていたこともありました(笑)。もともと僕が吉祥寺を好きになった理由の一つに古本屋と古レコード屋が多いという項目があったのですけれど、最近はもうそんなことは言えなくなってしまいました。街を歩く楽しみがまたちょっと減ってしまいます。O店さん、長年お世話になりました。
posted by naoki at 02:06| Comment(12) | TrackBack(2) | 今日聴いた音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月10日

ボサノヴァがボサノヴァであるからには

常々思っているのですが、ボサノヴァのような音楽はほかにあまりないのではないでしょうか? ある都市の、ある地域の、ある時期の、ある若者たちのグループが始めた音楽が、あっと言う間に世界を制してしまったのですから(ちょっと単純化して言っていますけれど)。なぜそんなことが可能だったのか? それはやはりボサノヴァの精神性みたいなものが大きく作用していたのではないかと思います。

様式として非常に完成度が高かったことに加えて、ボサノヴァをボサノヴァたらしめていたのは、おそらくそこに流れていた共通の感覚と言うか姿勢と言うか精神状態だったのではないかと思うのです。それはきっとボサノヴァが「仲間内の音楽」「友人同士の音楽」だったことと無縁ではありません。

僕の「愛と微笑みと花」で紹介した、ニュウトン・メンドンサが亡くなった直後のジョアン・ジルベルトの美しい逸話があります。僕はそれをポルトガル語の文献で辞書を片手に読んでいて泣けてしまいました。ボサノヴァというのは、「ボサノヴァの歴史」で読むことのできるそういう無数のエピソードと密接に結び付いている音楽です。基本的に、彼らはお互いが大好きだったのだと思います。『愛と微笑みと花』(「meditaçao」の歌詞の一節であり、ジョアン・ジルベルトの二枚目のアルバムのタイトルでもあります)という言葉はだてではないのです。

こういう言い方を嫌いな人はたくさんいるでしょうし、僕だって毎日言うつもりはさらさらないのですが、ボサノヴァは「愛の音楽」なのだなあと思います。

そういうことを書くと、あらゆる音楽は愛の音楽ではないかとか、ではジャズは愛の音楽ではないのかとか、ロックだって愛の音楽ではないかとか、サンバはどうなのだとか、タンゴはどうなのかとか、レゲエはどうしたのかとか、いろいろご意見があるかもしれません。

でも、少なくとも20世紀中盤以降に誕生したポピュラー・ミュージックは、そのほとんどがある種の「屈折」をアイデンティティとして成立していると思います。ボサノヴァのように無邪気に(無邪気すぎて危険なくらい無邪気に)立っている音楽って意外とないのではないかというのが僕の認識です。ここでもボサノヴァの特異さが際立っています。

この話はなかなかまとまらないのですけれど、あと一つだけ、ボサノヴァを理解するキーワードだと僕が思っている一語を挙げておきます。それは、アミザーヂamizadeです。

辞書を引くと、愛情、友情、親切、好意などという言葉が出てきます。僕は普通は「友愛」と訳しています。この言葉は、歌詞の中にはあまり出てこないのですが、ボサノヴァの草創期について書かれたポルトガル語の文献を読んでいると実に頻繁に出てきます。

やはり彼らはお互いが大好きだったのではないかと思うのです。そして、彼らは音楽をするために集まった仲間と言うよりは、むしろ集まった仲間で音楽を作り始めた……それがボサノヴァだったのではないかと思います。ですからボサノヴァというのは、そういう人間関係の基盤の上に確立された音楽だったのではないかというのが僕の理解です。そのことを抜きにしてジョアンのコードワークを論じても、トムのアレンジを論じても、片手落ちではないかと思うのが正直なところです。

シコのDVDを僕が絶賛したのも、そこのところがちゃんと伝わってくる映像だったからです。そこがいちばんストレートにハートに来るのです。

うーむ、やはりまとまらないなあ。あと一つ、スポンテニアスということも言いたかったのですが、それはまたいずれ書きます。
posted by naoki at 03:21| Comment(14) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

トム・ジョビン11回目の命日

日付が変わってしまいましたが、12月8日はトム・ジョビンの11回目の命日。今夜は赤坂Bフラットで上田力さんのジョビン・マイ・ラヴのライヴを聴きました。

上田さんは1stステージでこうおっしゃっていました。「同じく12月8日が命日のジョン・レノンは25回目の命日だとマスコミで賑やかに取り上げられているのに、20世紀最高のロマンティックなコンポーザーであるジョビンの命日に、日本では私たちのこのライヴくらいしかイヴェントがないのは淋しいです」と。

確かにそうです。それは12月8日だけの問題ではありませんが、トム・ジョビンのことはあと少し、あともう少しだけでもこの日本でも顧みられると良いのになあと常日頃から思っています。

それにしても今夜は思いがけぬ出会いもあって、極めてトム・ジョビン的な一夜ではありました。あ、もちろんライヴもとても良かったです。

*えんたつさん、再びありがとうございます。お書きになっている通りのことを僕も考えていて、そのことについては稿を改めて書きます。