2009年09月08日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(15)

僕はブラジルにおけるクラシック音楽の作曲家については、ヴィラ=ロボス以外はほとんど知識がなくて、あとはナザレーを数枚持っているくらいです。そういう立場であることを前提として言うと、ヴィラ=ロボスはアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)を初めとするブラジルのポピュラー音楽の作曲家に、非常に大きな影響を与えていると思います。

極端な言い方をすると、ヴィラ=ロボスを受け継いだのはむしろポピュラー音楽の音楽家たちだったのではないかと言いたいくらいです。作曲、編曲、対旋律、抑揚、句読点、フーガへの執着、チェロへの愛着、などなど。今日僕たちがブラジルのポピュラー音楽を聴いていて「ブラジル風」だと感じる旋律や和声、構成や展開は、その多くがヴィラ=ロボスに起源があったことが、今回のコンサートで確認できました。ヴィラ=ロボスの存在がなかったら、ブラジルのポピュラー音楽はどのような形になっていたのか、想像がつかないくらいです。

ヴィラ=ロボスの功績はそのようなところにもあると思います。その影響がクラシック音楽の世界だけに留まっていないところです。ヴィラ=ロボスを聴いたことのない人たちの間にも生き続けているところです。ポピュラー音楽が発展を遂げた20世紀の中盤から後半に掛けて、ヴィラ=ロボスはそのような形で「生き残った」のだと思います。

そのポピュラー音楽の世界の中で一番弟子的存在がトム・ジョビンです。ホベルト・ミンチュックも話してくれたのですが、トム・ジョビンはこれまで僕が思っていた以上にヴィラ=ロボスを微に入り細に亘り研究していたようです。そのことは今回の演奏でも充分に実感できました。ヴィラ=ロボスの存在がなかったら、少なくともトム・ジョビンの音楽は今日耳にできるものとはかなり異質のものになっていたに違いありません。

ただ、僕はこれまでヴィラ=ロボスの音楽にトム・ジョビンを通じて触れているようなところがあったので、これからはヴィラ=ロボスを正面からしっかりと聴いていきたいという思いを強くしています。これから好んで聴いていく音楽がちょっと変化していきそうな予感もしています。

トム・ジョビンがヴィラ=ロボスについて語っていることは、拙著「三月の水」の中で短い章を設けて書いていますので、ここでは多くは書きません。晩年のヴィラ=ロボスがブラジルにおいて狂人のように言われていた悲劇についても、トム・ジョビンは嘆きと憤りを込めて語っています。そのトム・ジョビンがヴィラ=ロボスに宛てて書いた「返事」の文章の結びの部分を、最後に引用しておきます。

親愛なるマエストロ、今日のブラジルではもうフランス風ビリヤードのような賭けごとはやりません。人々はもう帽子をかぶりません。夜が落ち、猿がパラミツの木に来て、僕はあなたを思い出しています。

*とりあえずこの話題は一度終わりにします。その後思い付いたことなどがあればまた付記します。
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2009年09月07日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(14)

書きたいことはすでにほとんど書いているので、まとめということもないのですが、最後に少しだけ付け足しておきます。

今思い出しても素晴らしいコンサートでした。2週間が経過した今でも、オーケストラの音が耳の奥に残っています。こういうことは本当に久し振りで、もしかするとジョアン・ジルベルトのライヴ以来かもしれません。僕の人生の中でも五本の指に入るくらいの素晴らしい音楽体験でした。

演奏も素晴らしかったのですが、「全曲通して演奏する」という企画そのものが秀逸でした。そういう意味では発想の勝利と言えるかもしれません。基本的なアイディアがチャレンジだったから、演奏の内容はもちろんのこと、すべてが型通りではなく、とても丁寧な仕事になったように思います。プログラムの解説やステージの設営まで、構成要素の一つ一つに音楽に対する愛情が感じられました。少なくとも僕はそう感じました。

