2008年01月31日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(6)

1988年。ニューヨークのアパートメント。
トムはピアノで「コヘンテーザ」を弾いています。アナとマウーシャ・アヂネがピアノのそばで歌っています。ジョアン・フランシスコがふてくされた顔をして聴いていたかと思うと、部屋を歩き回って三人を邪魔しています。そうかと思うとマウーシャに寄り掛かってふざけています。

トムはセントラルパークで「シャパダォン」を朗読しています。
続いてセントラルパークを歩いているトム。BGMは「サウダーヂ・ド・ブラジル」。トムは、「『奥地は至るところにある』。ギマランエス・ホーザの言葉だ」と言います。そして「シャパダォン」の朗読が続きます。
続いてアナのナレーション。バックにはアナが撮ったニューヨークのアパルトメントのモノクロ写真。
「それは30階建てくらいの高層マンションだった。私はすでに6階の部屋を選んでいた。景色はまったく見えなかったが、サイズは二倍で、価格は半値だった。契約の日、トムはあまり気が進まないようだった。賢明な不動産屋は言った。『素晴らしいものをお目に掛けましょう』。彼女は私たちを22階に連れて行った。トムがそこに着くと、景色が見えて、ガラス張りだった。『ア・ヴュー・ウィズ・ア・ルーム』とのちに彼は命名した。彼はすぐに言った。『ここを買おう』。私は言った。『高過ぎるし、狭いわよ』。トムは言った。『でもこれこそ僕が欲しい部屋なんだ』。次の日、会計士から電話があった。『アナ、お願いだからトムにこのアパルトメントを買わせないで下さいよ』。私は言った。『彼は決めてしまったの。彼は買うわよ』。契約のあと、会計士は言った。『彼が正しいんだと思います。たぶん私は彼がすることよりもお金の方が気になるだけなんです』」

トムがそのニューヨークの自室でピアノを弾いています。曲は、「我が友ハダメス」。再びアナのナレーション。
「部屋全体が統率されていた。ラジオとテレヴィは子供の部屋だけで点けても良いことになっていた。それは敬意のための当然のことだった。騒音は彼を混乱させるからだった」
トムがハダメス・ニャータリについて話している声が重なります。
「我が友ハダメスは最高だった。彼は森の中の晴れた日であり、愛の戯れだった。高い水であり、決して乾かない泉だった。美しい滝であり、ペテーカの羽だった。神は何を与えるべきかを知らなかったが、ハダメスはたくさんのものを与えてくれた。パンをもっと。イワシをもっと。ハダはコンサート演奏家で、作曲家で、ピアニストで、指揮者で、マエストロだった。そしてそれ以上に友人であって、常に僕と連れ立っていた。いつもくっついているおまけみたいに。彼は皆を助けた。僕が彼を助けたよりもずっと。ハロー、ハダメス。電話しているのは僕だ。ショッピでも飲まないか? トム・ジョビンだよ。いつもの角で拾うよ。小銭は持っているからね」
そしてトムは続けて、「この素敵なメッセージは親しいメストリのハダメスのために書いたものだ。彼は皆を助けたんだ。数ヶ月前に亡くなったんだよ。ブラジルの偉大な作曲家で、マエストロだ」と、ちょっとしんみりした感じで言います。このハダメスへのメッセージは「シャパダォン」のリズムと一致していて、一篇の詩のようです。

続いて1987年までトムのニューヨークの住所だったアダムス・ホテルの写真。「2 EAST 86 ST.」という番地も映っています。BGMは「イマジーナ」。アナのナレーション。
「トムは暮らしていたところではどこでもまったく同じだった。ほとんど同じように続けていた。ピアノ、家、子供たち。彼には独特の日課があった。ニューヨークにいた時にはお忍びの外出を好んだ。彼はニューヨークは農場みたいだと言った。でも彼は人に気づかれるとそれを喜んだ」
「ある意味では、彼はニューヨークにいる必要を感じていた。ニューヨークにするべきことがあったからではない。絶対に違う。彼は仕事に集中したかったのだ。彼は世の中のことは気にしていなかった。リオでは、ブラジルでは、彼には友人がいて、家族がいて、共作者がいて、仕事ができなくなるのは茶飯事だった」

