2011年03月28日

ベヴァリー・ケリー「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユーI'm glad there is you」

先週は関西にいた。昼間の仕事で阪神大震災の教訓を取材するためだ。しかし神戸の人も大阪の人も口を揃えて言っていた。今回の東北大震災は神戸の時とは比べ物にならないと。規模が違うし、性質が違うと。いつもそうだ。僕たちは学ぶことができるようでいて学べない。経験が生かせるようでいて生かせない。これから起こることに対してほとんど無防備だ。素手で立ち向かっていくしかない。

親族・知人の安否はだいたい確認することができて、うちの会社の福島県の分室の社員も家族を含めて全員無事だった。でも、言葉少ない報告の中に、苦労と心配と恐怖とが滲み出ている。もちろん原発の問題も含めて。僕たちにできることはほとんど何もない。でも来週くらいには会いに行かなくてはと思っている。

羽田空港で週刊誌を立ち読みしていたら、ビートたけしが喋っていることが今の僕の気持ちにとても近かった。「何万人が亡くなった」という見方をしていると、今回のこの震災の本当のところは見えてこない。僕にとっていちばん印象深かった場面の一つは、TVのニュースが映し出していた、日本大使館に献花に来ていたドイツの女性だ。「娘を亡くしたという母親の話をTVで見て、ただただ泣きました」と彼女は言っていた。

その関西の取材で、昼食にうなぎ屋に連れて行ってもらった。ずいぶん高級そうな店だった。でも、申し訳ないのだが、僕にはそのうなぎは美味しくなかった。つい今まで人の生きるとか死ぬとかの話しをしていたのだ。

「消費しなさい」という話は、「自粛しなさい」という話と表裏の話のように思える。人間というのはそういうものではない。哀しむ時には人から言われなくても哀しむし、楽しむ時には人から言われなくても楽しむものだ。どうしてそのことがわからないのかが不思議だ。

その店でたまたま流れていたのが、僕の最愛の女性ヴォーカル、ベヴァリー・ケリーだった。しかもこの曲が流れるなんて。「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユーI'm glad there is you」。ピアノはパット・モラン、ベースはスコット・ラファロ。この曲を毎日のように聴いていた日々を思い出す。とりあえずは自分の隣にいる人を大切にしよう。僕たちに今できることはそのくらいしかない。

posted by naoki at 02:39| Comment(0) | 今日の1曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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