個人的にはもちろんエイトール・ヴィラ=ロボスの素晴らしさを再認識できたことが最大の収穫です。なんという美しい音楽を書くのだろうと、改めて唸ってしまいました。録音を聴いているだけでは聴こえなかった音がはっきりと聴こえました。そしてヴィラ=ロボスはブラジルそのものなのだという思いを強くしました。

そういう意味では今回の企画の根幹はホベルト・ミンチュックを招聘したことだったと思います。繰り返しますが、「ブラジル風バッハ」を演奏するのに彼以上の適任者は世界中にいません。この曲ばかりは、ブラジル人が、あるいは少なくともブラジルの本質をきちんと理解している指揮者が振るべきだということを、演奏中に何度も感じました。

「ブラジルの本質」などということはとても一言では言えませんが、あえて言えば、愛とサウダーヂであり、自然と人間であり、体制や権力に対する反骨であり、諧謔であり、自虐であり、多様性であり、嘆きと哀しみであり、笑いであり、率直と屈折であり、それらすべての織り成すハーモニーであると僕は思います。ヴィラ=ロボスはそれらのすべてをその音楽で表現しています。

ただしこのようなことは言葉を重ねれば重ねるほどその「本質」から遠ざかっていくような感じもして歯痒いです。もっとシンプルに、「素晴らしい音楽を聴くことができて嬉しい」ということを記憶に留めておきたいです。

*続きます。
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2009年09月06日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(13)

そしていよいよ最後の1曲。第7番(オーケストラのための)が始まります。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。オーケストラはフルサイズに戻りました。

第1楽章はプレリュード(ポンテイオ)。第5番の第1楽章を発展させたようなテーマ。どことなく「シェガ・ヂ・サウダーヂ」のイントロも聴こえてきそうな曲です。「執拗な反復」「厳格な構成」「抒情性」「民族性」と、ヴィラ=ロボスの個性が詰め込まれている佳曲。それにしても良くまとまった演奏でした。最後のファゴットのたっぷりの余韻が印象的でした。

第2楽章はジーガ(クァドリーリャ・カイピラ)。第7番は普段から聴いているのですが、この楽章はあまり印象がありませんでした。明るく華やいだ舞曲。クァドリーリャはフランスの舞曲カドリーユのこと。これもとてもまとまった演奏でした。

第3楽章はトッカータ(デサフィオ)。シロフォンとココが活躍する、リズムに妙味のある曲。デサフィオというのは「チャレンジ」という意味で、「即興の歌唱の決闘という民族的伝統」のことだと、これもミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に言及があります。この曲もいつもは聴き流してしまうのですが、この日は一糸乱れぬ演奏で聴かせました。

第4楽章はフーガ(コンヴェルサ(対話))。最後の最後はまたフーガです。チェロの中低音に始まって、ヴァイオリンの中音、続いて高音と、各パートが歌い繋いでいきます。あまりにも美しい旋律。最後の最後はサウダーヂいっぱいに、引っ張って引っ張ってようやく終わりになりました。盛大な拍手が沸き起こり、鳴りやみません。ミンチュックも二度、三度とステージに戻って、自分が応えると言うよりは、むしろオーケストラを労っていました。

*続きます。
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2009年09月05日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(12)

第2番が終わると、司会の加藤さんと通訳のブラジル大使館の男性が再登場。ホベルト・ミンチュックも登場して、再度インタヴューが始まりました。以下もメモは怪しいのですが、だいたいこういう感じでした。

Q:世界各国のヴィラ=ロボスの反響は?

