2009年09月14日

エグベルト・ジスモンチ

エグベルト・ジスモンチのコンサートに行ってきました。

うーむ。僕はやはりジスモンチとは相性が良くない。その昔ECMのLPを何枚か買って聴いた時とまったく同じ印象を受けました。

僕は彼が何をやりたいのかが良くわからない。

残念です。






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2009年09月08日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(15)

僕はブラジルにおけるクラシック音楽の作曲家については、ヴィラ=ロボス以外はほとんど知識がなくて、あとはナザレーを数枚持っているくらいです。そういう立場であることを前提として言うと、ヴィラ=ロボスはアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)を初めとするブラジルのポピュラー音楽の作曲家に、非常に大きな影響を与えていると思います。

極端な言い方をすると、ヴィラ=ロボスを受け継いだのはむしろポピュラー音楽の音楽家たちだったのではないかと言いたいくらいです。作曲、編曲、対旋律、抑揚、句読点、フーガへの執着、チェロへの愛着、などなど。今日僕たちがブラジルのポピュラー音楽を聴いていて「ブラジル風」だと感じる旋律や和声、構成や展開は、その多くがヴィラ=ロボスに起源があったことが、今回のコンサートで確認できました。ヴィラ=ロボスの存在がなかったら、ブラジルのポピュラー音楽はどのような形になっていたのか、想像がつかないくらいです。

ヴィラ=ロボスの功績はそのようなところにもあると思います。その影響がクラシック音楽の世界だけに留まっていないところです。ヴィラ=ロボスを聴いたことのない人たちの間にも生き続けているところです。ポピュラー音楽が発展を遂げた20世紀の中盤から後半に掛けて、ヴィラ=ロボスはそのような形で「生き残った」のだと思います。

そのポピュラー音楽の世界の中で一番弟子的存在がトム・ジョビンです。ホベルト・ミンチュックも話してくれたのですが、トム・ジョビンはこれまで僕が思っていた以上にヴィラ=ロボスを微に入り細に亘り研究していたようです。そのことは今回の演奏でも充分に実感できました。ヴィラ=ロボスの存在がなかったら、少なくともトム・ジョビンの音楽は今日耳にできるものとはかなり異質のものになっていたに違いありません。

ただ、僕はこれまでヴィラ=ロボスの音楽にトム・ジョビンを通じて触れているようなところがあったので、これからはヴィラ=ロボスを正面からしっかりと聴いていきたいという思いを強くしています。これから好んで聴いていく音楽がちょっと変化していきそうな予感もしています。

トム・ジョビンがヴィラ=ロボスについて語っていることは、拙著「三月の水」の中で短い章を設けて書いていますので、ここでは多くは書きません。晩年のヴィラ=ロボスがブラジルにおいて狂人のように言われていた悲劇についても、トム・ジョビンは嘆きと憤りを込めて語っています。そのトム・ジョビンがヴィラ=ロボスに宛てて書いた「返事」の文章の結びの部分を、最後に引用しておきます。

親愛なるマエストロ、今日のブラジルではもうフランス風ビリヤードのような賭けごとはやりません。人々はもう帽子をかぶりません。夜が落ち、猿がパラミツの木に来て、僕はあなたを思い出しています。

*とりあえずこの話題は一度終わりにします。その後思い付いたことなどがあればまた付記します。
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2009年09月07日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(14)

書きたいことはすでにほとんど書いているので、まとめということもないのですが、最後に少しだけ付け足しておきます。

今思い出しても素晴らしいコンサートでした。2週間が経過した今でも、オーケストラの音が耳の奥に残っています。こういうことは本当に久し振りで、もしかするとジョアン・ジルベルトのライヴ以来かもしれません。僕の人生の中でも五本の指に入るくらいの素晴らしい音楽体験でした。

