2010年05月02日

ジョアンとマリア

ジョアンとマリア

ところで僕はヒーローだった
僕の馬は英語しか喋らなかった
そのカウボーイの婚約者は
君だった
ほかの三人を除いてだけど
僕はいくつもの大隊と対決した
ドイツ人とその大砲と
それでパチンコは片付けた
そしてロックを練習した
マチネーのために

ところで僕は王だった
警備員だったし、裁判官でもあった
僕の法律では
みんな幸せになる義務があった
そして君はプリンセス
僕がその位に就かせたプリンセス
驚くくらいに美しかった
僕の国を裸で歩いていた

駄目だ、逃げるんじゃない、駄目だ
あの時は僕が君の玩具だったってふりをするんだ
僕は君のこまだったって
君の可愛い動物だったって

うん、私に手を貸して
みんなもう怖いものなんてないよね
あの悪い時代には
みんな生まれてさえいなかったんだよね

ところでそれは宿命だった
ごっこ遊びはこうして終わった
あの時の裏庭の
でもそれは果てしのない夜だった
君が世界に消えたからだ
予告もしないで
ところで僕は気が狂うほど訊き出したかった
僕の人生はどうなっていくのだろう?



*次の「ラティーナ」のために訳してみたのでここに載せておきます。シコの歌詞を翻訳するなんて本当に無謀で冷や汗が出るのですが。シヴーカの曲にシコが1977年に歌詞を書いた曲です。この曲のことを表現する言葉を僕は持っていません。ぜひともナラとシコのデュオを聴いてほしいです。それが僕がブラジル音楽から受け取ったすべてです。そして僕が後世に伝えていかなければならないすべてです。そのために時間を使わなければいけないのだと思います。
posted by naoki at 07:18| Comment(3) | シコ・ブアルキのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
歌詞に二面性があるとしても、コンサートで大合唱が起きたとき、皆は素直な解釈で歌っていたはず。
「相変わらずこの世は辛いことばかり。でも君、これだけは言いたい。僕の人生に何が起こったかを知る前に、世の中に背を向けるんじゃないって。」
って。
Posted by ブアルキスタ at 2010年08月13日 11:14
コメントありがとうございます。

近年のシコのライヴで必ずアンコールで歌われて、客席の老若の女性から大合唱を浴びている様子、いくつかの映像から確認できます。

僕は、この曲が万人の共感を呼ぶのは、この曲が持っている「少年性」によってではないかと思います。それは女性であっても持ち備えている少年性です。

シコはこの曲について繰り返し「これは子供の歌だ」「子供のために作った歌だ」と述べていて、それはおそらくその通りなのだと思います。

そして、この曲に出てくる「ごっこ遊び」は、実は幼馴染の女の子とではなく、妹のピイを相手にしたままごとを下敷きにしていたことも、資料を読み進めるうちにわかってきました。

それはともかく、この曲は、おっしゃるようにシンプルに聴くのが良いのだと、今は思っているところです。

一緒に遊んでいた少女を突然に失って、立ち尽くしている男の子の歌だと思います。
Posted by 岩切 at 2010年08月15日 05:34
勘違いしてました。勉強になります。

それにしても彼の歌詞の非凡さには、いつも驚かされます。

Posted by ブアルキスタ at 2010年08月16日 21:06
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