A:私はヴィラ=ロボスを世界各国で紹介しているが、すべての国で大変美しいという好評を得ている。カナダではヴィラ=ロボスとバッハの作品のコンサートを開いた。最後に第7番を演奏したが、カナダでは珍しいことに、演奏が終わるとスタンディングオヴェイションが起こった。コンサートのあとには楽団の団員から「これほど美しい曲は初めて知った」という大変嬉しい感想をもらった。

Q:また来日してヴィラ=ロボスの音楽を日本に紹介して欲しい。

A:ブラジルでもどの国でも、団員のノリやスウィングという点で、ここまで勘の良い楽団を指揮したのは初めてだ。私としても嬉しい経験だった。ヴィラ=ロボスの作品は膨大で、全部で1,000曲以上と言われているが、ブラジルでもまだ知られていない曲がたくさんある。この10月にはリオで「マグダレイナ」というミュージカルを初演する。質の高い作品がたくさんあるので、またぜひ日本で紹介したい。

*続きます。
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2009年09月04日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(11)

15分間の休憩を挟んで、やや小編成になったオーケストラが登場しました。この日の演奏もあと2曲。有名な第2番(オーケストラのための)が始まります。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

第1楽章はプレリュード(オ・カント・ド・カパドシオ(ならず者の歌))。カパドシオというのは「カッパドキアの」すなわち「小アジアの」という意味なので、もともとトルコ人を指した言葉だと思いますが、軽蔑の意味が転じたらしく、「街のけちなごろつき」「その日暮らしのたかり屋」のことだとミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に解説があります。曲が始まって間もない箇所のサックスとトロンボーンの物憂いメロディが全体の印象を決定しています。そしてこの曲も反復また反復。この演奏では東京フィルの「間」の絶妙が印象に残りました。

第2楽章はアリア(オ・カント・ダ・ノッサ・テーハ(我らが故郷の歌))。後半のヴァイオリンの思い入れたっぷりのテーマが最高でした。

第3楽章はダンサ(レンブランサ・ド・セルタォン(奥地の歌))。ミンチュックが素晴らしいのは一つの曲の中の強弱や緩急がこれでもかというくらいに明確なところです。この第3楽章はその典型で、「ここでこんなに伸ばすのか?」「ここでこんなに力むのか?」というところが何箇所もありました。時には「過剰」の一歩手前に踏み留まっているくらいなのですが、それはミンチュックの「自分はヴィラ=ロボスを理解している」という自信の表われでもあると思います。反応する東京フィルの「ため」も見事でした。

第4楽章はトッカータ(オ・トレンヂーニョ・ド・カイピラ(田舎の小さな汽車))。最初のところで面白かったのは、まだ第3楽章が終わっていない時点でパーカッショニストたちが立ち上がり、第3楽章の最後の余韻があるうちにミンチュックの合図に合わせて、ほとんど切れ目なく第4楽章に突入したことでした。全曲演奏のCDでもこの2つの楽章は立て続けに収録されています。ミンチュックがこの2つの楽章はシームレスで演奏されるべきだと解釈していることが窺えます。

その点はともかくとして、この第4楽章、ミンチュックがこの曲を隅々まで熟知していることが伝わってくる素晴らしい演奏でした。オペラシティの観客は一瞬にしてブラジルの田舎の汽車の乗客になってしまいました。日本のオーケストラでここまでヴィラ=ロボスが、ひいてはブラジルが表現できるとは。とても感動的な、この日のコンサートを象徴する演奏だったことを記録しておきたいと思います。

*続きます。
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2009年09月03日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(10)

続いてこの日の7曲目。第8番(オーケストラのための)。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

第1楽章はプレリュード。どこかで聴いたようなメロディが随所に現われては消えます。トム・ジョビンに限らず、ポピュラー・ミュージックの作曲家はヴィラ=ロボスからずいぶん多くを引用していると思います。「シバの女王」?という箇所もありました。

第2楽章はアリア(モヂーニャ)。これも同じく美しいメロディの宝庫。弦を初めとしてオーケストラ全体がとても良く歌っている演奏でした。曲が終わると汗を拭くミンチュック。

第3楽章はトッカータ(カチーラ・バチーダ)。カチーラというのはカテレテとも言ってインディオ起源のブラジル南部の舞曲のこと。これは一転して元気のはじける演奏でした。パーカッションを多用したカラフルな曲の中で、中盤にファゴットが奏でる抒情的なメロディが印象的。そこからの展開がドラマティックです。