演奏も素晴らしかったのですが、「全曲通して演奏する」という企画そのものが秀逸でした。そういう意味では発想の勝利と言えるかもしれません。基本的なアイディアがチャレンジだったから、演奏の内容はもちろんのこと、すべてが型通りではなく、とても丁寧な仕事になったように思います。プログラムの解説やステージの設営まで、構成要素の一つ一つに音楽に対する愛情が感じられました。少なくとも僕はそう感じました。

個人的にはもちろんエイトール・ヴィラ=ロボスの素晴らしさを再認識できたことが最大の収穫です。なんという美しい音楽を書くのだろうと、改めて唸ってしまいました。録音を聴いているだけでは聴こえなかった音がはっきりと聴こえました。そしてヴィラ=ロボスはブラジルそのものなのだという思いを強くしました。

そういう意味では今回の企画の根幹はホベルト・ミンチュックを招聘したことだったと思います。繰り返しますが、「ブラジル風バッハ」を演奏するのに彼以上の適任者は世界中にいません。この曲ばかりは、ブラジル人が、あるいは少なくともブラジルの本質をきちんと理解している指揮者が振るべきだということを、演奏中に何度も感じました。

「ブラジルの本質」などということはとても一言では言えませんが、あえて言えば、愛とサウダーヂであり、自然と人間であり、体制や権力に対する反骨であり、諧謔であり、自虐であり、多様性であり、嘆きと哀しみであり、笑いであり、率直と屈折であり、それらすべての織り成すハーモニーであると僕は思います。ヴィラ=ロボスはそれらのすべてをその音楽で表現しています。

ただしこのようなことは言葉を重ねれば重ねるほどその「本質」から遠ざかっていくような感じもして歯痒いです。もっとシンプルに、「素晴らしい音楽を聴くことができて嬉しい」ということを記憶に留めておきたいです。

*続きます。
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2009年09月06日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(13)

そしていよいよ最後の1曲。第7番(オーケストラのための)が始まります。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。オーケストラはフルサイズに戻りました。

第1楽章はプレリュード(ポンテイオ)。第5番の第1楽章を発展させたようなテーマ。どことなく「シェガ・ヂ・サウダーヂ」のイントロも聴こえてきそうな曲です。「執拗な反復」「厳格な構成」「抒情性」「民族性」と、ヴィラ=ロボスの個性が詰め込まれている佳曲。それにしても良くまとまった演奏でした。最後のファゴットのたっぷりの余韻が印象的でした。

第2楽章はジーガ(クァドリーリャ・カイピラ)。第7番は普段から聴いているのですが、この楽章はあまり印象がありませんでした。明るく華やいだ舞曲。クァドリーリャはフランスの舞曲カドリーユのこと。これもとてもまとまった演奏でした。

第3楽章はトッカータ(デサフィオ)。シロフォンとココが活躍する、リズムに妙味のある曲。デサフィオというのは「チャレンジ」という意味で、「即興の歌唱の決闘という民族的伝統」のことだと、これもミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に言及があります。この曲もいつもは聴き流してしまうのですが、この日は一糸乱れぬ演奏で聴かせました。

第4楽章はフーガ(コンヴェルサ(対話))。最後の最後はまたフーガです。チェロの中低音に始まって、ヴァイオリンの中音、続いて高音と、各パートが歌い繋いでいきます。あまりにも美しい旋律。最後の最後はサウダーヂいっぱいに、引っ張って引っ張ってようやく終わりになりました。盛大な拍手が沸き起こり、鳴りやみません。ミンチュックも二度、三度とステージに戻って、自分が応えると言うよりは、むしろオーケストラを労っていました。

*続きます。
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2009年09月05日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(12)

第2番が終わると、司会の加藤さんと通訳のブラジル大使館の男性が再登場。ホベルト・ミンチュックも登場して、再度インタヴューが始まりました。以下もメモは怪しいのですが、だいたいこういう感じでした。

Q:世界各国のヴィラ=ロボスの反響は?