*続く。
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2008年01月28日

World of Emily Roger Johansen

レコード屋と言うかCDショップと言うか、そういう店で掛かっているディスクに心を惹かれることは良くありますが、どういうディスクなのか確かめもしないで「これください」と言ったのはたぶん20年ぶりくらいです。そしてこれが期待に違わず良い出来でした。今夜の気分に染み入ります。女性ヴォーカルをフューチャーしたノルウェイ発のモダンジャズ。全曲オリジナル。vocalはMarit Sandvikという女性。こういう音を待っていたのだという好盤です。北欧の厳しい冬を思って、今夜は酒が進みます。

『World of Emily』 Roger Johansen(Drums)


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2008年01月27日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(5)

「イパネマの娘」が流れて、ピンクのシャツのトムが語ります。
「400曲も書いている僕のような作曲家であっても、その中のたった1曲か2曲で有名になるものなんだ」
イパネマのビーチのトムの美しい写真。
「僕たちがこの曲を書いた時、イパネマのビーチはまだ世界に知られていなかった。全然知られていなかったんだ。今日ではイパネマのビーチは全世界に知られている。当時のアメリカの作詞家は『イパネマ』という言葉を使いたがらなかった。『イパネマなんて誰にもわからないよ』と言うのさ。僕は彼とニューヨークのタクシーの中で議論した。僕は言った。『君はイパネマという語を入れなくちゃいけない。それはとても重要なんだ。なぜならそこは娘たちが歩き過ぎていくところだからだ。それは世界共通なんだ。世界に共通する普遍的なセンチメンタルなんだ。君はそこに座っている。美しい娘が通り過ぎる。君はそこで仕事をしている人夫かもしれない。娘が通り過ぎる。君は手を止めて彼女を見る。それが普遍的なセンチメンタルなんだよ』。たぶんそれがこの曲が時代を超えて生き続けている理由だ。娘は今でもビーチに向かっている。彼女たちはどんどん美しくなっている」
やや間があって再びピンクのシャツのトム。
「その時僕たちはビーチに行きたがらなかった。ショッピを飲んでいたんだ。人々は知識人はビーチに行きたがらないと言う。彼らは酒を飲んでいるからだ」

1987年のリオのシュハスカリア「プラタフォルマ」の写真が映ります。トムが「僕は『モヂーニャ』と呼んでいる曲を半ダースも書いた。たくさんの人が心配するとは考えてもみなかった」などと喋ります。そして緑のシャツのトムのインタヴュー・シーン。
「この2年間に僕はアメリカであらゆる種類の賞をもらった。海外の賞をもらえばもらうほどブラジルのマスコミは賞について言及するのを避けるようになる。そして君について個人的なコメントを始めるようになる。彼らは君が敗北のために闘っていると言う。有名な作曲家を非有名にするための、人々から愛されないようにするための闘いを。芸術家を金銭だけに関心のある無節操に変えるための闘いを。彼らは芸術について話す代わりに金銭について話すんだ。まるで芸術の目的が金銭を稼ぐことであるかのようにね。それはないよ。それはちょうど聖書に書いてあることだ。神に任せよだよ。シコが彼の曲で歌ったようにね。神と議論をするべきだ」(後略)
さらに、レブロンで「ファヴェーラを買えば良いのに」と言われた時の話をしています。

*続く。
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2008年01月23日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(4)

場面は変わって車が山道を走っています。トムが歌う「ヂンヂ」が流れます。トムが乗用車を運転しています。緑の山々。舗装されていない道路。「1988年、ポッソフンドの農園」という字幕。ここがあの、トム・ジョビンの名曲の数々を生み出した、リオから車で二時間のところにあるポッソフンドです。もともとトムの母方の農園があったところで、トムが創作活動を始めてからは「田舎の隠れ家」にしていたところです。トムが車を運転しながら話します。
「最初にここに来たのは1942年か43年だったと思う。叔父がここに大きな農園を持っていたんだ。僕たちはいつも道路で野生の動物を見たよ。アライグマやアルマジロやテンジクネズミが道を横切っていた。『あそこを見ろよ。テンジクネズミだよ』ってね。ほら、あそこにいるウルブを見上げてごらん」(後略)
トムは運転しながら左手を指して、「これがヂリンヂへの道だ。僕の曲『ヂンヂ』の言葉の語源だよ」と言います。