第4楽章はフーガ。のっけから渾身のメロディ。これも歌心のある演奏で、ヴィラ=ロボスの特徴の一つ、あるいは最大の特徴であるとめどない抒情性を堪能しました。ちなみにナット・キング・コールで有名なイーデン・アーベスの「ネイチャー・ボーイ」――晩年のヴィニシウスも愛した曲――はこの曲の露骨な引用だと思います。

*続きます。
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2009年09月02日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(9)

第5番のあとに30分間の休憩があって、「ロビーコンサート」と題するギターの演奏がロビーで行なわれたのですが、あっと言う間に人だかりができてしまいました。PAがセットされていなかったので、至近距離の人にしか音が届かず、残念でした。この間にステージではオーケストラのセッティングが着々と進行していました。

そして後半は第3番(ピアノとオーケストラのための)から始まりました。ピアノ:白石光隆。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

この第3番、僕はこれまで「ブラジル風バッハ」の中でいちばん興味がなかった曲でした。ショパンか誰かのピアノ協奏曲みたいで、ヴィラ=ロボスらしさが希薄で、面白くない曲だと思っていました。

第1楽章はプレリュード(ポンテイオ)。曲が始まってすぐに、音の深みに圧倒されました。さすがにミンチュックは東京フィルを良くまとめて、この曲からヴィラ=ロボスの味わいを引き出していることに感心しました。ポンテイオというのはギターの爪弾きのことで、「激しい導入のあとのメインテーマでピアノが入るところでチェロが演奏している」のがポンテイオだと、ミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に解説があります。

第2楽章はファンタジア(デヴァネイオ)。デヴァネイオというのは夢想のこと。これもこれほど良い曲だったかなあと思う演奏。中盤の「動」から「静」に転じるところなど、じーんと来たところがありました。

第3楽章はアリア(モヂーニャ)。これまた、美しい導入部から、ドラマティックに盛り上がる中盤、静けさを取り戻す後半と、魅せられました。エンディングも見事で、終わるとミンチュックとピアノが笑みを交わしていましたから、彼らとしても快心の演奏だったのだと思います。

第4楽章はトッカータ(ピカパウ)。ピカパウとはキツツキのことで、この副題は「ショーロNo.3」と同じです。テーマにも「ショーロNo.3」のメロディが用いられています。いくつもの小さな流れがやがて大河になっていくようなイメージの演奏でした。

僕がこの日のコンサートは本当に素晴らしいと感じたのはこの第3番からでした。ホベルト・ミンチュックがこの東京フィルをまるでヴィラ=ロボスを毎日演奏しているオーケストラみたいに仕上げたことに感激しました。普段あまり興味を持って聴いていなかった曲だけになおさら感嘆しました。

第3番が終わると、ピアノの白石さんに司会の加藤さんがインタヴュー。白石さんは、「20世紀の現代音楽はお国柄が薄れていって、どこの国の音楽かわからない音楽もあるが、その人が生きた環境は嘘を付けない。ヴィラ=ロボスは自分が生きた環境にバッハというヒントを得て素晴らしい作品を生み出したと思う」という意味のことを語っていました。とても共感しました。

*続きます。
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2009年08月30日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(8)

そしていよいよおなじみの第5番(ソプラノと8本のチェロのための)です。ソプラノ:中島彰子。チェロは第1番と同様、東京フィルハーモニー交響楽団の8人。指揮はなし。第1楽章はアリア(カンティレーナ)。第2楽章はダンサ(マルテーロ)。

この日のコンサートの中で一つだけ注文を付けるとすれば、この第5番、ソプラノにもっと丁寧に歌って欲しかった。そう思います。

おそらくとても実力がある歌手なのだろうと思います。声はとても美しかったです。抜群の声量にも驚きました。しかしこの曲は、もうちょっときめの細かな表現ができなかっただろうか、彼女ならきっとできたのではないだろうか、そう思いました。この曲はブラジルの魂almaそのものなのです。曲のあとに司会の加藤さんの質問に答えて、ポルトガル語をずいぶん練習したと話していましたが、ポルトガル語などはローマ字読みで構わないので、この曲の「魂」を理解することに時間を費やして欲しかった。チェロのアンサンブルが素晴らしかっただけに、彼女の歌には残念が残りました。