A:私はヴィラ=ロボスを世界各国で紹介しているが、すべての国で大変美しいという好評を得ている。カナダではヴィラ=ロボスとバッハの作品のコンサートを開いた。最後に第7番を演奏したが、カナダでは珍しいことに、演奏が終わるとスタンディングオヴェイションが起こった。コンサートのあとには楽団の団員から「これほど美しい曲は初めて知った」という大変嬉しい感想をもらった。

Q:また来日してヴィラ=ロボスの音楽を日本に紹介して欲しい。

A:ブラジルでもどの国でも、団員のノリやスウィングという点で、ここまで勘の良い楽団を指揮したのは初めてだ。私としても嬉しい経験だった。ヴィラ=ロボスの作品は膨大で、全部で1,000曲以上と言われているが、ブラジルでもまだ知られていない曲がたくさんある。この10月にはリオで「マグダレイナ」というミュージカルを初演する。質の高い作品がたくさんあるので、またぜひ日本で紹介したい。

*続きます。
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2009年09月04日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(11)

15分間の休憩を挟んで、やや小編成になったオーケストラが登場しました。この日の演奏もあと2曲。有名な第2番(オーケストラのための)が始まります。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

第1楽章はプレリュード(オ・カント・ド・カパドシオ(ならず者の歌))。カパドシオというのは「カッパドキアの」すなわち「小アジアの」という意味なので、もともとトルコ人を指した言葉だと思いますが、軽蔑の意味が転じたらしく、「街のけちなごろつき」「その日暮らしのたかり屋」のことだとミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に解説があります。曲が始まって間もない箇所のサックスとトロンボーンの物憂いメロディが全体の印象を決定しています。そしてこの曲も反復また反復。この演奏では東京フィルの「間」の絶妙が印象に残りました。

第2楽章はアリア(オ・カント・ダ・ノッサ・テーハ(我らが故郷の歌))。後半のヴァイオリンの思い入れたっぷりのテーマが最高でした。

第3楽章はダンサ(レンブランサ・ド・セルタォン(奥地の歌))。ミンチュックが素晴らしいのは一つの曲の中の強弱や緩急がこれでもかというくらいに明確なところです。この第3楽章はその典型で、「ここでこんなに伸ばすのか?」「ここでこんなに力むのか?」というところが何箇所もありました。時には「過剰」の一歩手前に踏み留まっているくらいなのですが、それはミンチュックの「自分はヴィラ=ロボスを理解している」という自信の表われでもあると思います。反応する東京フィルの「ため」も見事でした。

第4楽章はトッカータ(オ・トレンヂーニョ・ド・カイピラ(田舎の小さな汽車))。最初のところで面白かったのは、まだ第3楽章が終わっていない時点でパーカッショニストたちが立ち上がり、第3楽章の最後の余韻があるうちにミンチュックの合図に合わせて、ほとんど切れ目なく第4楽章に突入したことでした。全曲演奏のCDでもこの2つの楽章は立て続けに収録されています。ミンチュックがこの2つの楽章はシームレスで演奏されるべきだと解釈していることが窺えます。

その点はともかくとして、この第4楽章、ミンチュックがこの曲を隅々まで熟知していることが伝わってくる素晴らしい演奏でした。オペラシティの観客は一瞬にしてブラジルの田舎の汽車の乗客になってしまいました。日本のオーケストラでここまでヴィラ=ロボスが、ひいてはブラジルが表現できるとは。とても感動的な、この日のコンサートを象徴する演奏だったことを記録しておきたいと思います。

*続きます。
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2009年09月03日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(10)

続いてこの日の7曲目。第8番(オーケストラのための)。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

第1楽章はプレリュード。どこかで聴いたようなメロディが随所に現われては消えます。トム・ジョビンに限らず、ポピュラー・ミュージックの作曲家はヴィラ=ロボスからずいぶん多くを引用していると思います。「シバの女王」?という箇所もありました。

第2楽章はアリア(モヂーニャ)。これも同じく美しいメロディの宝庫。弦を初めとしてオーケストラ全体がとても良く歌っている演奏でした。曲が終わると汗を拭くミンチュック。

第3楽章はトッカータ(カチーラ・バチーダ)。カチーラというのはカテレテとも言ってインディオ起源のブラジル南部の舞曲のこと。これは一転して元気のはじける演奏でした。パーカッションを多用したカラフルな曲の中で、中盤にファゴットが奏でる抒情的なメロディが印象的。そこからの展開がドラマティックです。

第4楽章はフーガ。のっけから渾身のメロディ。これも歌心のある演奏で、ヴィラ=ロボスの特徴の一つ、あるいは最大の特徴であるとめどない抒情性を堪能しました。ちなみにナット・キング・コールで有名なイーデン・アーベスの「ネイチャー・ボーイ」――晩年のヴィニシウスも愛した曲――はこの曲の露骨な引用だと思います。

*続きます。
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2009年09月02日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(9)

第5番のあとに30分間の休憩があって、「ロビーコンサート」と題するギターの演奏がロビーで行なわれたのですが、あっと言う間に人だかりができてしまいました。PAがセットされていなかったので、至近距離の人にしか音が届かず、残念でした。この間にステージではオーケストラのセッティングが着々と進行していました。

そして後半は第3番(ピアノとオーケストラのための)から始まりました。ピアノ:白石光隆。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

この第3番、僕はこれまで「ブラジル風バッハ」の中でいちばん興味がなかった曲でした。ショパンか誰かのピアノ協奏曲みたいで、ヴィラ=ロボスらしさが希薄で、面白くない曲だと思っていました。

第1楽章はプレリュード(ポンテイオ)。曲が始まってすぐに、音の深みに圧倒されました。さすがにミンチュックは東京フィルを良くまとめて、この曲からヴィラ=ロボスの味わいを引き出していることに感心しました。ポンテイオというのはギターの爪弾きのことで、「激しい導入のあとのメインテーマでピアノが入るところでチェロが演奏している」のがポンテイオだと、ミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に解説があります。

第2楽章はファンタジア(デヴァネイオ)。デヴァネイオというのは夢想のこと。これもこれほど良い曲だったかなあと思う演奏。中盤の「動」から「静」に転じるところなど、じーんと来たところがありました。

第3楽章はアリア(モヂーニャ)。これまた、美しい導入部から、ドラマティックに盛り上がる中盤、静けさを取り戻す後半と、魅せられました。エンディングも見事で、終わるとミンチュックとピアノが笑みを交わしていましたから、彼らとしても快心の演奏だったのだと思います。

第4楽章はトッカータ(ピカパウ)。ピカパウとはキツツキのことで、この副題は「ショーロNo.3」と同じです。テーマにも「ショーロNo.3」のメロディが用いられています。いくつもの小さな流れがやがて大河になっていくようなイメージの演奏でした。

僕がこの日のコンサートは本当に素晴らしいと感じたのはこの第3番からでした。ホベルト・ミンチュックがこの東京フィルをまるでヴィラ=ロボスを毎日演奏しているオーケストラみたいに仕上げたことに感激しました。普段あまり興味を持って聴いていなかった曲だけになおさら感嘆しました。

第3番が終わると、ピアノの白石さんに司会の加藤さんがインタヴュー。白石さんは、「20世紀の現代音楽はお国柄が薄れていって、どこの国の音楽かわからない音楽もあるが、その人が生きた環境は嘘を付けない。ヴィラ=ロボスは自分が生きた環境にバッハというヒントを得て素晴らしい作品を生み出したと思う」という意味のことを語っていました。とても共感しました。

*続きます。
posted by naoki at 00:42| Comment(0) | ヴィラ=ロボスのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする