2009年05月21日

トム・ジョビンが何の影響を受けているって?

バド・シャンクのアルバムについて知りたいことがあったので、日米のウェブサイトを検索していたら、次のような文章を発見してしまいました。

(バド・シャンクは)53年にはギタリストのローリンド・アルメイダと手を組み、ブラジル音楽とクールネスを融合したサウンドを創り上げている。このサウンドは若き日のアントニオ・カルロス・ジョビンに大きな影響を与え、ボサ・ノヴァの形成に一役買ったといえる。

署名はないのですが、一応は仕事として執筆された文章のようです。文章の一部を取り上げてああだこうだ言うのはフェアではないことは承知しているつもりですが、それにしても、いったい何をどのように取り違えたらこのような奇妙奇天烈な解説が生み出せるのだろうと不思議に思います。腹が立つのを通り越して、呆れてものが言えない。全身の力が抜けてしまいます。

僕がトム・ジョビンについて何かを書いてみようかと最初に考えていた時に背中を押したのは、モダン・ジャズの世界の人たちのトムの音楽に対する無理解でした。いくら何でももうちょっとはトムに対する認識を改めて欲しいというのが動機の一つだったことを思い出します。ついでに言うと僕が「三月の水」を書いた7年前くらいは、ちょうど時代の谷間のような時期で、ブラジル音楽の世界の人たちの間でもトム・ジョビンについて改めて語るのは「クールじゃない」というような雰囲気がありました。ブラジル音楽のライヴハウスで「今さらジョビンと言われてもねえ」と嘲笑されたことを思い出します(まあ後者は今のこの文脈ではどうでも良いのですが……)。

とにかく僕が前述のバド・シャンクについての文章を読んで、しばらくの間愕然として、それから思い出したのが、先日のオスカー・カストロ・ネヴィスの来日時の記者会見での一コマでした。米国のモダン・ジャズ系のジャーナリストらしき人物がオスカー・カストロ・ネヴィスにこういう質問をしました。

「ディジー・ガレスピーは、キューバン・ミュージックとブラジリアン・ミュージックとアメリカン・ミュージックとは将来統合するのではないかと言っているのですが、それについてどう思いますか?」

オスカー・カストロ・ネヴィスの回答はそれほど重要ではないので割愛しますが(「ブラジル音楽には個性がある。ほかの音楽に飲み込まれることはない」などと答えていました)(オスカー・カストロ・ネヴィスが「アメリカン・ミュージックというのはジャズのことですか?」と訊き返したのはファイン・プレイだったと思います)、僕はそのジャーナリストの質問に引っ繰り返りそうになってしまいました。そういうことを言ったガレスピーもすごいけれど、そういうことを訊ねたそのジャーナリストもすごい。特別な意図があって特別な発言を引き出そうとしていたのなら別だけれど、そうでもなさそうな様子でした。

モダン・ジャズの世界の人たちは、何でもかんでも「この音楽はモダン・ジャズの影響を受けている」で片付けようとしてしまいます。それはあたかもアメリカ合衆国の世界観と軌道を一つにしているように僕には思えます。僕は少なくとも、「トム・ジョビンの音楽はモダン・ジャズの影響を受けているのではない」ということだけははっきりさせておきたくて、書籍や雑誌やこのブログで言葉を重ねているのですが、どうしても力がなく、声が小さいがために、モダン・ジャズの世界の人たちにはまったく届いていません。非常に残念に思います。

せめてもの救いは、山下洋輔さんが書いている「等身大の栄光 世界にとってアントニオ・カルロス・ジョビンは一人しかいなかった」という文章が存在することです(「アントニオ・カルロス・ジョビン ボサノヴァを創った男」などに所収されています)。この文章を読めば、トム・ジョビンの個性について僕の著書の何十倍も理解が深められることと思います。モダン・ジャズの領域にもこういう良心が存在することは嬉しく思います。山下洋輔さんには「ピアノなんか弾いていないでこういう文章をもっと書いて下さい」とお願いしたいくらいです。

ちょっとまとまらなくなってしまいましたが、「トム・ジョビン(とボサノヴァ)とモダン・ジャズとの関係」は僕にとっては重要なテーマなので、一言言っておくことにしました。なおこの問題には「ジャズ」という言葉の解釈の違いも非常に大きく影響していると思うので、そのことについてはいずれまとまった文章を書かなくてはと思っています。
posted by naoki at 03:24| Comment(1) | トム・ジョビン・没後10年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月17日

追悼 バド・シャンク

*ここのところ本当に誰それが亡くなったという話しか書いていないような気がします……。

バド・シャンクが4月2日に亡くなっていたことを知りました。考えてみるとずいぶんレコードを持っているミュージシャンです(単純に録音が多かったからという噂もありますが)。ジャズ・ジャイアントとは呼べないと思いますが、時折はっとさせられる美しくスムーズなフレーズがあって、それでまた1枚、また1枚と買い求めてしまう、そういうアルト・サックス(&フルート)でした。それに何よりも音色がたまらない。ここぞというところのアドリブで不発だったりすることがあるのも憎めません。アート・ペッパーにはなれなくて、明るく見せようとするのだけれど、キャノンボール・アダレイほど開き直れない、という印象でした。リー・コニッツから影響を受けていることは顕著だし、ジャッキー・マクリーンに影響を与えているのではとも思います。意外に歌伴が良くもあるのは、実は意外ではないのかもしれません。ともあれ、西海岸ジャズの代名詞のような一人でした。冥福を祈ります。

今日聴いた音楽 バド・シャンク特集

*以下、すべてLPで、AB面通して聴きました。

『バド・シャンク・クインテット・コンポジションズ・オヴ・ショーティ・ロジャース/バド・シャンク&ビル・パーキンス・クインテット(昼と夜のバド・シャンク)』1954・1955

『バド・シャンク&ヒズ・ブラジリアン・フレンズ』1965

『パヴァーヌ・プール・ユニュ・アンファント・デファント(なき王女のためのパヴァーヌ)』(ザ・LA4)1976

『イージー・ライク』(バーニー・ケッセル)1953・1956

『レット・イット・ビー』(ウィズ・ザ・ボブ・アルシヴァー・シンガーズ)1969? 1970?

『ザ・バド・シャンク・カルテット(イラストのシャンク)』1956

『ザット・オールド・フィーリング』1986

『シーム・ミュージック・フロム・ザ・ジェームス・ディーン・ストーリー』(チェット・ベイカー&バド・シャンク)1956

『ミッシェル』(チェット・ベイカー&バド・シャンク)1966

『ザ・スウィングス・トゥ・TV』1958

『ゴーイング・ホーム(家路)』(ザ・L・A・フォア)1978

『バド・シャンク・カルテット(横寝のシャンク)』1956

『ウェイター、メイク・マイン・ブルース』(アニタ・オデイ)1960

『アット・カル・テク』1956

『オール・スルー・ザ・ナイト』(ジュリー・ロンドン)1965

『ザ・ローリンド・アルメイダ・カルテット』1954

『ウィンドミルズ・オヴ・ユア・マインド(風のささやき)(魅惑のスクリーン・ジャズ)』1969

posted by naoki at 04:01| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

忌野清志郎さんのこと

というタイトルの文章を書こうと思ってこの10日間くらいパソコンに向かっていたのですが、長く長くなってしまって収拾がつかなくなってしまったので、その文章はここに載せるのはやめにして、代わりにざっくばらんに追悼の思いを記しておきたいと思います。

1980年から81年にかけて東京都多摩地区で高校1年生をやっているということは、おまけに同級生とバンドのようなものを組んでロックのようなものをやっているということは、もうそれだけで彼の弟分みたいな宿命になってしまうのでした。友人が『ラプソディ』のテープを持ってきた日のことは今でも忘れられません。当時の僕は英米のロックを聴きながら、スタッフやウェザー・リポートも聴いていたし、すでに『ゲッツ/ジルベルト』も聴いていたのですが、ほぼ100%海外の音楽しか聴いていなかった中で、彼の音楽だけは非常に直線的に心の中に入ってきました。それは多分に彼が多摩地区の出身で、スリークッションくらいの知り合いが周囲にたくさんいて(「キヨシなら知ってるよ」)、何となく親近感があったことも影響しています。ついでに言うと彼ならではの「ダブル・ヴィジョン」とでも呼ぶべき透徹した客観性と、ある種の野暮ったさを自認しながらエネルギーにしていくような感覚は、多摩地区の人間ならではの屈折が影響していると思います。

僕が彼に対する興味を失ったのは、坂本龍一と歌っているのをテレヴィで観てからでした。たぶん1982年だったと思います。何だか違ってしまったなあと思ったことを覚えています。ちょうどその前後から僕はロックをほとんど聴かなくなって(ジャズにのめり込んでいって)、日本国内のミュージシャンにも食指が動かなくなって、そのあと彼のことを気にしたことは一度もありませんでした。だから今回のニュースを知って(ちょうど僕たちは伊豆にいて、相方の友人がメールをくれて、彼がその前日に亡くなったということを知りました)、そのあとしばらく気分が重くなったのは、自分でも意外な感じがしています。

もう一つだけ言っておくと、彼はどうすれば日本語がメロディに自然に乗るかということを非常に真剣に考えていたミュージシャンです。歌を聴いているとそのことが非常に良くわかります。ボサノヴァを聴いている人にはそれがわかるはずです。

今はただ哀悼を捧げたいです。最後にあの夏の忘れられない第一声を。

「西武球場と言えば、昔よく、昆虫採集に来たぜ!」

80年代初頭の多摩地区の偉大なアニキ、忌野清志郎さんのご冥福を心から祈ります。
posted by naoki at 00:32| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする