2016年09月12日

ジョアン・ジルベルトから13年

9.11。あれから15年。ということは、ジョアン・ジルベルトの初来日初公演から13年。初日のあの「本当に現われるのか?」から、「こんばんは」という完璧な日本語から、1曲目の「僕は家には帰らない」から、めくるめく次から次へのボサノヴァの名曲の「実演」から、13年。いろいろなことが遠くなってしまった……。

2010年06月11日

Feliz aniversário! ジョアン・ジルベルト

ブラジル音楽とりわけボサノヴァには11月から1月にかけて生まれた重要人物が多いです。星のめぐりあわせというのは本当にあるのかもしれません。でももう一つの山は6月。今日(もう昨日)6月10日はジョアン・ジルベルトの79歳の誕生日でした。

「ラティーナ」のサイトのニュースで知ったのですが、京都の寺院でDVDを収録する話があるそうで、それは大変結構なことですが、はてさてどうなることでしょう。

本当は、ジョアンのレパートリーの中でまだ録音のないすべての曲をレコーディングして残して欲しい。そういうことを考えるプロデューサーがブラジルにいないことが不思議です。「Samba do avião」(横浜)も「Sem você」も「Foi a noite」も、今でも耳の中には残っていますが、録音があればどんなに良いだろうと思います。

2009年07月11日

ジョアン・ジルベルト、スペイン公演も中止に…

スペインでの公演が発表された時には「スペイン行っちゃおうかな!(マドリードの旧友にも10年も会っていないし)」などとも思ったのですが、結局予定が合わずに断念。

そして結局、そのスペインでの公演(7月18日マドリード、26日バルセロナ)もキャンセルになりました。9月にやるというのは本当でしょうか? 日本とイタリアに続いてスペインもこうですから、こうなってくると実現は疑わしくなってきます。

ご健康を祈ります! 

2008年12月10日

ジョアン・ジルベルトの公演が中止

12月13日(土)・12月14日(日)のジョアン・ジルベルトの公演が中止とのことです。

「ジョアン・ジルベルトは来日に向け、腰痛の治療を続けて参りましたが、ブラジル-日本間の長距離渡航が可能になるまで回復せず、やむを得ず中止とさせていただくこととなりました」と通知のEメール。11月の予定が延びた時はバイーアにいたとかいう話も聞きました。

中止は残念ですが、個人的には、今回はジョアンが来日して公演するということをうまく思い描けずにいました。そろそろ準備しなくてはと思っていた矢先だったので、どこかでほっとしているような感覚もあります。

それにしてもそもそも初来日の時に憂慮された展開が今になって起こるとは。ジョアンのコンサートの土壇場キャンセルというエピソードは本当だったのですね。

しかし返す返すも残念です。「シンフォニア・ド・リオデジャネイロ」なんて聴きたかったのですが。

この先何を楽しみにすれば良いだろう?

2008年10月26日

ジョアン・ジルベルトの公演が延期

11月01日(土)の公演が12月13日(土)に、11月02日(日)の公演が12月14日(日)に延期、11月03日(月・祝)の横浜公演は中止とのことです。

風邪でも引いたのでしょうか? 軽度であることを祈ります。

posted by naoki at 14:12| ジョアン・ジルベルト来日公演 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

7月10日に生まれて(僕ではなくて音楽が)

「ボサノヴァ50周年」とあちこちで言われているのでこの日にライヴやパーティが各所で盛り上がるのかと思っていたのですが、そういう気配は一向にないようですね。まあ、そんなものなのだろうなと思います。

個人の誕生日や没日と違って、ボサノヴァが「何月何日に生まれたのか?」などというのはまったくどうでも良いことです(そもそもボサノヴァの本当の起源なんて言い出したらきりがない)。ただやはり、50年に一度のことなので、僕はこの日にお祝いをしようと仲間を誘っています。と言ってもただ集まって酒を飲むだけになりそうですが。

7月10日。もちろんジョアン・ジルベルトの「想いあふれて(シェガ・ヂ・サウダーヂ)」の公式録音日です。今年を「50周年」と謳うのだとしたら、本当の「50周年」はこの日を置いてほかにありません。

2008年03月29日

ジョアン・ジルベルト、四度目の来日日程が明らかに

*大きくて重たい仕事が一つ終わって、今日は一日公園で花見をして呆けていました。


先週の日曜日(ですから今からほぼ一週間前)、仕事に出かけていた千葉県袖ヶ浦市で遅めの昼食(刺身定食)を食べていたらYpさんから情報着信。ジョアン・ジルベルトの来日公演の日程が正式に発表されたようですと、教えていただきました。

噂はあったのですが、嬉しい四度目の公演、本当に実現するようですね。公式サイトによると、11月1日と2日が東京国際フォーラムで、3日が横浜とのこと。初来日の時の横浜の何だか異様な盛り上がりを忘れられない僕としては、最後が横浜というのは嬉しい予感がします。

でもそれよりも何よりも、6月22日:ニューヨーク・カーネギーホールという予定に絶句。実はその5日前までサンフランシスコにいる予定を立てていたのですが……カーネギーでジョアンを聴けることを思うと、これはもう出張の日程をいじるしかないですね。

とにもかくにも、11月の再会を楽しみに。このブログでも少しずつ期待を書いていきたいと思います。

また一つ楽しみができて本当に良かった。

2006年12月20日

ジョアンのDVDは発売中止

ジョアン・ジルベルトの来日公演のDVDは、発売中止だそうです。

http://www.gemmatika.com/newrelease.html

何だかこれで良かったような気もします。確かに今回の公演の最後の2日間の演奏のクォリティは、初来日と二度目の来日の公演と比べると、ちょっと・・・と思ってしまうところがありました。

それに何より、ジョアンの来日コンサートを生体験したものとしては、DVDなどというものが本当に必要なのだろうかとも思っていました。ジョアンのライヴはそういうものではないような、あの瞬間ですべてが完結してしまっているような、そんな気がちょっとしていました。

関係者の方々は大変でしょうけれども。

2006年12月03日

雑感(20日間とちょっとが過ぎて)

あまりに空が青いのでもう朝なのだろうかと思って起き出したら、月の明かりでした。日曜の朝午前3時。仕事部屋の窓から真正面に65%のウィンター・ムーンが煌々と輝いています。もったいないのでちょっと仕事をしながらまたビール…。

一昨日は一日中埼玉県中部を車で走り回る仕事でした。何気なくジョアン・ジルベルトの「イン・トーキョー」をかけたら、新たな発見と思い出しが色々とあって、結局夜までずっと繰り返し聴きながら車を走らせていました。初冬の紅葉にジョアンの歌はとても良く似合います。でもおそらくジョアンの歌は若葉にも初雪にも大雨にも喧騒にも暗闇にも似合うのだろうと思います。

しかし改めて言うのは陳腐ですが、この「イン・トーキョー」は本当にすばらしい。至宝。記念碑。金字塔。こういう場面に立ち合えた私たちはなんと幸福だったのだろうと思います。やはりそれは奇跡と呼びたくなる種類の体験です。そして、こういう音楽が一方にあるのだということを、心の内側に持っていられることの幸福というのもまた…。

先日ライヴにお伺いしたある女性に「私の演奏をジョアンと比べないでくださいね」と言われました。でもある意味で比べてしまうのはどうしようもないことです。それは点数をつけるとか、ジョアンに比べて優れているとかいないとかではなくてです。うまく言えないのですが、例えば、自分だけの歌を歌っているかどうかとか、その一瞬に本当に集中しているかどうかとか、創造的であるかどうかとか、ひたむきに音楽に向かい合っているかどうかとか、ひたむきに人生に向かい合っているかどうかとか…やはりうまく言えないのですが。

そこで個人的なエピソードを一つ。僕の最初の「三月の水」を上梓する直前の出来事です。それはちょうどジョアンの初来日公演が終了した直後のことでした。

僕はその「三月の水」のカヴァーイラストはうちの相方のトムのイラストでいくしかないとずっと決めていました。リオの「ジョビン・ミュージック」にもそのように連絡していましたし、編集のKさんともそういう方向で話が進んでいました。ところが、直前になって、デザイナーの方がトムの写真を中心にしたカヴァーイラストを提案して、それで進行することに半ば決まりかけてしまいました。僕はその事実を半日後に知らされて、それに同意したといううちの相方と、かつてないほどの大喧嘩…うちの相方によると「離婚寸前の大喧嘩」…を繰り広げました。

僕の「三月の水」の表紙がどんなものになろうと、そんなことは多くの方は気にしないであろうことはわかっていました。でも、僕にとってその本の表紙はうちの相方のイラストでなければなりませんでした。もちろん、彼女のイラストが世間一般的な水準から見て優れているからというわけではありません。もっと優れているイラストや写真が世の中にたくさんあることはわかっていました。でも、その本の表紙だけは彼女のイラストでなければならなかった。だって僕はずっとそうなることを念頭に文章を書き続けていたのですから。要するにこれはそもそもの最初からそういう本だったのですから。そして彼女はその本の最高の理解者だったのですから。すなわちこれは二人で創った本だったのですから。

で、僕はジョアンの来日公演のプログラムを手にとって、相方にこう言ったのを良く覚えています。「この表紙を美しいと思わないか?」と。

それで相方も「わかった」と言って、編集のKさんに電話をかけてくれました。

ジョアンの初来日コンサートのプログラムのあのシンプルな表紙が美しかったのは、それがトータル・コンセプトの一環だったからです。「良い図案があったらそれを採用しよう」とかいうのではなくて、「ジョアンのコンサートのプログラムの表紙はこうでなくてはならい」と、誰かがそう思ったからです。きっと。

でも僕のような無名のライターが自分の最初の本の表紙に注文をつけるのは本来はあってはならないことで、そんなことは「どうぞお任せします」と言うべき問題でした。普通に考えればそういうことです。でも、僕はそうすることができませんでした。

それでその数日後に出版社の社長と直談判。夜の編集室で2時間くらい押問答の交渉が続きました。その大半はお互いに黙り込んでの沈黙の時間です。出版社としては「もうこれで進行している」というわけで、変更する場合には損害も生じます。ですから双方一歩も譲りませんでした。

と、その社長が、「ほかの人の意見も聴いてみよう」と言い始めました。そして、階下で仕事をしていた女性編集者に意見を求めることになりました。

彼女の答えは、「イラストの方が良いと思う」でした。

長々と書き過ぎてしまいましたが、ジョアン・ジルベルトの音楽は、僕にそういうことを思い出させてくれます。

生き抜くということ。妥協しないこと。貫き通すということ。諦めないこと。やり続けること。やり遂げること。真正面から立ち向かうこと。逃げないこと。そして、愛するということ。

ジョアン・ジルベルトのコンサートを過去に12回も体験できて本当に良かったと思うのは、音楽的な収穫ももちろんですが、それ以上に、ジョアンのコンサートを体験したあとはちょっとだけ背筋が伸びるからです。

以上……何を言おうとしていたのかわからなくなってしまいましたが……。

2006年11月19日

雑感(10日間が過ぎて)

 ジョアン・ジルベルトのコンサートが終了して10日間。この間僕は昼間の仕事で一世一代の大イヴェントがあったり、自宅のパソコンが5日間もネットに接続できなかったり(NTTの回線工事ミス)、色々ありました。昨日も今日もどっさりと仕事を抱えていて、立往生していて、完全に日常にはまっています。自宅ではLPやCDは相変わらず聴いていませんが、昨夜はあれから初めてちょっとだけライヴも聴きました(このことは改めて書くつもりでいます)。ジョアンのコンサートはずいぶん遠くなってしまった気がします。で、あれから思っていることを断片的に記します。

 今回のコンサートで4日間とも演奏して、いずれも短い演奏だったのですが、非常に印象に残ったのが、「十字路Caminhos cruzados」と「メヂタサォン(メディテイション)Meditação」でした。これまでの(2003年と2004年の)10回の日本公演では、前者は6回、後者は4回しか演奏していなかったので、特に印象に残りました。もちろん二曲ともトム・ジョビンとニュウトン・メンドンサの作品、いわゆる「New-Tom」作品です。

 それで今回ニュウトン色がちょっと強く出ていたように思ったのは、やはり僕だけでしょうか? 今回は、過去の来日公演では6回演奏した「ある夜Foi a noite」こそ演奏しませんでしたが(この曲がDVDに収録されないのは非常に惜しいです)、ほかにはもちろん、「サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ」と「ヂサフィナード」は演奏しました(前者は2回、後者は4回)。全体では回数はさほどでもないのですが、「十字路」と「メヂタサォン」のあの絶妙のデリケートな歌唱には、ニュウトンに対する思いがちょっと含まれていたように、僕は思いました。ただ、「十字路」はもちろん、シルヴィーニャ・テリス・ナンバーでもあるのですけれども。

 それにしてもやはり日本ではニュウトン・メンドンサは作詞家としてしか捉えられていないようです。過去二回の来日時に書かれた「ジョアン・ジルベルトのレパートリー分析」の類では、ニュウトンの名前はことごとく無視あるいは「書き落とされて」しまっています。僕の前の本は何の役にも立たなかったのだなあと、自分の非力を哀しく思います。

 ジョアンがニュウトン亡きあとニュウトンの奥さんに施した善行は本に書いた通りです。ジョアンとニュウトンとは僕などが思う以上に深いところでつながっていたはずです。だいたいボサノヴァというのはそういう音楽なのです。アミザーヂの音楽なのです。

 それに関してちょっと思うのは、今では楽譜さえ残っていなくて、ニュウトンのお姉さんくらいしか諳んじることのできない、失われた「New-Tom」作品のいくつかを、もしかしたらジョアンは歌えるのではないかということです。あるいは、ニュウトン単独の作品の中にも、ジョアンがあっさりと再現できる曲があるのではないかということです。これはもう妄想の類なのですけれど。

 今回、ジョアンのコンサートを聴いていて改めて思ったのは、レコード会社はこれまで一体何をしていたのかということです。ジョアンが寡作なのは、彼がレコーディングを好まないからではないはずです。面倒な仕事を避けて通ってきたレコード会社の怠慢だと思います。ブラジルのレーベルもアメリカのレーベルも日本のレーベルもしかりです。どうしてこれまでジョアンの録音をもっとたくさん残してこなかったのか? どうして誰一人としてそのことを反省して取り組んでこなかったのか? 返す返すも残念に思います。

 でも、今からでも、ジョアン・ジルベルトの全レパートリーをレコーディングできないものでしょうか? それはとてつもなく根気の必要な作業になることとは思いますが、ライフワークとして取り組もうというレコード会社がどこかにないものでしょうか?

 Eさん、やはりレーベル立ち上げるしかないですね。

*もっと色々と書くつもりでいたのですが、ニュウトン・メンドンサの話が中心になってしまいました。何だか変だなと思ってカレンダーを見ていてはたと気が付きました。ニュウトンの命日(11月22日)が近づいているのです。毎年こうなのです。傘とチョコレート。

2006年11月13日

Duas Contasについて

ジョアン・ジルベルトのコンサートが終わるといつものことなのですが、自宅で音楽を聴く気になれません。ジョアンのアルバムでさえ聴きたいと思えません。4日間のコンサートで二十年分くらいの音楽を聴かせてもらった感じがして、我が家はあの日から静まり返っています。もちろんTVも消しっぱなし(昨夜のNHK−TVは見ました。しかし、TVというメディアはひどいですね)。

で、ついさっきから、あれから初めて自宅でかけている音楽が、シルヴィーニャ・テリスの『2 EM 1』。「カリオカ」と「アモール・ヂ・ジェンチ・モッサ」のカップリングです。

ジョアンが今回の来日公演の初日にガロートの「ドゥアス・コンタス」を歌い始めたあの瞬間、「えーーー!」と思ったのですが、良く考えてみると、媒介はシルヴィーニャ・テリスではないでしょうか? もちろんジョアンにはガロートに対する敬愛は大いにあるでしょうけれど、あの曲は、それ以上に、かつての恋人シルヴィーニャを想いながら歌ったのではないかと思います。僕が勝手にそう思っているだけですが。

シルヴィーニャはこの「ドゥアス・コンタス」をこのデビュー盤「カリオカ」で歌っています。

で、これまた「ボサノヴァの歴史」のページをめくると、79ページにこういう箇所があります。

「ジョアンは、作曲者のガロートがトリオ・スルヂーナと録音した「ドゥアス・コンタス」を歌う彼女(シルヴィーニャ)に、何時間でも伴奏をつけてやることができた」。

どうしてジョアンがこの曲を歌う時にその当時を思い出さないことができるでしょうか?

ちなみに、今回も歌った「セン・ヴォセ」も、今回は歌わなかった(前回までは歌っていた)「フォイ・ア・ノイチ」も、いずれもシルヴィーニャ・テリスのレパートリーです。

ジョアンの今回の来日公演のレパートリーには、言葉は悪いかもしれませんが、「老境」が感じられるように思いました。すでにこの世を去っている、トム・ジョビンを初めとする友人を偲ぶ……と言うよりも、淋しがっている感じが、すごくあったと思います。

*などと書いていると本当にきりがありません。さあ、もう寝ないと……。

*でも日曜の夜遅くにAMラジオのような音質で聴くシルヴィーニャ・テリスは、まったく最高です。

2006年11月12日

Solidãoについて

今回のツアーでジョアン・ジルベルトが3日目を除いて毎晩演奏したトム・ジョビンとアルシーヂス・フェルナンデスの「孤独(ソリダォン)」についても、「ボサノヴァの歴史」にほんの短い記載があります。「音・友」版の155ページ・上段・7行目です。

この記述によると、この曲はポルト・アレグレ時代(1955年)のジョアンの唯一のレパートリーだったそうです。すなわち「ジョアン・ジルベルトは最後まで、「クルービ・ダ・シャーヴィ」では、ラジオで流れていたトム・ジョビンとアルシーヂス・フェルナンデスの曲、ノーラ・ネイの歌う「孤独Solidão」以外は歌わなかった」。よほどのお気に入りだったのですね。

少し調べてみたら、この曲には以下の録音がありました。

ノーラ・ネイ(78回転)1954年

ディック・ファルネイ DICK FARNEY E VOCÊ 1974年

ディック・ファルネイ FELIZ DE AMOR 1983年

カエターノ・ヴェローゾ TOTALMENTE DEMAIS 1986年

ゼゼ・ゴンザーガとマウリシオ・カヒーリョ SONGBOOK TOM JOBIM(ルミアール) 1996年

ミウーシャ COMPOSITORES 2002年

ジョアンが今回この曲を歌ったあとで、うちの相方が「この曲、カエターノが歌っているよね」と言ったので、僕は「カエターノがこの曲歌うわけがないよ」と言い返したのですが、ちゃんとありました。

この曲はレコードになったトムの曲としては四番目の曲です。タリク・ヂ・ソウザは「o Tom Jobim inicial do samba canção」と紹介していますが、発売された時の分類は「サンバ」だったようです。ノーラ・ネイによる最初の録音は、つい最近復刻された『Sinfonia do Rio de Janeiro』に入っています。トムの初期の作品を集めた『Meus primeiros passos e compassos』でも聴けます。

なお、共作者のアルシーヂス・フェルナンデスは、「カンシオネイロ・ジョビン」では次のように紹介されています。

「カルナヴァルの曲の作曲家で消防隊の楽団で音楽教育を受けたアルシーヂスは、ジョビン家のメイドの夫で、黒人で、今日ではパヴァォンジーニョとして知られるカンタガーロの丘のファヴェーラに住んでいた。良くトムと連れ立ってバーハ・ダ・チジューカのビーチに行っていて、二人ともそこで凧を上げるのが好きだった。二人の署名のあるサンバは二曲ある。「孤独」と「ヴェム・ヴィヴェル・ア・メウ・ラード」で、後者はジルダ・ヂ・バーホスによって一九五六年に発売された。友人で共作者のトム(彼の息子の代父でもあった)を介してエウテルピに就職し、著作収入の協会のSBACEMに入会した」。

ちなみに同名異曲はたくさんあって、おそらくドロレス・ドゥランの曲がいちばん有名です(ルーシオ・アルヴィスやイザウラ・ガルシアやクララ・ヌネスやナナ・カイミなどが歌っています)。あとはアントニオ・ブルーノの作品にも同一の曲名の曲があって、何人かの歌手が歌っているようです。

*などということを書いているときりがない……。さあ、仕事しないと!

2006年11月11日

pica-pauについて

あのユーモラスな「ピカ・パウ」について、「ボサノヴァの歴史」に一行だけ出てくるところがありました。「音・友」版の408ページ・下段・後ろから6行目です。

1960年代後半のニューヨークでのジョアンのレパートリーとして、「同じく(アリ・バホーゾの)1942年のマルシーニャ「キツツキpica-pau」」と掲載されています。やはり「マルシーニャ」として紹介されています。

ジョアンの60年代からのレパートリーであることがわかります。

雑感(4日間を終えて)

*昨日、一昨日と、また最多のアクセスがありました。11月9日が468人・1592ページ、11月10日が550人・1794ページでした。

ジョアン・ジルベルトの3回目の来日公演が終わりました。

次の来日があるのかどうか、今のところはわかりません。もしかしたらこれが最後なのかもしれないし、また次の機会があるのかもしれません。

でも今回僕は最終日の3曲目くらいから、これはもしかしたらジョアンの僕たちへのお別れなのかもしれないと思いながら聴いていました。この夜のジョアンは自らの最も得意とするレパートリーを片っ端から聴かせてくれたように思います。

そしてあの人間味あふれる演奏。初来日の時の張り詰めた緊張感と、再来日の時の大興奮・大感動と、今回の開けっぴろげなざっくばらんな演奏。もっと言うと、過去3回の来日は一夜一夜、一曲一曲、微妙に表情が異なっていました。そしてそのどれもが、甲乙付けがたい。すべてをひっくるめて、ジョアン・ジルベルトの音楽に触れることができたことを、心から幸福に思います。

今回の4公演に関して言えば、これまでになくすばらしかった部分と、その反対の部分とがありました。後者から言えば、ヴィオラォンには明らかなミスがかなりありました。ヴォーカルもコンサートが始まってからエンジンが掛かるまでに時間を要するようになっていました。その一方で、ヴォーカルの表現は一段と深みを増していたと思います。とても柔らかくて、滑らかだった。そのヴォーカルは、ジョアンの音楽の特質である「静けさ」が、沈黙と見分けがつかなくなるくらいの領域に入ってきたと思います。

相変わらず演奏曲目にも驚かされました。中でもトム・ジョビンの「ソリダォン」。ジョアンがこの曲を演奏しているとは知りませんでした。録音の非常に少ない、トムの初期の「幻の曲」の一つです。それから、アリ・バホーゾのマルシーニャ「ピカ・パウ」。この曲は僕の頭の中で鳴り続けています。そして極めつけは、ガロートの「デュアス・コンタス」。これは本当に絶句してしまいました。

また、最終日に日本初演の曲が途切れたのも、僕には何かの象徴のように思えます。

それにしても、最終日のあのリラックス。過去14回の日本公演(僕は大阪の2回には行っていないので僕にとっては12回の公演です)を通じて、ジョアンと日本のオーディエンスは、こんなにも打ち解けることができるようになったのだと、感慨深いものがありました。それはジョアンと日本のファンとの一種の高度なコミュニケーションの結果に違いありません。ジョアンは今回、僕たちに、かなりの割合で素顔を見せてくれたように思います。特に最終日にはそのことを心から感じました。フイ・カストロが書いている、夜中のリオの海岸のマン・ツー・マンの演奏を聴かせてもらっているような感じがありました。

思いは尽きませんし、淋しさも募りますし、ちょっとした放心状態が続いています。でもそれ以上に、今回は、ジョアンの音楽を堪能できた喜びの方が大きくあります。

そして休む間もなく日常へ。かぎりない余韻を残して。

ありがとう。ジョアン・ジルベルト。この体験を一生大事にしていきます。

2006年11月10日

ジョアン・ジルベルト最終日 11月9日(木)ライヴ・リポート

19:52 最初のブザー。「ただ今ジョアン・ジルベルトが到着いたしました」。

20:02 二度目のブザー。拍手。暗転。1分も経たないうちにジョアン登場。大拍手に打たれてしばらく立ち尽くしていた。

着席して、この日は「こんばんは」も何も言わずに歌い始める。1曲目は「僕は家へは戻らない」。歌い出しの声がかすれていて、やはり息は荒かったのだが、3コーラス(だったと思う)歌ううちに早くも少し落ち着いてくる。それにしても、ジョアンは初来日(2003年)の初日(9月11日)の一曲目をこの曲で始めたことを覚えているのだろうか?

