2012年10月22日

快楽のピアニスト

*僕が引っ越しをする時にはいつも金木犀が香っている気がします。

5年前に初めてパリに行った時、アメデオ・モディリアーニやエディット・ピアフやジム・モリソンが眠っているペール・ラシェーズ墓地に行って、ショパンの墓もあるというのでショパンにもお参りして、さあ帰ろうかと歩き始めて数歩で足が止まった。ショパンの3つ隣の墓銘に目が止まったからだった。

Michel Petrucciani  1962〜1999

それは僕にはまったくの不意打ちで、パリの秋の青空を仰ぎ、立ち尽くすしかなかった。とてもゴージャスかつシンプルな大理石の墓石。そんな形で彼に再会するとは思ってもいなかった。

ミシェル・ペトルチアーニの生涯を描いたドキュメンタリー映画が上映されているというので今夜観に行ってきた。邦題は「情熱のピアニズム」。「1984」を撮ったマイケル・ラドフォードが監督をしている。

映画そのものは、特別な工夫があるわけではなく、彼の人生を淡々と綴ったもので、それほど良くできているとは思わない。新しい発見も多くはない。しかしペトルチアーニの人生があまりにも圧倒的なので、そういう作り方が功を奏しているとも言える。余計な装飾がないことは称賛すべきことなのかもしれない。

そう、圧倒的。僕はペトルチアーニの演奏を生で聴いたことは一度しかない。そしてその時の感想がまさしくそれだった。ペトルチアーニの演奏は、何と評して良いのか、当時の僕にはわからなかった。ただただその迫力に圧倒されただけだった。

ミシェル・ペトルチアーニのことを語るのはとても難しい。どうしても話が彼の障害に関することにいってしまうからだ。そしてそれは、多くの場合、彼が最も嫌ったに違いないレッテル貼りとかカテゴリー分けとかに繋がってしまうからだ。

ただ、ペトルチアーニのピアノのからっとした明るさのことは書いておきたい。彼のピアノには彼の内面の葛藤が入り込んでいない。聴き手が当然想像するであろう、あの障害から彼が受けたに違いない苦痛や苦悩の痕跡が見当たらない。彼の音楽は純粋に音楽的な音楽で、そのスリルは純粋に音楽的なスリルで、そのエモーションは純粋に音楽的なエモーションだ。それが彼のピアノの特徴と言えば特徴だと思う。

そしてその鍵は映画の終盤でだんだん明らかになってくる。ペトルチアーニ本人が「僕が苦しんでいると言えれば良いんだけど、言えないんだよね。全然苦しんでいないんだから」という意味のことを言うシーンがある。これがこの映画のいちばんのハイライトだ。

その発言には多分に誇張もあるに違いない。でも僕はそれこそ彼が言いたかったことなのだと受け取りたい。

ペトルチアーニは、女性を抱いたりドラッグを吸ったりするのと同じようにピアノを弾いたのだ。ペトルチアーニにとってピアノは最高の快楽の一つだったのだ。彼はそれが気持ちが良いからピアノを弾いたのである。

これも映画の終盤で、彼を良く知る登場人物の証言の中で、印象に残った言葉が、「オプティミスティック」と「ヴァイタリティ」だった。それもまた上記のことと符合している。能天気にして元気。周囲の心配や困惑をものともせずに。それで彼はあれだけ女性にももてたのだ。

だからこの映画のテーマを言葉にするとすれば、「彼は、生きた」ということになると思う。それが彼のピアノの正しい聴き方--などというものがあるとしての話だが--ではないかと思う。

ミシェル・ペトルチアーニ。「1980〜90年代のジャズ・シーンで唯一何かを成し遂げた男」(ジョン・アバークロンビー)。うん、そう思う。あの実りの少なかった時代にジャズを聴いていた者の一人として、彼と同時代に生きたことは最大かつ最高の幸福だ。

*冒頭に書いたように、映画の最後の日本語の字幕は間違っています。画面の説明は「à côté de」だったと思うけれど、その仏語は必ずしも「隣」のことではないからね。パリに墓参りに行こうと思っている人がいたら要注意です。

posted by naoki at 23:48| Comment(0) | 映画と映像資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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