2006年07月29日

続々・ジョアンの「三月の水」のオリジンは…

1972年に……『マチータ・ペレー』が発売される前の年に……「三月の水Águas de março」を録音したアーティストの中に、エリス・レジーナの名前があります。アルバム『エリス(1972)』のB面1曲目に収められています。

この録音を今聴くと、『エリス&トム』(1974年)におけるトムとエリスの世紀のデュエットの原型のような感じがします。トムのオリジナルの「ヂスコ・ヂ・ボルソ」の録音では伝え切れていなかった微妙なニュアンスを、さすがにエリスは最高のテクニックで表現しています。このアルバム、エリスがセーザル・カマリゴ・マリアーノと組んだ最初のアルバムなのですが、セーザルの功績も非常に大きいと思います(セザールはもちろん『エリス&トム』の立役者でもあります)。

そしてレコーディングの順番で言うと、(1)「ヂスコ・ヂ・ボルソ」のトムの初演、(2)エリスのこの『1972』、(3)『ザ・ベスト・オヴ・トウー・ワールズ』のジョアン、(4)ジョアンの『ジョアン・ジルベルト(三月の水)』という順番になるのではないかと考えます(その間にここで話題にしていない演奏はさらにいくつかあります)。ジョアンはエリスのこの録音も絶対に聴いていたものと思います。全体の構成とヴォーカルの表情にそれを感じます。

本にも書きましたけれど、「三月の水」という曲は不思議な曲で、トム・ジョビン本人は、作曲直後にこの曲の偉大さを本当には認識していなかったのではないかと僕は思っています。そして、取り上げるアーティストたちがこの曲にどんどん磨きをかけていったのではないかと。ジョアン、エリス、セーザル・カマリゴ・マリアーノ。そういう意味では「三月の水」は、「極めてブラジル的な一曲」と言えるような感じもします。

2006年07月28日

続・ジョアンの「三月の水」のオリジンは…

で、「三月の水Águas de março」のそれぞれのレコードの録音日・発売日を調べてみました。

ジョアン・ジルベルトがアルバム『ジョアン・ジルベルト』を録音したのは、1972年9月から1973年3月にかけてのようです(来日コンサートのプログラムのディスコグラフィより)。

一方、トムが「ヂスコ・ヂ・ボルソ」のためにこの曲を録音したのは1972年の3〜4月です(「カンシオネイロ・ジョビン」より)。発売はその数ヵ月後だったのではないかと思います。

そして、『マチータ・ペレー』の録音は1973年1月で、発売は同年5月8日でした(同じく「カンシオネイロ・ジョビン」より)。

もちろん『マチータ・ペレー』の発売前にジョアンがその録音を耳にしていた可能性はなくはありません。でも普通に考えれば、ジョアンがコピーしたのは「ヂスコ・ヂ・ボルソ」の演奏の方だったと考えるのが理にかなっています。時間的に考えて。

さらに、『ザ・ベスト・オヴ・トウー・ワールズ』というタイトルの、ジョアン、ゲッツ、ミウーシャのアルバムに収められている「三月の水」の録音は1972年だったというデータが、セルジオ・カブラルの「アントニオ・カルロス・ジョビン」に掲載されています。これが本当だとすると(たぶん本当だと思うのですが)、ジョアンにとってはこちらがこの曲の初演ということになります。

そしてジョアンの『ジョアン・ジルベルト』における「三月の水」は、この『ザ・ベスト・オヴ・トウー・ワールズ』での演奏をほとんどそのまま再現したもの(それにミウーシャやゲッツやベースやパーカッションを付け足したもの)です。

やはりこの曲は「ヂスコ・ヂ・ボルソ」の演奏の方が、少なくともジョアンにとっては、「オリジナル」だったのではないかと思います。

2006年07月27日

ジョアンの「三月の水」のオリジンは…

ジョアン・ジルベルトの『ジョアン・ジルベルト』に収められている「三月の水Águas de março」を聴いていて、気がついたことがあります。ジョアンはどうしてこの曲をこういうふうに演奏したのだろうかということです。

ジョアンは、トム・ジョビンのこの曲のオリジナル演奏をベースにしたのではないでしょうか? すなわち、アルバム『マチータ・ペレー』に収録されているもたもたした自演ではなくて、冊子「ヂスコ・ヂ・ボルソ」の付録として付けられたシングル盤におけるせかせかした自演の方をです。