続いて「リジア」。早くもかなり安定した演奏。

「イスト・アキ・オ・キ・エ」。3コーラス目だったか、いつになく強く弦を爪弾いたように思えた箇所があった。好演。

「ノヴァ・イルザォン」。二度目の来日の後半(東京)で毎日演奏していた曲。

5曲目が「マダムとの喧嘩は何のため?」。終了間際にあれ?と思った、コードを間違えたような箇所があった。するとジョアンは驚いたことに一度歌い終えたこの曲のラストの数小説を歌い直した。場内が沸く。その歌い直しの柔らかな感じと言ったらなかった。それにしても、ジョアンと日本のオーディエンスがこれほどまでに打ち解けることを3年前に誰が予想できただろう?

「プレコンセイト」。この曲もジョアンは大好きなのだろうなあと思う。

それからしばらくヴィオラォンを弾いていたが、そのまま「ア・フェリシダーヂ」が始まる。とてもラフな感じの演奏。歌詞が先に先に進む。途中、サビのところで、ヴォーカルがサビを歌いながらヴィオラォンは留まり続けるという面白い演奏があった。

この「ア・フェリシダーヂ」あたりからこの夜の雰囲気が掴めてくる。かつてないほどリラックスしているジョアン。初来日のあの緊張感はすでに過去のもの。まるでオーディエンスの一人一人がジョアンのプライヴェートの演奏に招待されている感じ。

「まなざし」。今回のツアーでは初めての演奏。2コーラスだけだったがまとまっていた。

「ドラリッシ」。左足が特に大きく動く。これも2コーラスだけだったが、エンディングがばっちり決まる。

「ソリダォン」。大半の部分は一つのコードを一度ずつ爪弾く演奏。2回歌って間奏をちょっと弾いてもう1回歌った。今回のツアーのテーマのような曲。

「オール・オヴ・ミー」。そっとそっと、ゆっくりゆっくり歌い始めるジョアン。少し歌って、すぐに続けざまに、キーを上げてもう一度最初から歌い直したのに驚いた。エンディングの「ドゥドゥー」というスキャットは、ジョアンが自分の演奏に満足したことを示すものだった。

「罪の色」。淡々と歌うジョアン。

それからまるで呟くように歌い始めたのが「ティン・ティン・ポル・ティン・ティン」だった。2コーラスだけだったが、ラストのスキャットと、ヴィオラォンを弾き終えた格好でしばらく静止するのは、ジョアンの満足を示していた。

14曲目が「白と黒のポートレイト」。これも呟くように歌い始めて、一つのコードを一度ずつ爪弾く単純な伴奏からスタートする。2コーラス目からリズムを足して、歌詞が先へ先へと進む。3コーラス目は今度は歌詞を引っ張って引っ張っての歌唱。4コーラス目ではまた歌詞が先に進む。そして最後に絶妙のコードが一つそっと付け足された。この夜のベストの一つ。

「サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ」。これも静かに静かに歌い始める。例のワン・ノートの部分は、歌詞がどんどん先を歌ってしまってヴィオラォンを待っているのがおかしかった。自在の歌空間。コードが違ったような気がしたところがあったが、良くわからない。でもすごく良かった。ジョアンも終了後しばらく静止。

「エスターテ」。1コーラス目は単調なコードのバッキング。2コーラス目でボサノヴァのリズムが入る。3コーラス目のフレットの高い位置のコード・ワークがクライマックスだった。ラストは一つのコードに幻想的なハミング。これもこの夜のベストの一つ。

「バイーア・コム・H」。ハイ・ポジションのコードをちょっとのけぞって弾くジョアンも観られた。

「十字路」。静かな静かな、まるで子守唄のような演奏。何と言うことはないのだが、すごく良かった。

そして、「我が故郷のサンバ」。一箇所声が出ないところがあったが、ものすごくバランサがあって、すばらしい演奏だった。短かったが(2コーラスだったと思う)、一際大きな拍手が起こる。

「ウェイヴ」。これも良かった。演奏後にしばらく静止するジョアン。

「オ・パト」。この曲はヴィオラォンのリズムが冴え渡っていた。見事。ところが、終了間際にいきなり演奏停止。そしてずり落ち掛けた眼鏡を直す。一言言ったのだが、良くわからなかった。場内に笑い。そして一際大きな拍手がしばらく鳴りやまなかった。

22曲目が「コルコヴァード」。ヴィオラォンの時折のアクセントが絶妙。ヴォーカルは途中ほとんど笑い声に聴こえたところもあった。2コーラス目と3コーラス目の間のハミングが良かった。コードをそっと一つずつ爪弾いて終わるエンディングも良かった。

そして、「想いあふれて」。3コーラス歌う。エンディングの最後の一つのコードを弾くまでの間が実に絶妙だった。

21:31 退場。でも1分ほどで戻って来る。ところどころに立ち上がって拍手している観客もいる。

アンコールの1曲目は、これもこのツアーのテーマのようになった、「トレーゼ・ヂ・オウロ」。好調を裏付ける好演。

続く「ヂサフィナード」は3コーラス歌ったが、2コーラス目の中盤の実に静かで柔らかい歌唱が心に残った。エンディングのハミングも美しくて、またしばらく拍手が鳴りやまなかった。

