2010年07月10日

ヴィニシウス・ヂ・モライスのこと

昔、学生時代に、「今日何だか暗いなあと思ったら桜桃忌だった」と言った友人がいました。彼に倣って言えば、「今日何だかウィスキーが飲みたいなあと思ったら詩人の日だった」という感じです。日付が変わってしまいましたが、7月9日はヴィニシウスの命日。亡くなってちょうど30年になります。

2月からずっとシコのことを考えていたのですが(今でも考え続けています)、シコのことを考えているといつの間にかヴィニシウスのことを考えているし、ヴィニシウスのことを考えているといつの間にかトムのことを考えています(あとはナラもそのサイクルの中にいるかな)。ヴィニシウスとトムは14歳違いで、トムとシコは17歳違い。これは僕の「文化は叔父から甥に継承される」説の有力な事例です。まあその話はまた今度にします。

それにしても30年というのはちょっとした節目です。それで「詩人」について何かを書いておこうと思って、エピソードを一つ思い出しました。先日シコの資料を読んでいて収穫した、今のところ僕がいちばん好きなヴィニシウスの逸話を紹介しておきます。

1967〜68年くらいに、TVへコールに一つの人気番組がありました。「エスタ・ノイチ・セ・インプロヴィーザEsta noite se improvisa」といって、その名の通りに即興性を競い合うクイズ形式の番組でした。司会者が一つの言葉を出題して、出演者はその言葉が歌詞に含まれている大衆音楽の楽曲を思い出し、ボタンを押してマイクの前で歌うという番組でした。最大最高に勝ち抜いたチャンピオンにはゴルディーニが贈られたというのですからすごいです。

この番組の常連の出演者の中にシコ・ブアルキがいました。カエターノ・ヴェローゾも常連の一人でした。シコはこの番組で次々と楽曲を歌い当てて抜群の成績を収めて活躍したのですが、のちにそのほとんどが嘘っぱちであったことが暴かれてしまいます。この話もまた今度にします。

この番組の最低最悪の出演者が、ヴィニシウス・ヂ・モライスでした。一度も問題に答えられないのです。断っておきますが、ヴィニシウスほどその当時のブラジルの大衆音楽に通じていた人間はほかにいませんでした。誰よりもたくさんの楽曲を知っているはずなのです。それなのに問題に答えられなかったのは、おそらく音楽をそういうふうに聴いていなかったからなのではないかと思います。

で、ある時ついにまるでヴィニシウスのために用意されたかのような言葉が出題されました。司会者が、「問題の言葉は……」と読み上げた言葉は、
「ガロータgarota」でした。

ヴィニシウスは顔色を輝かせ、ボタンを押して、解答権を獲得しました。そして嬉々として、マイクの前で、「ガロータ・ヂ・イパネマ(イパネマの娘)Garota de Ipanema」を歌い始めました。

Olha que coisa mais linda,
Mais cheia de graça.
É ela a menina que vem e que passa,
num doce balanço a caminho do mar.

会場の観客は作詞者本人による歌唱に聴き惚れて、ヴィニシウスとともに問題の言葉が出てくるのを待ちます。「ガロータgarota」という歌詞が出てきた時点で今回はヴィニシウスの勝利です。

Moça do corpo dourado do sol de Ipanema,
O seu balançado é mais que um poema,
É a coisa mais linda que eu já vi passar.

途中でヴィニシウスは「?」という顔をします。客席にもそれが伝わって、だんだんと笑いが広がっていきます。

Ah, por que estou tão sozinho?
Ah, por que tudo é tão triste?
Ah, a beleza que existe,
A beleza que não é só minha,
Que também passa sozinha.

場内は爆笑。反対にヴィニシウスは大いに困惑した表情で最後の歌詞を歌います。

Ah, se ela soubesse
Que, quando ela passa,
O mundo inteirinho se enche de graça
E fica mais lindo por causa do amor,
Por causa do amor, por causa do amor……

そうでした。ヴィニシウスは深い深い失望とともに認識したのでした。作詞者自身が知らなかったことですが、「ガロータ・ヂ・イパネマGarota de Ipanema」の歌詞には「ガロータgarota」という言葉は含まれていないのでした……。

サラヴァ、ヴィニシウス、サラヴァ。

僕はヴィニシウス・ヂ・モライスの人生と作品を髪の毛の先まで愛しんで悼み続けます。

今夜は詩人の「教え」に従ってビールを早めにウィスキーに切り替えることにします。