『マチータ・ペレー』の方をベースにしていたら、こういうテンポでは演奏しなかったのではないかと思います。もうちょっとゆっくりと弾いて歌っていたのではないかと思います。それからエンディングのスキャットも、トムのオリジナルの(「ヂスコ・ヂ・ボルソ」の)演奏で提示されているモチーフをジョアンが展開させているような印象があります。

この曲のオリジナル演奏としては『マチータ・ペレー』の方が浸透していると思いますけれど、ジョアンを始めとする当時のボサノヴィスタたちの間では、「ヂスコ・ヂ・ボルソ」の早口言葉的演奏の方が当たり前のようにオリジナルとして普及していたのかもしれないと、ふと思った次第です。

2005年10月22日

エンコントロ@オー・ボン・グルメ

*今日の昼間は仕事で埼玉の狭山にいたのですが、東京近郊もめっきり秋めいてきました。

 tokyorioさんにコメントをいただいた、一九六二年八月のオー・ボン・グルメでのライヴ「エンコントロ」。トム・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、ヴィニシウス・ヂ・モライス、オス・カリオカスが出演し、「イパネマの娘Garota de Ipanema」、「ジェット機のサンバSamba do avião」、「ソ・ダンソ・サンバSó danço samba」、「祝福のサンバSamba do bênção」、「宇宙飛行士O astronanta」が初演されたという、ボサノヴァの絶頂期の記念碑的ライヴ。「幾晩もの録音が残っている」(「ボサノヴァの歴史」)というその音源が、どうして公式に発売されないのか? その理由は、「ボサノヴァの歴史」の原註でルイ・カストロが簡明に説明しています。

「『オー・ボン・グルメ』でのショーをレコードにしてリリースするのに障壁となっているのは、技術的な問題ではない。今日では、どんな雑音でも、音質の問題は解決できてしまうからだ。ただ、ショーの出演者の多くが、“ひどい歌を聴かせている”と考えているため、許可しないのである。ジョビンとジョアン・ジルベルトのデュエット、あるいはヴィニシウスとのトリオが聴ける唯一の機会なのだから、これは残念なことだ。歌い方に関しては、彼らが自分たちのレコードで歌っているのとたいへんよく似ている」

 ヴィニシウスもトムも亡くなってしまった今となっては、この音源の公式発売に反対しているのは、もちろん、あのお方お一人です……。

2005年01月02日

フェルナンド・ペッソアとトム・ジョビン

年末に大掃除をしていたら、記憶の彼方にあった一枚のCDが出てきました。そう言えばこんなのもあったなあと。で、そのCDの話なのですが、これは本当に相当マニアックな話なので、そういうのが好きな方だけこの先を読んでください。

ポルトガルの代表的詩人フェルナンド・ペッソアについては、ブラジルでも評価の声が大きいのですが、1986年にエリーザ・バイングトンとオリヴィア・イーミがプロデュースしたLP『ア・ムージカ・エン・ペッソア』が発売されました。このアルバムにトム・ジョビンは2曲を提供していて、さらにもう1曲のボーナス・トラックを追加したCDが、ビスコンチ・フィーノから発売されています。

トム・ジョビンのその三曲は、先日発売されたミナスのライヴにも通じるところがあるシンプルかつスケールの大きな演奏で、ジョビン・ファンにはこたえられない広がりと簡素さを含んでいます。とは言え、有名曲があるわけではないし(ペッソアその他の詩にメロディを付けただけの曲が収録されているだけ)、華美なところもまったくないので、普通の「ブラジル音楽ファン」は素通りして構わないアルバムだと思います。ジョビン版「わらべうた」といった印象の演奏です。

購入したまま放り投げてあったこのアルバム、今日、僕は楽しんでいます。

それと、僕の本を出版してくれている彩流社という出版社は、ポルトガル&ブラジルの文学に非常に理解がある会社で、ペッソアの詩集「ポルトガルの海」という本も出しているのです。ご興味のある方は一読を。フェルナンド・ペッソアは、タブッキやヴェンダースもオマージュを捧げている特別な詩人なのです。

2004年12月27日

トム・ジョビン「エン・ミナス」のMCの要旨

土曜日にヴァスコ・デブリートの自宅でトム・ジョビンのミナスのライヴを一緒に聴きました。彼は僕にそのCDをプレゼントしてくれるつもりでいたらしいのですが、ブラジルとほぼ同時に日本で発売されていたことにすごく驚いていました。