そしてあの例の「三月の水」が生まれた川が映ります。トムが語ります。
「ここは古いやぶの一つだよ。たぶん100年以上経っていると思う。大きなオオシギダチョウやホウカンチョウがたくさんいる。そういう野生動物がね。(指差しながら)あそこに平べったい岩がいくつもある。僕たちは良く次から次へと飛び移ったものだ。反対側のやぶに辿り着くためにね。そしてこのやぶ中を歩き回ったよ」

トムはポッソフンドの別荘のピアノで「我が友ハダメス」を弾いています。アナのナレーションがかぶさります。
「ポッソフンドは家族の静養先として使われていた農園だった。一人一人がそれぞれの家を持っていて、でもそれぞれがとても近かった。ランチやディナーは一緒に取った。そしてそういう集まりは最後はいつも全員で歌うことになった」

「我が友ハダメス」が流れる中、ポッソフンドでまだ幼いアナ・ルイーザをあやすトム。ジョアン・フランシスコの前でトムが鳥を空に放つシーンもあります。続いてパジャマの上に上着を羽織って山道を散歩しているトム。アナのナレーション。
「ポッソフンドはトムに多大なインスピレーションを与えた場所だった。彼はそこで自然と密接な接触を持っていた。ポッソフンドは彼が15の時からの彼の人生の一部だった」
トムは地面に生えている草を千切って食べます。そして言います。
「こういう野生の植物は、やぶに住んでいてインディオの血が流れている人間しか食べられないんだ。僕のようにね。毒があるんだよ。それこそ僕が被っている長生きの源なんだ。長寿食だよ」

「バラに降る雨」が流れて、アナが撮影した美しいブラジルの自然の写真をバックに、トムが語ります。
「神は地球のような惑星をたくさん持っているに違いない。宇宙にはたくさんのブラジルがあるんだ。神にとっては大した違いはないんだ。最後に世界の破滅が我々のとんでもない無能さを証明するだけだとしても。我々が本当に害虫であることをね」
ここで、「僕のすべての作品は大西洋の森にインスパイアされている」というトムの言葉が映し出されます。

アナのナレーションが流れます。
「森の写真は自然な帰結だった。トムと一緒に過ごした私の人生の。写真は彼が私に示してくれた基本的なものごとに近づくことを私が見つける方法だった」

ポッソフンドの谷をバックにパジャマの上に上着を羽織ったトムが語ります。
「あらゆるブラジル人はマッチ箱を持つための免許を取るべきだ。拳銃を持つのに免許が必要なように、公認の許可をね。マッチ箱を持つための免許があるべきだ。なぜならこの7月や8月に、誰かがここに来てやぶとか道路でマッチを点けると、火事が起こって今君が見ているこのすべてのものを焼き払ってしまうからだ。大惨事だよ。ブラジルで起こったそういう火事の中にはミナスジェライスで始まってエスピリートサントの海岸までを焼いた火事もある。以前にルイス・ボンファと僕がベロオリゾンチからリオに戻るのに飛行機が飛ばなかったことがある。煙のせいだよ。火事の乾いた煙のね」

「ヴァルシ(ワルツ)」が流れて、画面は大空を舞うウルブ。トムの声。
「1年のこの時期にはここではターキー・ウルブが見られる。彼らは火事で死んだ動物を食べに来る。ヒキガエル、カエル、トカゲ、ヘビ。彼らはスネーク・ウルブとも呼ばれる。かつては彼らにとってここに棲息するのはとても困難だった。なぜならここはすべて手つかずの森だったからだ。彼らは動物が地上にいるのを見ることさえできなかった。臭いを嗅ぎ通すことのできるヒメコンドルだけが地上の動物の死体を見つけるために森に入ることができた。普通のウルブは視覚を使っているので駄目だった」

「三月の水」が生まれた川の淵にいるトムの写真が映って、トムの声が流れます。画面は途中からまたポッソフンドの谷をバックに語るトムの姿に変わります。
「普通は川は下水道として、ゴミだめとして使われている。ちょうど海のように。実際の問題として、僕は僕の詩「シャパダォン」でコメントしている。妻が忘れないようにと紙をくれた。(折り畳んだ紙を広げる)
『ミスター・ウルブ、ゴミ・ボーイ、
 状況に直面できるかい?
 1年中ハードに働いて
 休暇でも取ったらどうなんだ?
 ありがとう、兄弟、
 レッド・ウルブ、我が友よ、
 のろまの国のがらくたを
 君は最後まで掃除している
 彼らは君がとても醜悪だと言う
 不幸で、野生で、粗野だと
 君はかけがえのない寄付だ
 永遠の忘恩だ』」。
人間の破壊が増えると、ウルブは増え、僕たちが見るウルブも多くなる。彼らの数は増え続けている。なぜなら明らかに、もし殺害して破壊するなら、ウルブに餌をやっていることになるからだ」

このあとインタヴュアーが「奥地のことについて話してください」と言うのですが、トムは「それよりも家畜のことを話したい。話すことがあるんだ」と言います。アナの声が流れます。「トムはギマランエス・ホーザを良く読んでいた。彼の大のお気に入りだった」。そしてポッソフンドの住人らしき人と話しているトムが映ります。アナの声が続いて流れます。「彼はポッソフンドの人々にギマランエス・ホーザの作品で彼が賞賛していたものと同じ真実を見出していたのだと思う。素敵な物語でいっぱいの登場人物たち」

ポッソフンドの山道にTVのケーブルがあるのをトムが指差して、次のような思い出を語ります。
「おかしな話があるんだ。僕がフランク・シナトラとレコーディングした時、サン・ジョゼの人々はシナトラがそこにいると思ったんだ。僕は川のそばに小さな家を持っていた。彼らはそこにやって来て中に入りたがった。シナトラに会うためにね。僕は『シナトラはいないよ』と言った。でも彼らは信じようとしなくて、僕は彼らを中に入れた。彼らはベッドルームに行ってベッドの下を覗いたんだ。想像してごらんよ。シナトラがポッソフンドのベッドの下に隠れているところを」
さらに、
「僕はシナトラがくれたジャケットを持っていた。彼らはそれを持って行ってしまった。盗まれたんだ。良いジャケットだったんだけど」

*続く。

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2008年01月19日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(3)

場面は1987年のニューヨーク。「シャンソング」が掛かって、白のジャケット姿で散歩をしているトムが映ります。これも、TVグローボの特別番組「アントニオ・ブラジレイロ」の映像ではないかと思われます。トムの声が流れます。
「ボサノヴァは実際に大成功した。ヴィニシウス・ヂ・モライス、ジョアン・ジルベルト、ニュウトン・メンドンサ、ドロレス・ドゥランに会ったことで。僕たちはたくさんの曲を書き上げた。そしてイタマラチによって米国に送り込まれた。僕は行きたくなかった。ブラジルに留まっていたかった。でも行かなければならなかった」
画面では、ニューヨークの葉巻屋に入ったトムが、「ミスター・ジョビン、ご機嫌いかがですか?」と歓迎を受けています。少しの間のあとにまたトムの声。
「僕はブラジルから出たことがなかった。アメリカに着いた時……」ここで緑のシャツでインタヴューに答えている場面に変わって「『待てよ。すぐに帰らなくても良いのかもしれないぞ』。雪とかいろいろなものの誘惑もあった。ブラジル人たち、僕の同市民たちは、コンサートが終わると帰って行った。当時のニューヨークには米も豆もなかった。僕はポテト市民だった。ドイツ、ロシア、ポーランドの影響でアメリカ人もポテトは食べていた。ニューヨークで米を頼みたければ、ウェイターが君をこんなふうに見たら、彼にはおかしいとわかっている。キッチンには、プエルトリコ人やキューバ人のために米があるのを発見した。だからウェイターにコックを捕まえて欲しいと頼まなくちゃいけない。そうすれば米にありつける。今ではニューヨークにはたくさんの米があるけれどね」