そして、「ピカ・パウ」。二度歌ってやめるのかと思ったらもう一度、さらにもう一度歌う。しかしこの曲はすっかり耳についてしまった。ジョアンのレパートリーとしてはちょっと異色の、しかし彼にぴったりの歌。

21:47 退場。でもまた1分ほどで戻って来る。ところどころでスタンディング・オヴェーション。

二度目のアンコールは、「メヂタサォン」から。2コーラスだけで短かったが、良かった。

「十字架のもとで」。この夜のざっくばらんなジョアンにしてはとても端正な好演だった。スキャットで終わる。

「イザウラ」。この曲も歌い終えるのかと思ったもう1コーラスを歌うという場面があった。また拍手がしばらく鳴りやまなかった。

そして、静かに静かに「バイーアの郷愁」を歌い始める。途中コードが違ったような気がしたところがあったが、これも良かった。

「君は愛を知らない」。カイミの曲を2曲続けて歌ったのは日本では初めてかもしれない。良い演奏だったが、すぐに終わってしまう。

ラストのラストは「イパネマの娘」。2コーラス目に「グラーサ」の歌詞のところでまた眼鏡がずり落ちてしまい、ヴィオラォンを弾くのを一瞬やめて右手で眼鏡を直したジョアン。場内に笑いが起きる。この曲は終わるのかと思ったところで終わらずに、結局は6コーラス歌ったように記憶している。

22:14 退場。スタンディングオヴェーションの中、途中で立ち止まって胸に手を置く仕草を見せるジョアン。しばらく拍手は鳴りやまなかったが、やがて場内は明るくなってしまった。

2006年11月09日

速報

あーあ、とうとう終わってしまいました。

20時02分 登場。大拍手に打たれてしばらく立ち尽くしていたジョアン。

僕は家へは戻らない
リジア
イスト・アキ・オ・キ・エ
ノヴァ・イルザォン
マダムとの喧嘩は何のため?
プレコンセイト
ア・フェリシダーヂ
まなざし
ドラリッシ
ソリダォン
オール・オヴ・ミー
罪の色
ティン・ティン・ポル・ティン・ティン
白と黒のポートレイト
サンバ・ヂ・ウマ・ノタ・ソ
エスターテ
バイーア・コム・H
十字路
我が故郷のサンバ
ウェイヴ
オ・パト
コルコヴァード
想いあふれて

21時31分 退場。でも1分ほどで戻って来る。

アンコール

トレーゼ・ヂ・オウロ
ヂサフィナード
ピカ・パウ

21時47分 でもまた1分ほどで戻って来る。

アンコール

メヂタサォン
十字架のもとで
イザウラ
バイーアの郷愁
君は愛を知らない
イパネマの娘

22時14分 退場。スタンディングオヴェーションの中、途中で立ち止まって胸に手を置くジョアン。しばらく拍手は鳴りやまなかったが、やがて場内は明るくなってしまう。

そしてついに日本初演はありませんでした。

ジョアン・ジルベルト3日目 11月8日(水)ライヴ・リポート

19:12 最初のブザー。

19:19 二度目のブザー。ところが場内はしばらく明るいまま。

19:28 ようやく暗転。その1分後、ジョアン登場。大きな拍手の中、何度もお辞儀をして着席する。「こんばんは」と言って、ヴィオラォンを爪弾き始める。

1曲目は「話から話へ」。だが、出だしのキーが合わなくて、すぐに歌い直し始める。ジョアンはまだ声が出ていなくて、息も荒い。ヴィオラォンの音はかなり小さめだが、澄んでいて、とても美しい。

続いて「平和な愛」をそっと呟くように歌い始める。まだ肩慣らしだが、2コーラスとも最後の「ポルケ・オ・アモール・エ……」のところを一オクターヴ高い音程で歌う。

「イスト・アキ・オ・キ・エ」。一度コードを間違える。まだウォームアップ状態。

「トレーゼ・ヂ・オウロ」。今回のツアーでのお気に入りの曲らしい。こういう曲にジョアンの原点があるのだろうなあと思う。

「白と黒のポートレイト」。黄色いライトの中のジョアンは白と黒ならぬセピア色の写真の中にいるようだった。だんだんと調子を取り戻し始める。

6曲目が「君は愛を知らない」。この曲も大半の部分は一つのコードを一度しか爪弾かなかった。でもそこに何とも言えないバランサとサウダーヂが秘められていた。この曲で完全復調。

「黄金の口のモレーナ」。今度は端正にボサノヴァのリズムを爪弾く演奏。デリケートでとても良かった。

そして早くも「ア・フェリシダーヂ」。完璧なコード・チェンジ。サウダーヂたっぷりの歌唱。3コーラス目ではヴィオラォンを先走らせて、4コーラス目では歌詞を先走らせる。自由自在に飛翔する歌声。見事な演奏。まさしくフェリシダーヂを味わったひと時だった。

次は今回のツアーでは初めてとなる「マダムとの喧嘩は何のため」。歌い始めると拍手。3コーラス目でヴォーカルもヴィオラォンもかなり音量を上げた場面があった。ジョアン、かなり乗ってきている。

次が、2日目の終演間際に演奏した「ピカ・パウ」。アリ・バホーゾのマルシーニャ。とてもユーモラスな曲で、間奏のところで「ピカ・ポン、ピカ・ポン、ピカ・ポン」と早口言葉のように歌うところが絶妙。途中の「ショー!」という掛け声も楽しかった。しかし、2日目には危なっかしかったこの曲を、ジョアンはこの2日間によほど練習したのだろう。

続いて「エクリプシ」。2コーラスだけですぐに終わってしまったが、最後にそっと弾いたコードの余韻が長く残った。

それから何やらいくつかのコードを弾いたあと、おもむろに「ウェイヴ」を歌い始める。この演奏は何も書くことがないくらいすばらしかった。

「ドラリッシ」。2コーラスだけの短い演奏だったが、良かった。終わると一際大きな拍手。ジョアンも満足そう。

14曲目が「リジア」。3コーラス目の静かな歌が特に強く印象に残った。

「グアシーラ」。何気なさそうにコードを爪弾きながら、特定の弦を強く爪弾いていることが明らかに感じられる演奏だった。うまい。こういう曲ではジョアンは実に良い。

「ホーザ・モレーナ」。歌とヴィオラォンはまるで別人が演奏しているみたいだった。ジョアンが新境地を見出すきっかけになったこの曲を、ジョアンは実に丁寧に歌った。

「罪の色(ダ・コール・ド・ペカード)」。日本初演。ボロローの曲。これで記録がつながった。

「ファルタ・メ・アルゲン」。最初の来日の時に一度だけ演奏したことのある曲。ジョアンは実に気持ち良さそうに歌っていた。4コーラスか5コーラス歌っていた。途中に珍しくアルペジオ的にヴィオラォンを爪弾く場面もあった。

「我が故郷のサンバ」。完璧な演奏。ラストの「ケン・ツク・ドン」のスキャットも楽しかった。ジョビン・ナンバーとカイミ・ナンバーではジョアンは特別に丁寧に歌おうとしているように感じる。

「十字路」。たった2コーラスだけだったが、すばらしかった。

「オール・オヴ・ミー」。舌打ちのパーカッション擬音を鳴らしたように感じられた箇所があったが、空耳だろうか? 自分自身で「ンー」と相の手のヴォーカルを入れたり、間奏時にベース音だけ爪弾いたり、すごくのっていた。5コーラス歌ったように思う。

そして、「三月の水」。今回のツアーでは初めての演奏。歌詞の先走りもこの曲がピーク。ほとんど二倍速で歌い切ってしまった場面もあった。その間もヴィオラォンは正確なリズムを刻み続ける。2コーラス歌って、ラストは例の「ヴォセ・イ・エウ」のスキャットの引用。白眉。この夜のベスト。

「バイーア・コム・H」。2コーラス目で終わるのかと思ったら終わらずにもう1コーラスを歌う。それにしても、今回のツアーでのジョアンの歌の柔らかさを再認識させられた一曲だった。エンディングは、どこにそういうイマジネーションが残っているのだろうと唸らされるくらいドラマティックだった。

21:04 ジョアン退場。そして1分後くらいに再登場。拍手が大き過ぎてなかなか座らせてもらえない。立ったまま小刻みに頷いて拍手の雨に打たれていたジョアン。

アンコール1曲目は「メヂタサォン」。2コーラス歌ってハミングで終わるのかと思ったらもう1コーラス。とても良かった。

「プレコンセイト」。浮遊するヴォーカル。ヴィオラォンが一瞬止まってしまったような箇所もあったが、それでも良かった。

「オ・パト」。とても楽しそうに歌うジョアン。観客も小さく首を振りながら聴いている。それにしても、このあひるがどうしたこうしたという歌詞の曲で5000人を酔わせてしまうジョアン・ジルベルトは、やはりすごい。エンディングが名残惜しそうだった。

「モーホのアヴェ・マリア」。静かで静かでたまらないほどすばらしかった。

「プラ・マシュカル・メウ・コラサォン」。強弱が明確で、これもすばらしかった。

そして、静かに静かに歌い始めたのが「ビン・ボン」。とても端正な演奏。

次の「十字架のもとで」もヴィオラォンが一度止まってしまったが、ジョアンはとても気持ち良さそうだった。ラストは「ダダーダダー」とスキャットで終わる。

続いて「想いあふれて」。ジョアンはこの曲はいつもほとんどいじらずにストレートに歌う。静かな静かな演奏。ジョアンの左足はずっとリズムを刻んで床を踏んでいた。

「ヂサフィナード」。一度終わりそうになったがもう1コーラスを歌うジョアン。恍惚。

次が「コルコヴァード」。コードを一度間違えたが、曲が終わるととても大きな拍手。

そして、しばらく考えていたジョアンは、2〜3のコードを弾いてから「イパネマの娘」を歌い始めた。3コーラス。ラストは、「ポル・カーザ・ド・アモール」と三回歌っておしまい。

21:53 大拍手の中、ジョアンは途中で三度頭を下げて退場した。

2006年11月08日

速報

今夜も良かったあ。堪能しました。

19時28分 登場。大きな拍手の中、何度もお辞儀をして着席。こんばんはと言ってヴィオラォンを爪弾き始める。

話から話へ
平和な愛
イスト・アキ・オ・キ・エ
トレーゼ・ヂ・オウロ
白と黒のポートレイト
君は愛を知らない
黄金の口のモレーナ
ア・フェリシダーヂ
マダムとの喧嘩は何のため
ピカ・パウ
エクリプシ
ウェイヴ
ドラリッシ
リジア
グアシーラ
ホーザ・モレーナ
罪の色(ダ・コール・ド・ペカード) 日本初演!
ファルタ・メ・アルゲン
我が故郷のサンバ
十字路
オール・オヴ・ミー
三月の水
バイーア・コム・H

21時04分 退場。
21時05分 再登場。でも拍手が大き過ぎてなかなか座らせてもらえない。立ったまま小刻みに頷いて拍手の雨に打たれるジョアン。

アンコール

メヂタサォン
プレコンセイト
オ・パト
モーホのアヴェ・マリア
プラ・マシュカル・メウ・コラサォン
ビン・ボン
十字架のもとで
想いあふれて
ヂサフィナード
コルコヴァード
イパネマの娘

21時53分 大拍手の中、途中で三度頭を下げて退場。

「最後」だなんて言わないで……

*昨日(11月6日)はこのブログ始まって以来最多のアクセス(511人・1452ページ)がありました。

最初の2日間だけ行って、あとは行かないつもりでいたという友人から、最終日もう一度行くことにしたとEメール。良かった良かった。昨日の朝刊に広告が出ていたくらいですから、今からでも一人でも多くの方にジョアンのライヴを体験していただきたいです。もしかしたらこれが……かもしれないのですから。

でも、「最後の奇跡」などと言わないで、来年以降もぜひともこの国でコンサートを続けて欲しいです。3年後になっても5年後になっても構いませんから。「奇跡、四たび」でも「最後の最後」でも「今回は奇跡なし」でも何でも良いではないですか? 

ジョアン・ジルベルトのコンサートを体験してしまった今となっては、これが最後だと宣言されてしまっては、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、ある意味では人生の楽しみが半減してしまいます。ジョアンのコンサートに代わるものなど世の中にあるはずがないのですから。

75歳の高齢で地球の裏側まで飛んで来て4日間たった一人でステージに立つことの過酷さは想像を超えたものがあります。それはわかっているのですが、神様、宮田様、ジョアン・ジルベルト様、署名運動でも何でもやりますから、ぜひともまた次の機会を前向きに考えていただけないでしょうか?

ともあれ、今は、残りの2日間のステージを存分に楽しみたいと思います。

2006年11月07日

雑感(2日目を終えて)

ジョアン・ジルベルトは予想以上に好調です。初日に声の美しさに驚き、2日目にとてもリラックスして聴かせてくれた新境地に驚きました。

僕は初日は2階の5列目でした(ジョアンのコンサートで2階は初めてでした)。2日目は1階の6列目でした。音は初日の方が格段に良かったです。2日目はヴィオラォンの音が大き過ぎて時々おかしかったです(僕の席からは低音がおかしいと感じました。1階の後方で聴いていた方によると高音がおかしかったそうです)。そのことがあるので、初日と2日目の単純な比較はできません。ただ、2日目の後半はこれまでにないくらいのっていたと思います。でもとにかく1日1日微妙に表情が異なるので、やはりどちらが良かったということは簡単には言えません。

ジョアンのヴォーカルは、すばらしいです。歌い方が以前よりもさらに柔らかくなったように感じるのは気のせいでしょうか? いずれにしても、一曲一曲、ものすごく丁寧に歌っていることが伝わってきます。本当に魅了されてしまいます。

一方、ヴィオラォンの演奏にはミスもあるのですが、いろいろなことに挑戦しようとしているので、全体からいうとあまり問題とは思いません。それに、以前にも書きましたが、ジョアン・ジルベルトを聴くということは、ミスの数を数えることではないはずです。

あとは、登場してからエンジンがかかるまでに以前よりも時間を要するようになった気がします。それに関連して言うと、控え室から舞台まで歩くのに息が上がってしまっているようなので、舞台の袖で一休みしてから出てきてくれると良いと思うのですが、そういうことは無理なのでしょうか? ジョアンが申し訳なさそうにしているので、気の毒に思います。

レパートリーは、今回顕著なのは、おとなしめの曲が多いことです。テンポの速い曲が少なくなったように思います。あれほど好んで演奏していた「マダムとの喧嘩は……」も今回はまだですし、「ティン・ティン・ポル……」などはかなり静かに歌っています。たまたまそういう結果になっているだけなのか、ジョアンの心境に変化があるからなのか、どちらなのかはわかりませんが。

ジョアン・ジルベルトのレパートリーは、おそらくまだまだたっぷりと「兵器工場」に眠っているのだと思います。でもそろそろ「日本初演の連続記録」は途切れそうな予感がします。まあ、それはこちらが勝手に面白がっているだけなので、本質的なことではないので、どうでも良いのですが。

レパートリーについて考えると、「ジョアン・ジルベルトはすばらしい」という理由の一つに、(「ヴォーカルがすばらしい、ヴィオラォンがすばらしい」などと並んで)「選曲がすばらしい」という要素があることに思い当たります。第一にボサノヴァの創始者として、第二にサンバの守護神として、そして第三に、海外の名曲の紹介者として、ジョアンの選曲は見事です。例えば「エスターテ」というイタリアの名曲(ブルーノ・マルティーノとブルーノ・ブリゲッティの作品)を自身のレパートリーに加えたのは、本当に見事な選択だったと思います。

でもそれも反対に言えば、ジョアンが歌うとどの曲だってすばらしいということにもなるのですが。

それに関連して言うと、収録が発表されているDVDは本当に難しいと思います。80分という長さになるようですが、昨夜も会食の席上で、「3時間くらい録ってDVD3巻セットで出して欲しい」ということで全員の意見が一致しました。80分と言うと、20曲くらいでしょうか? それだとやはり物足りないし、ジョアン・ジルベルトの持ち味のほんの一部しか収められないのではないかと思います。

そこで、以下、独断と偏見による、DVD収録希望曲リストです。ジョアンがこれまでに日本で演奏した曲の中から、なるべくならばまだ録音を残していない曲を中心に収録して欲しいと思います。でも、これは難しいな。ジョアン自身に選曲してもらうしかないですね。

*ジョビン・ナンバー
 ジェット機のサンバ
 あなたなしで(セン・ヴォセ)
 ある夜(フォイ・ア・ノイチ)
 ソリダォン
 リジア
 ヴォセ・ヴァイ・ヴェル
 白と黒のポートレイト
 十字路
 メヂタサォン
 インセンサテス
 平和な愛
 ア・フェリシダーヂ
 想いあふれて

*ドリヴァル・カイミ・ナンバー
 我が故郷のサンバ
 バイーアの郷愁
 アコンテシ・キ・エウ・ソウ・バイアーノ

*アリ・バホーゾ・ナンバー
 イスト・アキ・オ・キ・エ
 プラ・マシュカル・メウ・コラサォン
 ブラジルの水彩画

*その他
 アス・トレス・ダ・マニャン(エリヴェルト・マルチンス)
 モーホのアヴェ・マリア(エリヴェルト・マルチンス)
 アデウス・アメリカ(ジェラルド・ジャキスとアロルド・バルボーザ)
 マダムとの喧嘩は何のため?(ジャネッチ・ヂ・アルメイダとアロルド・バルボーザ)
 デュアス・コンタス(ガロート)
 エスターテ(ブルーノ・マルティーノとブルーノ・ブリゲッティ)
 僕は家へは戻らない(アントニオ・アルメイダとホベルト・ホベルチ)
 十字架のもとで(マリーノ・ピントとゼー・ダ・ジルダ)
 ボンファに捧ぐ(ジョアン・ジルベルト)

*かなり絞り込んだつもりで27曲。やはり難しいです。