で、このライヴのトムのMCの、僕の語学力ではとても理解できなかった部分をヴァスコに解説してもらったので、要旨を報告しておきます。

@オープニング。「今まで演奏する時はいつもサポートメンバーがいたけれど、プロダクションから勧められて一人で演奏することになった。このソロ演奏を皆さんに捧げます」という意味のことを言っているようです。やはりこの「ピアノと声」のソロ演奏がとても珍しいライヴだったことがわかります。

A続いてトムはニュウトン・メンドンサのことを喋ります。「昔、誰一人ニュウトンの曲を録音しようとしなかった。ジョアン・ジルベルトもそうだった」と。そして、「ヂサフィナード」を歌い始めます。このMCに代表されるように、トムはこのライヴで一貫して「共作者の思い出」を語っています。

B「サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ」が終わるとドロレス・ドゥランの話。ドロレスが「ポル・カウザ・ヂ・ヴォセ」の歌詞を楽屋でアイペンシルで書いたという例の話。余白に「ヴィニシウス、ほかの歌詞だなんて卑怯だわよ」と書いたこと。そして、「ポル・カウザ・ヂ・ヴォセ」を歌います。

C今度はヴィニシウスと「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」を作った時の思い出を話して、「シ・トドス・フォッセン・イグアイス・ア・ヴォセ」を歌います。

D「有名になるかもね。カルナヴァルの歌を作れるかもね」とふざけて、「もう一曲、ヴィニシウスと作った曲を」と言って歌い始めるのが「エウ・ナォン・エジスト・セン・ヴォセ」。

E「へトラート・エン・ブランコ・イ・プレート」の前にシコ・ブアルキに言及。前にも書いたけど、この演奏が本当にすばらしい。

F「ちょっと狂ったパートナーの歌を歌います。そのパートナーは、アントニオ・カルロス・ジョビン」と言って客席を笑わせて始まるのが、「コルコヴァード」。

だいたいそんなところかな?

*四曲目に入っている、ピアノ演奏のみの「エストラーダ・ド・ソウ」。ヴァスコは「トムは歌詞が出てこなくてインストゥルメンタルになっちゃったんじゃないかな?」と言っていました。それ、何だかわかるような気がします。

2004年12月20日

『ストーン・フラワー』の日本語ライナー(大島守さん)

『ストーン・フラワー』の日本版LP、僕の手元にあるのは78年発売のCTIオリジナル1500というシリーズの一枚(キング)で、ここでもライナーを故・大島守さんが書いています。

@この頃トムが住んでいたレブロンの家の場所を大島さんは紹介しています。この通りに歩いたら行けそうだけど、こんなこと書いちゃっていいのかな。

Aジム・ウェブがトムの家を訪問した話。

B大島さんはドロレス・ドゥランのことを「自殺した」と書いているけれど、僕の記憶では心臓麻痺だった気がする。どうなのだろう?

C大島さんはトムがアリ・バホーゾの影響を大きく受けていると述べ、その好例として「フォイ・ア・ノイチ」とアリ・バホーゾの「Folhas Mortas」の楽譜を掲載しています。「Folhas Mortas」をいくつか聴いてみましたが、確かにそう言われてみるとちょっと、ですね。

http://www.cliquemusic.com.br/artistas/artistas.asp?Status=DISCO&Nu_Disco=2656

http://www.cliquemusic.com.br/artistas/artistas.asp?Status=DISCO&Nu_Disco=6545


2004年12月17日

『マチータ・ペレー』の日本語ライナー(大島守さん)

以前にジョアンのTVグローボ・ライヴの日本版LPのライナーノーツの一部を紹介したことがありますが、その直後にある方と、「以前に日本で出ていたLPの日本語ライナーって結構貴重」「それでしか読めない情報わりとあるんだよね」という話をしました。

今手元にある『ジョビン』というレコード。『マチータ・ペレー』の日本版で、73年発売です。このLPの日本語のライナーは故・大島守さん。その中から興味深い部分を紹介します。

@「アグアス・ヂ・マルソ」の邦題を、大島さんは「秋の流れ」と訳しています。

A「昨年イパネマでひょっこり彼(トム)と会ったとき「日本に一度行ってみたいと思っているが演奏家としては行きたくない。それは私がピアニストでもギター奏者でも歌手でもないからだ。作曲家として迎えてくれるなら喜んで訪日したい」といっていた」という文章があります。