ニューヨークを散歩するトム。白いジャケットからトレンチコートを着ている場面に移ります。トムの声。
「僕にとってニューヨークは一種の休息の場所だった。つまり、僕が考え、働くことができる場所だ。宿題をするようにね。だってリオはあまりにも美し過ぎるし、あまりにも気が散り過ぎる」
セントラル・パークのトム。少し間があって再びトムの声。
「人は僕に住所を訊ねる。『どうして? ニューヨークなんかにいるの?』。でも住所は重要じゃない。特にある歳になるとね。どこに住もうと知ったことじゃないさ」(後略)
やや間があってまた緑のシャツのトムが喋ります。
「ドゥルモンドは彼の素晴らしい詩の中で言っている。『申し訳ないが、もう遅いのだ。私は開拓者の前に来たように感じている』。彼が開拓者より前に来ているというのは、なぜなら開拓者は虚構だからだ。塀を建てたり、何かを建てたりする人がいる。ウルブが上を飛んで行く」

*続く。
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2008年01月17日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(2)

オープニングには「アナのテーマ」が流れ、トムの詩の字幕が現われます。

「何かを理解するためには、
 愛さなければならない。
 君が愛すれば、
 キャパシティが生まれる。
 君が何かに興味を持てば、
 君は観察を始める。」

最初に「アナのテーマ」をバックに、1987年にニューヨークのセントラルパークで撮影されたトレンチコート姿のトムが映し出されます。これはおそらく同年のTVグローボのトムの60歳を記念した特別番組「アントニオ・ブラジレイロ」の映像です。

そしてトムがリオのジャルヂン・ボタニコ地区の自宅のヴェランダで前述の「エンサイオ・ポエティコ」から詩「シャパダォン」を朗読している映像が流れます。トムは緑のシャツを着ています。これも87年の「アントニオ・ブラジレイロ」のシーンかもしれません。

今度は「太陽の道」のピアノが流れ始め、ジャルヂン・ボタニコの自宅を建て始めた1979年のモノクロの写真が映ります。そしてアナのナレーションが流れます。
「トムは私たちが家を建てることになったジャルヂン・ボタニコの土地を選んだ時、詩を書き始めた。家が建つまでには4年を要したが、詩には8年掛かった」
その詩というのが「シャパダォン」です。

トムによる「シャパダォン」の朗読がまたバックに流れたあと、ジャルヂン・ボタニコの自宅が完成した1983年の「ピアノの引っ越し」のモノクロ写真が映ります。そしてアナのナレーションが流れます。
「引っ越しの日、トムの唯一の関心事はピアノだった。彼は自分で引っ越し会社に電話を掛けた。旧居から出て新居に着いて居間にピアノを設置するまでの一つ一つの工程を気に掛けた」
少しの間があってまたアナのナレーション。
「私の心にはトムの一つの映像がある。彼が階段から散らかった中に降りて来る。中にいくつかのものを入れた小さなペルーのストライプのバッグを持っている。『あらトムお引っ越し?』とそれを見た私は言う。彼は気が付いて、立ち止まって微笑む」

今度は「ウルブ」が流れて、ジャルヂン・ボタニコのカラー写真。またアナのナレーション。
「トムは森の近くに住むことを選んだ。その家は自然保護地区からすぐのところにあって海も見えた。ジャルヂン・ボタニコは私たちの家の裏庭だった。メディテイションの場所であり、彼はほとんど毎朝そこを散歩した」

今度は1992年のリオでのインタヴュー・シーン。トムはピンクのシャツを着ています。
「僕が子供の頃、ブラジルの人口は3千万人だった(註:現在は1億8600万人)。ブラジルは無人の広大な国だった。森と野生の動物で一杯だった。人は野生の惑星の知られざる春に抱かれて眠りに就いた。リオは完全な自然だった。イパネマの砂浜は美しくて、砂は柔らかくて、歩くと砂がクィンクィンと歌った」(後略)

画面にはマンゲイラのポルタ・エスタンダルチとイパネマのビーチで撮った写真。曲は「マンゲイラのピアノ」。トムの声が流れます。
「僕は1歳の時すでにイパネマに住んでいた。僕の最初の記憶はイパネマの記憶であり、砂丘の記憶なんだ。美しいビーチの砂州、粗い砂、大きな貝殻。あらゆる種類のボラ、カマス……。僕は少年時代と青春時代をここで暮らして幸福だった。この世界にいることを幸福だと言えるのならね」(後略)