もっとも、彼女が歌い終わると同時にあちこちから「bravo!」の声が飛んで、この日最大の喝采を浴びていましたから、僕の聴き方の方が偏向しているのだと思います。どうしても僕は、ブラジルの立場から、ヴィラ=ロボスの立場から、ものごとを捉えてしまいます。

あと、これは個人の趣味の問題ですが、アリアの最後の一音はピアニシモの方がずっと効果的です。ヴィラ=ロボスの自演盤で歌っているロス・アンヘレスを、一人でも多くの人に聴いて欲しい。あらゆる表現活動の手本がそこにあります。かくありたいものだと僕も思います。

*続きます。
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2009年08月29日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(7)

15分間の休憩を挟んで、東京フィルハーモニー交響楽団のチェリストが8人登場しました。女性が3人、男性が5人。指揮はなし。そしてこの日の4曲目、第1番(8本のチェロのための)が始まりました。

第1楽章はイントロドゥサォン(エンボラーダ)。唐突にユニークなリズムで始まります。チェロの繊細さと力強さが交錯します。チェロ8本のアンサンブルのダイナミズム。ヴィラ=ロボスの特徴の一つである厳格な構成が印象的な曲です。エンボラーダというのは北東部の一つの歌唱スタイル。演奏が進むうちにどんどん息が合っていったように感じました。

第2楽章はプレリュード(モヂーニャ)。短めの導入に続いて第一テーマが現われるところの美しさは鳥肌ものです。やがていくつもの旋律が現われては消えていきます。波が打ち寄せては引いていくように。そして一通りの展開のあとにまた第一テーマが現われて、導入と同様のエンディング。これまた「厳格なまでの構成美」が特徴的な曲です。隅々に詩情が満ちていて、ヴィラ=ロボスのある一面が凝縮しているような佳曲です。モヂーニャというのはモーダとルンドゥから生まれた抒情的な歌唱スタイルのこと。演奏は心がぴたりと合っていて、素晴らしかったです。

第3楽章はフーガ(コンヴェルサ(対話))。フーガをベースにしたコール&レスポンス。これもすごく良い演奏でした。

曲が終わると司会の加藤さんが現われて、ヴィラ=ロボスが最初に手にした楽器はチェロだったとか、この曲のスコアには「チェロのオーケストラのために」と書かれているとか、解説を加えました。

*続きます。
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2009年08月28日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(6)

続いて第4番(ピアノのための)。ピアノ:白石光隆。前述のように僕はこの曲もオーケストラの演奏しか聴いたことがありませんでした。そして「ブラジル風バッハ」の中でもとりわけメロディが美しいこの曲をとても好んで聴いてきたので、愛着のあるオーケストラ版で聴けないことを残念に思っていました。

第1楽章はプレリュード(イントロドゥサォン(導入))。少しの間ののちに最初の音が聴こえてきた瞬間、この曲がもともとピアノ曲だったことが理解できた気がしました。なるほどこれはピアノのために書かれた曲だったのだということがわかった気がしました。これまたひたすら主題が繰り返される「執拗な反復」の曲。最後まで緊張感のある好演でした。

第2楽章はコラール(カント・ド・セルタォン(奥地の歌))。第1楽章の余韻が終わるか終わらないかのうちに始まりました。この楽章にも、なるほどオーケストラのあの演奏はもともとピアノがこう弾いていたのかと目から鱗が落ちました。そしてこの曲あたりでだんだん胸がじーんとしてきたことを覚えています。とても特徴的な、延々と繰り返される右手のあの反復(トム・ジョビンが「マチータ・ペレー」で引用しています)は鳥の声でしょうか?

第3楽章はアリア(カンチーガ(民謡))。メロディはヴィラ=ロボスの創作ではなく、もともとはブラジルの民謡です。僕はずっとネイ・マットグロッソがヴィラ=ロボスとトム・ジョビンの曲を歌った『オ・カイール・ダ・タルヂO cair da tarde』でこの曲を聴いてきましたが、その録音では曲名は「カイコーCaicó」となっていました。リオ・グランヂ・ド・ノルチ州の都市の名前なので、おそらくその地方の民謡なのだと思います。旋律はとても美しい。極めてブラジルらしくもあり、まるで日本のわらべ唄のようでもあります。

第4楽章はダンサ(ミウヂーニョ)。一転して明るく躍動的な曲。ミウヂーニョというのは素早く小刻みなステップを踏む古い舞踏のスタイルです。曲は短く、すぐに終わってしまう感じがします。

白石光隆さんのピアノはリズムとテンポが安定していて、均整が取れていて、抑制しながらも自分の歌を歌っていたと思います。ヴィラ=ロボスの楽曲は非常に歌謡性が強いので、「自分の歌を歌っているかどうか?」はとても大切なものさしになります。

結果的に第4番、ピアノで聴くのもまったく悪くない。そういう感想を持ちました。

*続きます。
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2009年08月27日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(5)

第9番が終わると司会の加藤さんと通訳のブラジル大使館の男性が出て来ました。ホベルト・ミンチュックを呼んでインタヴューが始まりました。ここもろくにメモが取れなかったので、だいたいこういう感じだったということでご容赦ください。

Q:日本の印象は?

A:サンパウロで生まれたので日本には親しみを持っていた。日本人は文化を尊重する人たちだ。

Q:ブラジルにおいてヴィラ=ロボスの存在は?

A:ヴィラ=ロボスはブラジルという国そのもの、ブラジルの自然、豊かさ、美しさを表現している。ブラジル人の魂almaを表現している。ブラジル人は困難に直面しても音楽を通して陽気に乗り越えようとする。ヴィラ=ロボスはブラジルの広さ、美しさを表現している。ブラジルの喜び、陽気さを表現している。優しさに満ちた、心の開かれた、想像力の高い音楽だ。

Q:「ブラジル風バッハ」の全曲を一度に演奏するのは?

A:ソロで演奏する場合などを除けば、1日で全曲を演奏するのは歴史上初めてだと思う。

Q:第9番の合唱版と弦楽版の違いは?

A:曲としては同じだが、ヴィラ=ロボスが最初に作曲したのは合唱版、正確には声のオーケストラorquestra de vozだった。当時としては非常に独創的な考え方だった。声を楽器として扱ったのはヴィラ=ロボスが初めてだった。のちにスウィングル・シンガーズが有名になったが、そのずっと前にヴィラ=ロボスはこういう作品を書いていた。リリカルであると同時に声を楽器として使っている。弦楽版も美しいが、人の声に優る美しいものはない。

*続きます。
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2009年08月26日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(4)

2曲目は第9番(無伴奏合唱のための)。合唱:新国立劇場合唱団。指揮:ホベルト・ミンチュック。前述のように僕はこの曲は弦楽合奏曲としてしか聴いたことがなく、合唱版を聴くのは初めてでした。

プログラムではこの曲は「プレリュードとフーガから成っているが、2つの部分が楽章として分けられはせず、全曲一続きに流れてゆく」と解説されています。僕もずっとそう思っていたのですが、今回購入したホベルト・ミンチュックの全曲演奏のCDには、第1楽章がプレリュード、第2楽章がフーガと記載されています。ホベルト・ミンチュックはこの曲を2つの楽章で成り立っている曲として解釈しているようです。CDでもこの日の演奏でも、2つの楽章の間には切れ目はほとんどありませんでしたが。

舞台下手から男性12人、女性12人の合唱団が登場。そしてホベルト・ミンチュックが登場します。ハーモニカで簡単に合わせて合唱が静かに始まります。

最初に驚いたのは、歌い出しのところの印象が、トム・ジョビンの『ブラジリア……暁のシンフォニー』の第5楽章「合唱」の最初の部分の印象に瓜二つだということ。トムはこの曲の合唱版に霊感を受けてあの曲を書いたのではないかと思います。

それはともかくとして、この第9番、合唱曲になるとやはり雰囲気が全然違います。まるで別の曲のようです。プレリュードの部分はすぐに終わって、フーガの部分が始まります。ヴィラ=ロボス特有のあの執拗な反復が繰り返されていきます。リズムもユニークです。

新国立劇場合唱団の合唱は、ドラマティックで、躍動感があって、素晴らしかったです。合唱団の実力もあると思いますし、それを引き出したホベルト・ミンチュックの功績も大きいと思います。

ところで、ヴィラ=ロボスはこの曲を無伴奏合唱曲として書いたあとに、合唱曲としては演奏するのが難しいから、弦楽合奏曲として演奏してもよろしいと許可したということになっていますが、本当でしょうか? 今回の演奏を聴いて、僕はちょっと疑問を感じました。もちろん難しい曲なのだと思いますが、だからと言ってそういう変更を簡単に認めるものでしょうか? この曲が弦楽合奏曲として演奏されるようになったのは、何かほかの理由があったからではないのだろうかと感じました。

*続きます。
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2009年08月25日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(3)

オープニングは第6番(フルートとファゴットのための)。フルート:斎藤和志。ファゴット:黒木綾子。指揮はありません。これも好きな曲でした。

第1楽章はアリア(ショーロ)。出足はちょっと硬いかなと思いましたが、すぐに滑らかになりました。フルートとファゴットの絡み合い。シンプルでストレートな、メロディの美しさが際立つ演奏でした。

第2楽章はファンタジア。第1楽章を発展させた、より不協和的なハーモニーです。ちなみにスタートしてすぐのところで、トム・ジョビンが「ハダメス・イ・ペレ」で引用している上昇的音階をフルートが奏でるところがあります。フルートのリードが見事。良質のコンサートになることを予感させてくれた好演でした。

ここで司会の加藤昌則さんとブラジル大使館の男性が登場して、ヴィラ=ロボスの文章を朗読します。ブラジル大使館の男性がポルトガル語で読んで、加藤さんが日本語で訳します。あまりメモが取れなかったのですが、以下のような感じでした。

「私の音楽作品は……広大で豊穣な灼熱の土地の果実だ」

「そう、私は典型的なブラジル人だ」

「私は……この広大なブラジルの川や海や……この森林と大空に……熱帯の活力……直観的に書き写しながら、すべての作品を書く」

この文章、どこかで読んだことがある気がするので、探してみます。

そして加藤さんが、この日のコンサートが4時間30分の予定であること、演奏の順番は楽曲の順番ではなく、小さな編成がだんだん大きな編成になるようにしていることなどを説明します。また、これから演奏する第9番について、普段は弦楽合奏で演奏されることが多いが、今回の企画はオリジナルの編成で楽しんでいただく趣旨なので、オリジナルの無伴奏合唱で演奏するということを解説します。

*続きます。
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2009年08月24日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(2)

僕はクラシック音楽の世界に精通しているわけではないし、ヴィラ=ロボスに詳しいわけでも決してないのですが、「ブラジル風バッハBachianas Brasileiras」は大好きで、以前から良く聴いていました。自宅を捜索してみたら下記の盤が出てきました。

全曲演奏

ヴィラ=ロボス指揮/フランス・ラジオ放送・国立コーラス+オーケストラ(1954〜59年)

エンリケ・バティス指揮/ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ(1985〜86年)

一部の演奏

マイケル・ティルソン・トーマス指揮/ニュー・ワールド・シンフォニー(1996年)(4番・5番・7番・9番)

ポール・カポロンゴ指揮/パリ管弦楽団(1973年)(2番・5番・6番・9番)