トムは同じことを、来日した時にインタヴューした上田力さんにも言っていたそうです。それで長年日本に来れなかったのだと。

B大島さんはニュウトン・メンドンサのことを、「ヂサフィナード、ワン・ノート・サンバなどを作詞したピアニスト」と書いています。うーむ。

C「リオデジャネイロ交響曲」という日本語の直訳は誤解を招くものであり、正しくは「リオデジャネイロ組曲」と表記した方が良いという記述もあります。確かに。

そんなところでしょうか?


2004年11月28日

トム・ジョビンの新発掘ライヴ

アントニオ・カルロス・ジョビンの新しいCDが発売されました。

タイトルは「Antonio Carlos Jobim em Minas ao vivo piano e voz」。1981年3月15日、ベロオリゾンチ・パラーシオ・ダス・アルチス劇場でのライヴを収録したものです。

今日タワーレコードで見つけて買ってきて、さっきから聴いていましたが、恥ずかしながら、聴いているうちに涙が止まらなくなってしまいました。全編これトムによるピアノの弾き語りです。トム・ジョビンの音楽をこれほどピュアな形で伝えてくれるCDは、もしかしたらこれが初めてかもしれません。こういうアルバムが没後十年の命日の直前に発売されたというのは、トムに対する最高の供養になるのではないかと思います。

ヴィニシウスを失った直後のライヴでもあり、トム=ヴィン作品が全体の4割を占めています。ヴィニシウスを亡くしたトムの深い哀しみがダイレクトに伝わってくる、とても個人的な感じの録音です。そういう意味では「ヴィニシウスを歌う」の原型のようなアルバムです。

それと同時に、ジョアン・ジルベルトの「イン・トーキョー」と対を成す録音のように思いながら聴きました。一般的に「ボサノヴァ」と呼ばれている音楽の原点が、この二枚のアルバムにしっかりと記録されていると思います。

ああ、これは僕にとってはちょっとショッキングなくらいに大変なアルバムです。もうちょっと早く発売されていたら、僕の次の本に感想を書いたんだけどなあと思ってしまいます。

一応、曲目を紹介しておきます。

「ヂサフィナード」/「サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ」/「あなたのせいで」(◎◎)/「太陽の道」(ピアノのみ)/「もし皆があなたと同じだったら」(◎◎◎)/「おいしい水」/「エウ・ナォン・エジスト・セン・ヴォセ」(◎◎)/「あなたを愛してしまう」/「モヂーニャ」/「シェガ・ヂ・サウダーヂ」(◎◎◎◎)/「ヂンヂ」/「エウ・プレシーゾ・ヂ・ヴォセ」(◎)/「白と黒のポートレイト」(◎◎◎)/「コルコヴァード」/「リジア」(◎)/「愛の語らい」(◎)/「三月の水」(◎)/「イパネマの娘」

トム、こんなにすばらしい録音を残してくれて、本当にありがとう。

僕はこのアルバムを、一生大事に聴いていこうと思います。


2004年11月26日

山本のりこさん「ジョビンを歌う」

今夜は高田馬場コルコヴァードで山本のりこさんの「Jobimを歌う」ライヴでした。

彼女の歌と演奏はなぜだかとても印象的です。自然体でありながら個性的で、すっとしているのに確固としている感じがします。特に今夜は、ジョビン作品を演奏するという明確なテーマを掲げていたことが、彼女の良さをさらに引き出している感じがしました。それと、ピアノの須藤かよさんとの絶妙の連携。なかなか素敵なライヴでした。

演奏曲目

第一部
ソロ:エウ・セイ・キ・ヴォウ・テ・アマール/インセンサテス/須藤かよさん(ピアノ)入る:メヂタサォン/ルイーザ/サビアー/アグア・ヂ・ベベール/コヘンテーザ

第二部
ソロ:ア・フェリシダーヂ/リジア/須藤かよさん入る:パト・プレート/シャンソン/エストラーダ・ド・ソウ/Hiroquinho(今夜はソプラノ・サックス)入る:オトラ・ヴェス/ソ・ダンソ・サンバ/アンコール:アイ・ラヴ・ユー(コール・ポーター)