今度は1989年のリオでのインタヴューのシーン。トムは緑のシャツを着ています。そうすると最初のリオでの「シャパダォン」の朗読のシーンもこれと同じ時かもしれません。
「ヴィラ・ロボスは36歳の時にヨーロッパに、パリに移った。僕が36の時にニューヨークに移ったのと一致するんだけどね。ヴィラ・ロボスはパリに住んで長らく仕事をしたあと、ニューヨークに移ってアパートを借りた。ブラジルの左翼たちは彼を非難し始めた。『米国に引っ越したって?』 (鳥が鳴いているね)左翼たちは『彼は米国のドルが欲しいんだろう』とか何とか言った。ヴィラ・ロボスはインタヴューに答えて言った。『その通りだ。世界は将来は社会主義と共産主義になって問題を解決するだろう。でも今のところ私は米国のような市場を失うわけにいかないのさ』。考えてごらんよ。ヴィラ・ロボスは冗句屋だったのさ。天才で冷笑屋で、そういうことを言うんだ。『でも今のところ私は米国のような市場を失うわけにいかないのさ』。考えてみなよ。ヴィラ・ロボスは全然そういう人間じゃないんだよ。大変な貧乏だったんだ」

*続く。
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2008年01月15日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(1)

ジョビン・ビスコイト・フィーノから発売された表題の映像を観ました。トム・ジョビンの夫人アナ・ジョビンのディレクションで2007年末に発売されたばかりのDVDです。

感想を一言で言うと、ここまで私的な映像作品を良くリリースしたものだなあと。僕のような人間には涙が出るほど嬉しい作品なのですが、大半の部分はインタヴューとナレーションで構成されていて、演奏の映像が少ないので万人向けではないかもしれません。でもとても貴重な記録なので、ここでは内容を何回かに分けてお伝えしたいと思います。

タイトルの『ア・カーザ・ド・トム』が示しているように、モチーフになっているのはトムとアナが暮らしたいくつかの家です。第一にリオデジャネイロのジャルヂン・ボタニコの自宅、第二にポッソ・フンドの別荘、第三にニューヨークのアパートメントです。

そして、トムが書いた詩「シャパダォンChapadão」が全編を通じて朗読されています。トムとアナの「エンサイオ・ポエティコENSAIO POÉTICO」に掲載されている長大な詩ですが、エレーナ・ジョビンが書いた「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創った男」の邦訳版(青土社)にも掲載されています。僕が持っている版では282ページに載っていました。国安真奈さんはこのタイトルを「高原」と訳しています。

*続く。

2008年01月14日

今日聴いたジョビン・ソングブック(29)

*考えてみたらこれが今年初の書き込みです。皆さん明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

*「ジョビン・ソングブックス」は、トム・ジョビンの曲が多く含まれているディスクを思い出したり発見したりしたらまた少しずつ紹介していこうと思います。

オルフェの歌
ペリー・コモ
Perry Como
Lightly Latin
1965〜66
ブラジル色は希薄だが、シナトラ+ジョビン(1967年)のヒントになったのではと思わせる好盤。12曲中5曲がジョビン曲。コーラスの編曲はレイ・チャールズ。
3.5

ステイ・ウィズ・ボサノヴァ
ヴィック・ダモン
Vic Damone
Stay with Me
1966
12曲中6曲がジョビン曲。ヴィック・ダモンの声は今日の耳にはやや特徴に欠ける。
3

イパネマ ザ・ミュージック・オヴ・アントニオ・カルロス・ジョビン
小野リサ
Lisa Ono
Ipanema The Music of Antonio Carlos Jobim
2007
パウロ・ジョビン、ダニエル・ジョビン、ミウーシャをゲストに迎えたオーソドックスなジョビン集。2007年夏の記念コンサートのあとにスタジオ録音されたもの。編曲と演奏はバンダ・ノヴァ・スタイルで楽しめるのだが、歌がやはりもう一つ物足りない。
3

想いあふれて/ジョビン・マイ・ラヴ
上田力&ナンダ・ノヴァ
Chikara Ueda & Nanda Nova
Chega de Saudade / Jobim My Love
2007
原曲を完全に解体して、トロンボーン四本のアンサンブルでジョビン・ミュージックのハーモニーに新しい光を当てているユニークな一枚。いわゆるボサノヴァの典型的演奏を期待すると完全に裏切られる好演。
4

*今年はブラジルに行きたいと思っていたのですが、うーむ、来年になるかもしれません。