アマニュエル・クリヴィヌ指揮/リヨン国立管弦楽団(1994年)(2番・5番)

実はホベルト・ミンチュックが全曲を録音していることは直前まで知らなくて、「買わなくちゃ」と思っていたのですが、公演までに間に合いませんでした。そうしたらちょうど昨日会場で売っていたので、相方にねだって買ってもらいました(これはそのあと思わぬ形で功を奏しました)。

それで、ホベルト・ミンチュック指揮、サンパウロ・シンフォニー・オーケストラの演奏を昨夜からずっと聴いているのですが、感動が甦るとはこのことです。素晴らしい演奏です。僕が今まで主に聴いていたのは、ヴィラ=ロボス本人と、エンリケ・バティスと、マイケル・ティルソン・トーマスの録音だったのですが、「ブラジル風バッハ」に決定的名盤が登場したと自信を持って言えます。この深み。この温かさ。この厚み。この輝き。そしてこのブラジリダーヂ。素晴らしいです。泣けてきます。おかげで今日は全然仕事になりませんでした。

さて、ホベルト・ミンチュックの録音を聴いていなかった僕にとって、「ブラジル風バッハ」の9番は絶対に弦楽合奏曲で、4番もオーケストラ曲以外にあり得ませんでした。ですから、今回の全曲演奏会でオリジナルの編成を採用して、9番は無伴奏合唱曲として、4番はピアノ独奏曲として演奏されると知った時には、ちょっとがっかりしたことを告白しておきます。

それから、全曲の中で僕が特に好きだったのは、4番・1番・5番あたりで、いちばん「面白くない」と思っていたのが、ピアノ協奏曲的な3番だったことも書き添えておきます。

*続きます。
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2009年08月23日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(1)

エイトール・ヴィラ=ロボス没後50年記念の「ブラジル風バッハ全曲演奏会」を聴きに東京オペラシティに行ってきました。

僕はこういう表現はあまりしないようにしているのですが、この日ばかりは、感動しました。心を打たれました。素晴らしかったです。

その題名の通り、「ブラジル風バッハBachianas Brasileiras」の全9曲を一気に通して演奏するという前代未聞のコンサート。演奏は東京フィルハーモニー交響楽団。合唱は新国立劇場合唱団。そして指揮はホベルト・ミンチュック。

実は、当初は、聴きに行こうかどうしようか迷っていたのですが、ホベルト・ミンチュックが指揮すると聞いて、これは行かなくてはと決めました。彼の卓越した表現力は『ジョビン・シンフォニコ』での演奏で視覚的にも確認しています。ブラジル交響楽団の現役の芸術監督。この数年は世界各国のコンサートで称賛を浴びていて、大マエストロ街道をまっしぐらです。ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」を振るのに彼以上の適任者は考えられません。

ただ、オーケストラの性格や実力がわからなかったので、正直、どうなることかと思っていました。

ヴィラ=ロボスを演奏する時にいちばん大事なのは、とりわけ、「ブラジル風バッハ」を演奏する時にいちばん大事なのは、あの独特のブラジリダーヂであり、唯一無二のサウダーヂです。あのたっぷりの思い入れは普通の「ヨーロッパのクラシック音楽の現代音楽」とは一線を画しています。そういう部分がどれだけ表現できるかは、未知数だと思っていました。

そういう杞憂が裏切られて、本当に感銘を受けました。こういうことがあるのだなあと、今もまだ余韻に浸っています。ホベルト・ミンチュックは素晴らしい。初来日の歴史的な場面に立ち会えたことを幸運に思います。その演目がまたヴィラ=ロボスで本当に良かった。

ジョビンが聴こえた! ブラジルが見えた! ヴィラ=ロボスが伝わった! まさにそういう夜でした。

この日の演奏の内容と、僕が受けた感想を、何回かに分けて書いていこうと思います。

*続きます。
posted by naoki at 03:15| Comment(2) | ヴィラ=ロボスのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする