2008年07月31日

『コンポーザー』(その2)

トム・ジョビンの『コンポーザー』のサンプル盤が先週到着しました。

ライナーの文章はほぼそのまま掲載していただいて一安心。しかしこうして冊子にしてみるとこんなに長いものを誰が読むだろうとも思いますが、それでも、あれも言えば良かったこれも言えば良かったという残念もいくつか残ります。こういう場ででも補っていければと思います。

今回の大きな成果は、曲名の日本語表記をかなり整理できたこと。前回日本発売時は意味のないカタカナ原題と誤訳邦題が満載だったので、これですっきり、落ち着きました。28曲中18曲の表記を変更。「私の愛のすべてを」とか「海辺のテラス」とかは排除させていただきました。

いつかそのうち曲名表記統一運動もしていかないといけないなと思います。でもまあ異説が混在する曲もあるので、難しいかな?

それにしてもこの『コンポーザー』、28曲収録で1,800円というのは安過ぎると思います。ぜひお買い求めください。8月6日発売予定です。

*吉祥寺の某定食屋が今夜で38年間の営業を終了。こういう普通のおいしい定食屋がどんどん消えてきて、吉祥寺もだんだん普通の街になってきてしまいました。今夜はご挨拶がてら食べに行けて良かった。お母さん、またまけていただいて(1,570円→1,000円)、最後までありがとうございました。閉店は残念ですが、長い間本当にお疲れさまでした。
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2008年02月06日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(7)

「トムとカイミのショウのリハーサル 1991年 ジャルヂン・ボタニコの家で」という字幕が出て、ピアノにトム、歌にドリヴァル・カイミ、フルートと歌にダニーロ・カイミ、ベースにチアォン・ネットで、「マラカンガーリャ」を歌っている映像が流れます。
アナのナレーション。「カイミはトムの人生においてトムがいつも大いに尊敬してきた知恵を携えた存在だった」。ヴィオラォンにパウロ・ジョビン、ヴォーカルにアナ、マウーシャ・アヂネ、パウラ・モレンバウムも映ります。
再びアナのナレーション。「トムとカイミの間には兄弟分みたいなものがあった。トムの子供たちとカイミの子供たちの間にもそれがあった」。曲は「ミラグリ」に変わって、アナのナレーション。「トムはほかの作曲家の曲を演奏するのが好きだった。うまく演奏できた時には本当に幸福だと言っていた」。
ヴォーカルにシモーニ・カイミ、ドラムスにパウロ・ブラーガも映ります。曲は「サウダーヂ・ダ・バイーア」に変わります。サウダーヂたっぷりのとても良いシーンです。さらに「ペスカドール組曲」。トムが言います。「こういう曲では仕事をすればするほど幸福だよ。僕は何年もの間いつも同じショウを演じている。50年以上だよ。僕はフランク・シナトラから学んだんだ。レパートリーを変えてはいけないんだよ」。さらに、「息子よ、金持ちになるためにはレパートリーを決めないといけない。そして何曲か選んだらそれを変えられない。考えてもごらんよ。君がここに来て、僕が『ナイト・アンド・デイ』を歌わなかったら?」

「パッサリン」が掛かって、アナのナレーション。
「バンダ・ノヴァは1982年にウィーンのコンサートのために結成された。ウィーン交響楽団の指揮者のペーテル・グッスがトムをコンサートに参加させることに興味を示した。トムだけに声を掛けたのだと思う。トムはその招待を受けて、グッスが真剣であることを知った。グッスはトムの音楽やそのほかのもろもろを愛していた。音楽やそのほかのすべてのものを。すべての電話はグループには誰が含まれるのかという内容だった」
「最初に、『息子のパウロを連れて行きたい』。そして『素晴らしいフルート奏者のダニーロ・カイミがいる。彼はとても良いと思う』。三度目に彼はベースを捕まえたと言った。それがチアォン・ネットで、ドラムスはパウロ・ブラーガだった。最後に彼はヴォーカルを選んだ。自分の娘のベッチ、シモーニ・カイミ、私。彼はトムにハードワークを求めた。彼はそれをすべて受けた」
「そのあとリオの市立劇場でショウの機会があった。トムはパウラ・モレンバウムとマウーシャ・アヂネに電話した。彼は良く、私たちは皆プロフェッショナルだと言った。そして、私たちは家族なのだと。ジャキーニョことジャキス・モレンバウムがやって来てリハーサルを見ていたのを思い出す。彼はちょっと妬いていたのだと思う。少しあとに私たちはポッソフンドにいた。ジャキーニョはチェロを持って来ていて演奏した。トムはすぐに言った。「採用だ」」

1986年のトムの誕生日の映像。ジャルヂン・ボタニコの家です。おそらくホーム・ヴィデオなのだろうと思います。ケーキの蝋燭を吹き消すトム。
アナのナレーションが重なります。
「バンダ・ノバは家族の夜のコンサートの間続いた。私たちは皆彼の親族だった。子供、友人、友人の奥さん。私たちのパーティはほとんどリハーサルのようなものだった。突然彼がある曲に憑り付かれる。そうすると私たちはその曲を一晩中歌う」
彼女たちはトムのピアノの周りに集まって「ビン・ボン」を歌っています。

再度アナのナレーション。
「トムはある時、『僕は植物や動物は欲しくない。歳を取ったら家族を乗せる大きな車が欲しい』と言った」
ジョアン・フランシスコが魚を釣り上げている映像。アナの声が続きます。
「そして彼はそれらを再び手にした。植物、子供、動物」
「マリア・ルイーザのサンバ」が流れて、マリア・ルイーザが生まれて間もない頃の微笑ましい映像が流れます。

トムの「シャパダォン」の朗読。トムがニューヨークの自宅でマリア・ルイーザと二人で暖炉に火を入れるシーン。

トムがニューヨークの自室のピアノの前に座っています。「ダダー」と手伝いの女性を呼んでいます。「コーヒーが欲しい」。そして「灰皿もらえる?」。
アナのナレーション。
「ニューヨークではトムが自宅から離れたところに仕事場を持てれば良いのではないかと考えたことがあった。彼は静けさとプライヴァシーを必要としていた。私は同じ建物に部屋を見つけた。ピアノやすべてのものを揃えてスタジオに仕立て上げた。でも長続きしなかった。トムは家にいることを好んだ。コーヒーを頼んだり、自分がしていることを示して私たちの意見を聞くために」

ピアノを弾いているトム。そしてそれを金槌か何かの音が邪魔します。トムは電話を掛けます。「仕事中だからやめてくれと言ったよ」とトムは言っています。

アナのナレーション。
「私は結婚してすぐにトムの写真を撮り始めた。私は彼が語る私が生まれていなかった頃の物語を大いに楽しんだ。私はのちに認識した。自分がもう一つの物語を記録していたことを。彼が語った過去の物語とは異なるが、それはそれで素晴らしい物語だ」

トムの「シャパダォン」の朗読。「三月の水」が生まれたあの川辺のトムの映像が映ります。

セントラルパークの緑の中のトム。最後の曲は「ファランド・ヂ・アモール」。

トムとアナの二人の子供、「ジョアン・フランシスコ(いたましいことに亡くなっています)とアナ・ルイーザのために」というクレジットが現われて、この貴重な映像は終わります。

*これでこの映像資料の紹介を終わります。重ねて言いますが、これはあまりにも個人的・家族的な作品で、万人向けのDVDではないように思います。しかしトム・ジョビンのファンにとっては、とても貴重な、これまで足りなかったり欠けていたりした情報を埋めてくれる貴重な作品です。
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2008年01月31日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(6)

1988年。ニューヨークのアパートメント。
トムはピアノで「コヘンテーザ」を弾いています。アナとマウーシャ・アヂネがピアノのそばで歌っています。ジョアン・フランシスコがふてくされた顔をして聴いていたかと思うと、部屋を歩き回って三人を邪魔しています。そうかと思うとマウーシャに寄り掛かってふざけています。

トムはセントラルパークで「シャパダォン」を朗読しています。
続いてセントラルパークを歩いているトム。BGMは「サウダーヂ・ド・ブラジル」。トムは、「『奥地は至るところにある』。ギマランエス・ホーザの言葉だ」と言います。そして「シャパダォン」の朗読が続きます。
続いてアナのナレーション。バックにはアナが撮ったニューヨークのアパルトメントのモノクロ写真。
「それは30階建てくらいの高層マンションだった。私はすでに6階の部屋を選んでいた。景色はまったく見えなかったが、サイズは二倍で、価格は半値だった。契約の日、トムはあまり気が進まないようだった。賢明な不動産屋は言った。『素晴らしいものをお目に掛けましょう』。彼女は私たちを22階に連れて行った。トムがそこに着くと、景色が見えて、ガラス張りだった。『ア・ヴュー・ウィズ・ア・ルーム』とのちに彼は命名した。彼はすぐに言った。『ここを買おう』。私は言った。『高過ぎるし、狭いわよ』。トムは言った。『でもこれこそ僕が欲しい部屋なんだ』。次の日、会計士から電話があった。『アナ、お願いだからトムにこのアパルトメントを買わせないで下さいよ』。私は言った。『彼は決めてしまったの。彼は買うわよ』。契約のあと、会計士は言った。『彼が正しいんだと思います。たぶん私は彼がすることよりもお金の方が気になるだけなんです』」

トムがそのニューヨークの自室でピアノを弾いています。曲は、「我が友ハダメス」。再びアナのナレーション。
「部屋全体が統率されていた。ラジオとテレヴィは子供の部屋だけで点けても良いことになっていた。それは敬意のための当然のことだった。騒音は彼を混乱させるからだった」
トムがハダメス・ニャータリについて話している声が重なります。
「我が友ハダメスは最高だった。彼は森の中の晴れた日であり、愛の戯れだった。高い水であり、決して乾かない泉だった。美しい滝であり、ペテーカの羽だった。神は何を与えるべきかを知らなかったが、ハダメスはたくさんのものを与えてくれた。パンをもっと。イワシをもっと。ハダはコンサート演奏家で、作曲家で、ピアニストで、指揮者で、マエストロだった。そしてそれ以上に友人であって、常に僕と連れ立っていた。いつもくっついているおまけみたいに。彼は皆を助けた。僕が彼を助けたよりもずっと。ハロー、ハダメス。電話しているのは僕だ。ショッピでも飲まないか? トム・ジョビンだよ。いつもの角で拾うよ。小銭は持っているからね」
そしてトムは続けて、「この素敵なメッセージは親しいメストリのハダメスのために書いたものだ。彼は皆を助けたんだ。数ヶ月前に亡くなったんだよ。ブラジルの偉大な作曲家で、マエストロだ」と、ちょっとしんみりした感じで言います。このハダメスへのメッセージは「シャパダォン」のリズムと一致していて、一篇の詩のようです。

続いて1987年までトムのニューヨークの住所だったアダムス・ホテルの写真。「2 EAST 86 ST.」という番地も映っています。BGMは「イマジーナ」。アナのナレーション。
「トムは暮らしていたところではどこでもまったく同じだった。ほとんど同じように続けていた。ピアノ、家、子供たち。彼には独特の日課があった。ニューヨークにいた時にはお忍びの外出を好んだ。彼はニューヨークは農場みたいだと言った。でも彼は人に気づかれるとそれを喜んだ」
「ある意味では、彼はニューヨークにいる必要を感じていた。ニューヨークにするべきことがあったからではない。絶対に違う。彼は仕事に集中したかったのだ。彼は世の中のことは気にしていなかった。リオでは、ブラジルでは、彼には友人がいて、家族がいて、共作者がいて、仕事ができなくなるのは茶飯事だった」

*続く。
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2008年01月27日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(5)

「イパネマの娘」が流れて、ピンクのシャツのトムが語ります。
「400曲も書いている僕のような作曲家であっても、その中のたった1曲か2曲で有名になるものなんだ」
イパネマのビーチのトムの美しい写真。
「僕たちがこの曲を書いた時、イパネマのビーチはまだ世界に知られていなかった。全然知られていなかったんだ。今日ではイパネマのビーチは全世界に知られている。当時のアメリカの作詞家は『イパネマ』という言葉を使いたがらなかった。『イパネマなんて誰にもわからないよ』と言うのさ。僕は彼とニューヨークのタクシーの中で議論した。僕は言った。『君はイパネマという語を入れなくちゃいけない。それはとても重要なんだ。なぜならそこは娘たちが歩き過ぎていくところだからだ。それは世界共通なんだ。世界に共通する普遍的なセンチメンタルなんだ。君はそこに座っている。美しい娘が通り過ぎる。君はそこで仕事をしている人夫かもしれない。娘が通り過ぎる。君は手を止めて彼女を見る。それが普遍的なセンチメンタルなんだよ』。たぶんそれがこの曲が時代を超えて生き続けている理由だ。娘は今でもビーチに向かっている。彼女たちはどんどん美しくなっている」
やや間があって再びピンクのシャツのトム。
「その時僕たちはビーチに行きたがらなかった。ショッピを飲んでいたんだ。人々は知識人はビーチに行きたがらないと言う。彼らは酒を飲んでいるからだ」

1987年のリオのシュハスカリア「プラタフォルマ」の写真が映ります。トムが「僕は『モヂーニャ』と呼んでいる曲を半ダースも書いた。たくさんの人が心配するとは考えてもみなかった」などと喋ります。そして緑のシャツのトムのインタヴュー・シーン。
「この2年間に僕はアメリカであらゆる種類の賞をもらった。海外の賞をもらえばもらうほどブラジルのマスコミは賞について言及するのを避けるようになる。そして君について個人的なコメントを始めるようになる。彼らは君が敗北のために闘っていると言う。有名な作曲家を非有名にするための、人々から愛されないようにするための闘いを。芸術家を金銭だけに関心のある無節操に変えるための闘いを。彼らは芸術について話す代わりに金銭について話すんだ。まるで芸術の目的が金銭を稼ぐことであるかのようにね。それはないよ。それはちょうど聖書に書いてあることだ。神に任せよだよ。シコが彼の曲で歌ったようにね。神と議論をするべきだ」(後略)
さらに、レブロンで「ファヴェーラを買えば良いのに」と言われた時の話をしています。

*続く。
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2008年01月23日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(4)

場面は変わって車が山道を走っています。トムが歌う「ヂンヂ」が流れます。トムが乗用車を運転しています。緑の山々。舗装されていない道路。「1988年、ポッソフンドの農園」という字幕。ここがあの、トム・ジョビンの名曲の数々を生み出した、リオから車で二時間のところにあるポッソフンドです。もともとトムの母方の農園があったところで、トムが創作活動を始めてからは「田舎の隠れ家」にしていたところです。トムが車を運転しながら話します。
「最初にここに来たのは1942年か43年だったと思う。叔父がここに大きな農園を持っていたんだ。僕たちはいつも道路で野生の動物を見たよ。アライグマやアルマジロやテンジクネズミが道を横切っていた。『あそこを見ろよ。テンジクネズミだよ』ってね。ほら、あそこにいるウルブを見上げてごらん」(後略)
トムは運転しながら左手を指して、「これがヂリンヂへの道だ。僕の曲『ヂンヂ』の言葉の語源だよ」と言います。

そしてあの例の「三月の水」が生まれた川が映ります。トムが語ります。
「ここは古いやぶの一つだよ。たぶん100年以上経っていると思う。大きなオオシギダチョウやホウカンチョウがたくさんいる。そういう野生動物がね。(指差しながら)あそこに平べったい岩がいくつもある。僕たちは良く次から次へと飛び移ったものだ。反対側のやぶに辿り着くためにね。そしてこのやぶ中を歩き回ったよ」

トムはポッソフンドの別荘のピアノで「我が友ハダメス」を弾いています。アナのナレーションがかぶさります。
「ポッソフンドは家族の静養先として使われていた農園だった。一人一人がそれぞれの家を持っていて、でもそれぞれがとても近かった。ランチやディナーは一緒に取った。そしてそういう集まりは最後はいつも全員で歌うことになった」

「我が友ハダメス」が流れる中、ポッソフンドでまだ幼いアナ・ルイーザをあやすトム。ジョアン・フランシスコの前でトムが鳥を空に放つシーンもあります。続いてパジャマの上に上着を羽織って山道を散歩しているトム。アナのナレーション。
「ポッソフンドはトムに多大なインスピレーションを与えた場所だった。彼はそこで自然と密接な接触を持っていた。ポッソフンドは彼が15の時からの彼の人生の一部だった」
トムは地面に生えている草を千切って食べます。そして言います。
「こういう野生の植物は、やぶに住んでいてインディオの血が流れている人間しか食べられないんだ。僕のようにね。毒があるんだよ。それこそ僕が被っている長生きの源なんだ。長寿食だよ」

「バラに降る雨」が流れて、アナが撮影した美しいブラジルの自然の写真をバックに、トムが語ります。
「神は地球のような惑星をたくさん持っているに違いない。宇宙にはたくさんのブラジルがあるんだ。神にとっては大した違いはないんだ。最後に世界の破滅が我々のとんでもない無能さを証明するだけだとしても。我々が本当に害虫であることをね」
ここで、「僕のすべての作品は大西洋の森にインスパイアされている」というトムの言葉が映し出されます。

アナのナレーションが流れます。
「森の写真は自然な帰結だった。トムと一緒に過ごした私の人生の。写真は彼が私に示してくれた基本的なものごとに近づくことを私が見つける方法だった」

ポッソフンドの谷をバックにパジャマの上に上着を羽織ったトムが語ります。
「あらゆるブラジル人はマッチ箱を持つための免許を取るべきだ。拳銃を持つのに免許が必要なように、公認の許可をね。マッチ箱を持つための免許があるべきだ。なぜならこの7月や8月に、誰かがここに来てやぶとか道路でマッチを点けると、火事が起こって今君が見ているこのすべてのものを焼き払ってしまうからだ。大惨事だよ。ブラジルで起こったそういう火事の中にはミナスジェライスで始まってエスピリートサントの海岸までを焼いた火事もある。以前にルイス・ボンファと僕がベロオリゾンチからリオに戻るのに飛行機が飛ばなかったことがある。煙のせいだよ。火事の乾いた煙のね」

「ヴァルシ(ワルツ)」が流れて、画面は大空を舞うウルブ。トムの声。
「1年のこの時期にはここではターキー・ウルブが見られる。彼らは火事で死んだ動物を食べに来る。ヒキガエル、カエル、トカゲ、ヘビ。彼らはスネーク・ウルブとも呼ばれる。かつては彼らにとってここに棲息するのはとても困難だった。なぜならここはすべて手つかずの森だったからだ。彼らは動物が地上にいるのを見ることさえできなかった。臭いを嗅ぎ通すことのできるヒメコンドルだけが地上の動物の死体を見つけるために森に入ることができた。普通のウルブは視覚を使っているので駄目だった」

「三月の水」が生まれた川の淵にいるトムの写真が映って、トムの声が流れます。画面は途中からまたポッソフンドの谷をバックに語るトムの姿に変わります。
「普通は川は下水道として、ゴミだめとして使われている。ちょうど海のように。実際の問題として、僕は僕の詩「シャパダォン」でコメントしている。妻が忘れないようにと紙をくれた。(折り畳んだ紙を広げる)
『ミスター・ウルブ、ゴミ・ボーイ、
 状況に直面できるかい?
 1年中ハードに働いて
 休暇でも取ったらどうなんだ?
 ありがとう、兄弟、
 レッド・ウルブ、我が友よ、
 のろまの国のがらくたを
 君は最後まで掃除している
 彼らは君がとても醜悪だと言う
 不幸で、野生で、粗野だと
 君はかけがえのない寄付だ
 永遠の忘恩だ』」。
人間の破壊が増えると、ウルブは増え、僕たちが見るウルブも多くなる。彼らの数は増え続けている。なぜなら明らかに、もし殺害して破壊するなら、ウルブに餌をやっていることになるからだ」

このあとインタヴュアーが「奥地のことについて話してください」と言うのですが、トムは「それよりも家畜のことを話したい。話すことがあるんだ」と言います。アナの声が流れます。「トムはギマランエス・ホーザを良く読んでいた。彼の大のお気に入りだった」。そしてポッソフンドの住人らしき人と話しているトムが映ります。アナの声が続いて流れます。「彼はポッソフンドの人々にギマランエス・ホーザの作品で彼が賞賛していたものと同じ真実を見出していたのだと思う。素敵な物語でいっぱいの登場人物たち」

ポッソフンドの山道にTVのケーブルがあるのをトムが指差して、次のような思い出を語ります。
「おかしな話があるんだ。僕がフランク・シナトラとレコーディングした時、サン・ジョゼの人々はシナトラがそこにいると思ったんだ。僕は川のそばに小さな家を持っていた。彼らはそこにやって来て中に入りたがった。シナトラに会うためにね。僕は『シナトラはいないよ』と言った。でも彼らは信じようとしなくて、僕は彼らを中に入れた。彼らはベッドルームに行ってベッドの下を覗いたんだ。想像してごらんよ。シナトラがポッソフンドのベッドの下に隠れているところを」
さらに、
「僕はシナトラがくれたジャケットを持っていた。彼らはそれを持って行ってしまった。盗まれたんだ。良いジャケットだったんだけど」

*続く。

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2008年01月19日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(3)

場面は1987年のニューヨーク。「シャンソング」が掛かって、白のジャケット姿で散歩をしているトムが映ります。これも、TVグローボの特別番組「アントニオ・ブラジレイロ」の映像ではないかと思われます。トムの声が流れます。
「ボサノヴァは実際に大成功した。ヴィニシウス・ヂ・モライス、ジョアン・ジルベルト、ニュウトン・メンドンサ、ドロレス・ドゥランに会ったことで。僕たちはたくさんの曲を書き上げた。そしてイタマラチによって米国に送り込まれた。僕は行きたくなかった。ブラジルに留まっていたかった。でも行かなければならなかった」
画面では、ニューヨークの葉巻屋に入ったトムが、「ミスター・ジョビン、ご機嫌いかがですか?」と歓迎を受けています。少しの間のあとにまたトムの声。
「僕はブラジルから出たことがなかった。アメリカに着いた時……」ここで緑のシャツでインタヴューに答えている場面に変わって「『待てよ。すぐに帰らなくても良いのかもしれないぞ』。雪とかいろいろなものの誘惑もあった。ブラジル人たち、僕の同市民たちは、コンサートが終わると帰って行った。当時のニューヨークには米も豆もなかった。僕はポテト市民だった。ドイツ、ロシア、ポーランドの影響でアメリカ人もポテトは食べていた。ニューヨークで米を頼みたければ、ウェイターが君をこんなふうに見たら、彼にはおかしいとわかっている。キッチンには、プエルトリコ人やキューバ人のために米があるのを発見した。だからウェイターにコックを捕まえて欲しいと頼まなくちゃいけない。そうすれば米にありつける。今ではニューヨークにはたくさんの米があるけれどね」

ニューヨークを散歩するトム。白いジャケットからトレンチコートを着ている場面に移ります。トムの声。
「僕にとってニューヨークは一種の休息の場所だった。つまり、僕が考え、働くことができる場所だ。宿題をするようにね。だってリオはあまりにも美し過ぎるし、あまりにも気が散り過ぎる」
セントラル・パークのトム。少し間があって再びトムの声。
「人は僕に住所を訊ねる。『どうして? ニューヨークなんかにいるの?』。でも住所は重要じゃない。特にある歳になるとね。どこに住もうと知ったことじゃないさ」(後略)
やや間があってまた緑のシャツのトムが喋ります。
「ドゥルモンドは彼の素晴らしい詩の中で言っている。『申し訳ないが、もう遅いのだ。私は開拓者の前に来たように感じている』。彼が開拓者より前に来ているというのは、なぜなら開拓者は虚構だからだ。塀を建てたり、何かを建てたりする人がいる。ウルブが上を飛んで行く」

*続く。
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2008年01月17日

A CASA DO TOM  MUNDO, MONDE, MONDO(2)

オープニングには「アナのテーマ」が流れ、トムの詩の字幕が現われます。

「何かを理解するためには、
 愛さなければならない。
 君が愛すれば、
 キャパシティが生まれる。
 君が何かに興味を持てば、
 君は観察を始める。」

最初に「アナのテーマ」をバックに、1987年にニューヨークのセントラルパークで撮影されたトレンチコート姿のトムが映し出されます。これはおそらく同年のTVグローボのトムの60歳を記念した特別番組「アントニオ・ブラジレイロ」の映像です。

そしてトムがリオのジャルヂン・ボタニコ地区の自宅のヴェランダで前述の「エンサイオ・ポエティコ」から詩「シャパダォン」を朗読している映像が流れます。トムは緑のシャツを着ています。これも87年の「アントニオ・ブラジレイロ」のシーンかもしれません。

今度は「太陽の道」のピアノが流れ始め、ジャルヂン・ボタニコの自宅を建て始めた1979年のモノクロの写真が映ります。そしてアナのナレーションが流れます。
「トムは私たちが家を建てることになったジャルヂン・ボタニコの土地を選んだ時、詩を書き始めた。家が建つまでには4年を要したが、詩には8年掛かった」
その詩というのが「シャパダォン」です。

トムによる「シャパダォン」の朗読がまたバックに流れたあと、ジャルヂン・ボタニコの自宅が完成した1983年の「ピアノの引っ越し」のモノクロ写真が映ります。そしてアナのナレーションが流れます。
「引っ越しの日、トムの唯一の関心事はピアノだった。彼は自分で引っ越し会社に電話を掛けた。旧居から出て新居に着いて居間にピアノを設置するまでの一つ一つの工程を気に掛けた」
少しの間があってまたアナのナレーション。
「私の心にはトムの一つの映像がある。彼が階段から散らかった中に降りて来る。中にいくつかのものを入れた小さなペルーのストライプのバッグを持っている。『あらトムお引っ越し?』とそれを見た私は言う。彼は気が付いて、立ち止まって微笑む」

今度は「ウルブ」が流れて、ジャルヂン・ボタニコのカラー写真。またアナのナレーション。
「トムは森の近くに住むことを選んだ。その家は自然保護地区からすぐのところにあって海も見えた。ジャルヂン・ボタニコは私たちの家の裏庭だった。メディテイションの場所であり、彼はほとんど毎朝そこを散歩した」

今度は1992年のリオでのインタヴュー・シーン。トムはピンクのシャツを着ています。
「僕が子供の頃、ブラジルの人口は3千万人だった(註:現在は1億8600万人)。ブラジルは無人の広大な国だった。森と野生の動物で一杯だった。人は野生の惑星の知られざる春に抱かれて眠りに就いた。リオは完全な自然だった。イパネマの砂浜は美しくて、砂は柔らかくて、歩くと砂がクィンクィンと歌った」(後略)

画面にはマンゲイラのポルタ・エスタンダルチとイパネマのビーチで撮った写真。曲は「マンゲイラのピアノ」。トムの声が流れます。
「僕は1歳の時すでにイパネマに住んでいた。僕の最初の記憶はイパネマの記憶であり、砂丘の記憶なんだ。美しいビーチの砂州、粗い砂、大きな貝殻。あらゆる種類のボラ、カマス……。僕は少年時代と青春時代をここで暮らして幸福だった。この世界にいることを幸福だと言えるのならね」(後略)

今度は1989年のリオでのインタヴューのシーン。トムは緑のシャツを着ています。そうすると最初のリオでの「シャパダォン」の朗読のシーンもこれと同じ時かもしれません。
「ヴィラ・ロボスは36歳の時にヨーロッパに、パリに移った。僕が36の時にニューヨークに移ったのと一致するんだけどね。ヴィラ・ロボスはパリに住んで長らく仕事をしたあと、ニューヨークに移ってアパートを借りた。ブラジルの左翼たちは彼を非難し始めた。『米国に引っ越したって?』 (鳥が鳴いているね)左翼たちは『彼は米国のドルが欲しいんだろう』とか何とか言った。ヴィラ・ロボスはインタヴューに答えて言った。『その通りだ。世界は将来は社会主義と共産主義になって問題を解決するだろう。でも今のところ私は米国のような市場を失うわけにいかないのさ』。考えてごらんよ。ヴィラ・ロボスは冗句屋だったのさ。天才で冷笑屋で、そういうことを言うんだ。『でも今のところ私は米国のような市場を失うわけにいかないのさ』。考えてみなよ。ヴィラ・ロボスは全然そういう人間じゃないんだよ。大変な貧乏だったんだ」

*続く。
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2007年12月10日

「トム・ナ・マンゲイラ」トークイヴェント終了

昨夜Aparecidaにおいでいただいた皆さん、どうもありがとうございました。

用意していたことの半分も喋れなかった上に、ヴァスコの言葉を正確にお伝えできなかった部分もあって、反省しています。申し訳ありませんでした。「正誤表」は、今後このブログに掲載していこうと思います。

考えてみれば、トム・ジョビンの逝去が日本で報じられたのは1994年12月9日。その日の夕刊を広げて立ち尽くした記憶があります。その意味では、「日本での命日」にこのような催しに関わらせていただいて、感慨深いものがありました。皆さんありがとうございました。

しかしトーク・イヴェントはともかくとして、終演後のヴァスコを中心としたセッションが楽しかったですね。

その前日(上田力さんとナンダ・ノヴァの「Jobim My Love」@新大久保Space Doから「Parabens pra Jobim」@Aparecidaへとジョビン追悼ライヴをはしごしました)を含めて、トム・ジョビンの命日ウィークが終わりました。

今日は昼間の仕事も一段落して、一息ついているところです。
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2007年07月29日

シコ・ブアルキの二枚組ライヴ

そう言えば、シコのライヴがビスコイトから出るみたいです。

二枚組ですね。楽しみに待ちたいです。

http://www.biscoitofino.com.br/bf/cat_produto_cada.php?id=307

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2007年05月05日

イタリアからボサの風

新譜でもないのですが、最近、イタリア発のボサノヴァとジャズボッサが個人的にしっくりきています。

特にフィロロジー。ここは頑張ってトム・ジョビンのソングブックを何枚も出しています。中ではネルソン・マシャードが絶品。この人は前にも紹介しましたが、暖かくて、でもクールで、自然でとても良いです。お勧めです。

あとはカインド・オヴ・ブルーも今後に期待。トッキーニョが予想以上に良かったです。

イタリア人は感覚的にブラジル音楽の本質を良く捉えているのではないかと思います。リカルド・アリジーニもすばらしい。ジョアンも良くローマで公演していましたしね。ちょっとイタリアに注目しています。

いつか行くかな、イタリア。

追記:ネルソン・マシャードはもちろんブラジル人です。トッキーニョも(笑)。
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2007年04月14日

Chico Buarque De Hollanda E Noel Rosa Na Voz De Isaura Garcia

最近、夜それほど遅くない時間に眠りに入り、夜中に起き出してビールを飲みながらもう一仕事することが少なくありません。

さっきから、最近復刻されたイザウラ・ガルシアのシコ・ブアルキとノエル・ホーザ集を聴きながら原稿を書いていました。このCDは日本で結構売れたのだと聞きましたが、本当でしょうか? ちょっと信じられないのですが。

全曲完全にイザウラ・ガルシア流(坂尾さんの言うところの激しいイタリアなまりの発音を含む)に料理されているからなのかもしれませんが、「シコ・ブアルキ+ノエル・ホーザ」というのは好企画かもしれないと思います。全体にまったく違和感がありません。考えてみるとシコの原点はノエル・ホーザあたりかもしれない。あくまでも「かもしれない」のでしかないのですが。以前に「フィロソフィア」も歌っていましたしね。

深夜の一人仕事(あるいは一人酒)のおともにこういうアルバムは悪くありません。全然紹介になっていませんが…。

参考
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2007年03月28日

『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』

話題沸騰の『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』を聴いています。僕もジョアンが歌っている曲のオリジナルはなるべく聴いてきたつもりですが、ここまで集めてくれるとは! ジョアンのファンにはこたえられません。ナモラードス・ダ・ルアなんて、聴ける日が来るとは思っていませんでした。

しかも、ガロータス・ダ・ルア時代、それからソロ・デビューした直後の、ジョアン自身のヴォーカルも聴けます。後者はもちろん僕も初めて聴きました。うーん、この地点から「シェガ・ヂ・サウダーヂ」までの道のりを思うと、本当に感慨深いです。ジョアンがやろうとしたことが改めて良くわかります。

ブックレットも読み応え充分です。今オフィス・サンビーニャから直接買うとおまけの「番外編」が付いています。
http://www.sambinha.com/homefile/1stpage/joao.html
posted by naoki at 01:33| Comment(22) | TrackBack(0) | 新譜紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

ユニバーサルのEstrelas Brasileirasがいよいよ発売!

 各所で発表になっているのでこのブログではあえて触れていませんでしたが、いよいよ今週から、ユニバーサルの「ブラジルの星Estrelas Brasileiras」シリーズが発売されます。毎月10枚×10ヶ月の実に100枚がリリースされる予定です。これは前代未聞の大企画です。枚数もすごいですが、セレクションがまた、ボサノヴァとMPBのベーシック・コレクションを形成できる厳選された内容です。実は僕も持っていないCDもちらほらあります。エリス、ナラ、5月からはいよいよシコ・ブアルキもオリジナル・フォーマットで登場します。

 僕は3月発売の中では『エドゥ&トム』のライナーを担当させていただきました。あまりうまくまとめられなかったのですが、日本でまだ紹介されていないエピソードをなるべく盛り込もうと思って書きました。このあとのラインアップの中では、シコの『No.4』も担当させていただく予定で、今、必死になって資料を掻き集めて辞書を引き引き読み込んでいます。この週末にはそのためにヴァスコ・デブリートに会って歌詞の不明な部分の意味などを確認してきました(ヴァスコは世界でも有数のシコの理解者です)。ライナーには4,000字という制約があるのに、下書きもがもう15,000字を超えてしまっていて、どうすれば良いだろうと思い悩んでいるところです。でも、新しい発見がたくさんあって、実に楽しい仕事です……。
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2006年12月01日

『サンバはセリア・ヘイス』

最近CDで復刻されたアルバムで、これだけは紹介しておかなくてはとずっと気になっていたのが、セリア・ヘイスという女性歌手の『O samba é Célia Reis』(サンバはセリア・ヘイス)です。

このセリア・ヘイスという歌手は1956年にパラー州ベレンからリオに上京。ベッコ・ダス・ガハーファスのボアチで歌い始めるとたちまち頭角を現わし、ナイトクラブで引っ張りだこになって、国内外のツアーに出るようになりました。ただし録音は非常に少なくて、この1962年のフィリップス盤と、もう1枚70年代にも吹込みがあるよううですが(こちらは詳しいことはわかりません)、残っているレコードはそれだけです。実力はすばらしいのにレコーディングよりもツアーを好む歌手だったようで、南米各国から北米や欧州にまで「ボサノヴァの伝道者」としてツアーを行なっています。

この『サンバはセリア・ヘイス』は、トム・ジョビンの珍しい曲「パラ・ナォン・ソフレルPara nao sofrer」を歌っていることがわかっていたので一度聴いてみたいと思っていたのですが、今までそのチャンスがありませんでした。こういう形で復刻されて、とても驚くと同時に、大変喜んでいます。

でも僕がこのセリア・ヘイスという歌手に興味を持って一度音を聴いてみたいと思っていた最大の理由は、ニュウトン・メンドンサです。彼女がリオに出てきて最初に出演したボアチ「マ・グリフ」で、彼女の伴奏を務めたのが、ニュウトン・メンドンサだったのです。1956年というと本当にボサノヴァ前夜という時期ですから、それまでサンバを中心に歌っていた彼女がニュウトンの伴奏から得たものは絶対に小さくなかったはずです。だからどういう歌い方をする歌手なのだろうと、ちょっと気になっていたのでした。

そして実際にCDを聴いてみた印象は、やはりとてもうまいです。特にリズム感がすばらしい。サンバカンサォン期からボサノヴァ期に移行するこの時代の他の歌手と同様に、サンバカンサォンをベースにしながら、軽やかなフィーリングを持ち備えていて、新時代の幕開けを感じさせる歌唱です。歌声と歌い方は、ちょっとシルヴィア・テリス的でもありますし、ちょっとマイーザ的でもありますし、ちょっとドロレス・ドゥラン的でもあります。ただ、音域がやや低くて、声が野太い感じがするところが、もしかしたら爆発的な人気を獲得できなかった原因なのかもしれません。哀感は余りありません。

このアルバムにはバーデン・パウエルがアレンジとヴィオラォンで参加。アルバムの冒頭を飾るのは「ソ・ダンソ・サンバ」ですが、彼女にこの曲を教えたのはバーデンだったそうです。ピアノはパウリーニョ・セーゴ、ハモンドオルガンがセルソ・ムリロ。MPB4も参加しています。なお、このアルバムは「レコード批評家ブラジル協会」のサンビスタ・新人賞を受賞したのですが、彼女はその授賞式をアルゼンチンへのツアーを理由に欠席しています。きっと欲のない人だったのでしょう。「だった」と言っても、おそらくは今でも健在なのではないかと思いますが。

セリア・ヘイスについては、拙著「愛と微笑みと花」にも書いていますので、こういう「ボサノヴァ秘話」(特にニュウトン・メンドンサ周辺)に興味があるという方は、よろしければそちらもお読みください。

『O samba é Célia Reis』


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2006年04月11日

「ビタースイート」山本のりこ

山本のりこさんの『ビタースイート』という新譜を今掛けています。

リンダ・ロンシュタットが歌ったロイ・オービソンの「ブルー・バイユー」、スタイル・カウンシルの「マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ」、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」などをカヴァーした、我々の世代にはちょっとくすぐったい一枚です。懐かしいですね。かと思うと「三月の水」をニール・ヤング調(?)で歌っていて、にんまりさせられます。

のりこさんはちょっと歌い方が変わったように思いますが、こういう新しい試みにおいても、彼女の独特の世界はしっかりと維持されています。本人が言っていたように、ジャンルの垣根を取り払うような聴かれ方がされると良いなあと思います。
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2005年11月19日

「ヴィニシウス」のサントラが発売・下

*昨日の続きです。

カルロス・リラの「Você e eu」の次は、マルチナリアのヴォーカルが楽しい「Sei lá……a vida tem sempre razão」、トッキーニョが思い入れたっぷりに歌う「Tarde em Itapoã」。そして、カエターノの短いコメントに続いて、エドゥ・ロボが珍しく凄み(?)を利かせて「Berimbau」を歌います。

さらに、フェヘイラ・グラーの短い朗読があって、セルジオ・カシアーノの天真爛漫な「Pau-de-arara(Comedor de gilete)」、ゼカ・パゴヂーニョの「Pra que chorar」、ジルベルト・ジルの「Formosa」、マリアーナ・ヂ・モライスの「Coisa mais linda」と続いて、ヘナート・ブラスが切々と「Por toda minha vida」を歌います。ヒカルド・ブラトの朗読があって、オリヴィア・バイントンがいつものちょっと危うい歌唱で「Modinha」を聴かせます。

その次のマリア・ベターニャがヴィオラォン一本で歌う「O que tinha de ser」が、このアルバムのハイライトかもしれません。そして、フランシス・イーミの「Sem mais adeus」、ヒカルド・ブラトの言葉に続いて、モニカ・サルマーゾの「Canto triste」で幕となります。

ブックレットの写真を見ていると、早く映像が観たくなって仕方がありません。でも、観れる機会があるのでしょうか?
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2005年11月18日

「ヴィニシウス」のサントラが発売・上

ミゲル・ファリアJr監督の「ヴィニシウス」のサウンドトラックが届きました。まだ一度聴いただけですが、これは上質なアルバムです。全28トラック(詩の朗読やコメントを含む)がすべて新録とのこと。内容をざっと紹介しておきます。

オープニングはヒカルド・ブラトの朗読。続いて、ヘナート・ブラスが「Se todos fossem iguais você」を朗々と歌い上げ、モニカ・サルマーゾが「Insensatez」を淡々と歌います。カミーラ・モルガードの朗読があって、ヤマンドゥ・コスタが「Valsa de Eurídice(Eurídice)」を演奏。シコ・ブアルキが思い出を語りながら「Medo de amar」を弾き語り、カエターノ・ヴェローゾも弾き語りで「Poema dos olhos da amada」を聴かせます。そのあとはマリア・ベターニャの朗読。さらに、アドリアーナ・カルカニョットの瑞々しい歌唱で「Eu sei que vou te amar」。そして、カルロス・リラが自己とヴィニシウスとの共作「Você e eu」をヴィオラォン一本で一気に歌い上げます。

*長くなりそうなので後半はまた明日。
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2005年10月30日

タンバ4メキシコORFEON盤

*今日の昼間は仕事で浅草橋にいました。浅草橋に行くと僕はいつも「浅草橋って知ってますかー/秋葉原と両国の間にあるー」(狩人の「アメリカ橋」のメロディで)と歌いたくなってしまいます。くだらなくてすみません。

先日書いた「タンバ4の1970年録音メキシコORFEON盤」というのがタワーレコード吉祥寺店に並んでいたので買ってきました。聴いていてなんだかおかしいなと思ってジャケット裏を見ると、なんだ、ピアノはルイス・エサではないのですね。ルイス・エサが一時期タンバ4から離れていた時の録音で、ピアノはラエルシオ・ヂ・フレイタスが務めています。それでやはりいつものタンバ4・3とはちょっと異なった演奏になっています。楽しいアルバムだとは思うのですが、ノリ一発で押しまくると言うか、力技ですね。ルイス・エサを研究するには良い材料になるかもしれません。

*10月28日までのアクセス数が110182と、11万を超えました。ご覧いただいてありがとうございます。それからえんたつさん、お心遣いありがとうございます。楽しんでやっているので、大丈夫です。これからも宜しくお願いします。
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2005年10月26日

アライジ・コスタ『ファランド・デ・アモール』(コアラ・レコード)

*またやってしまった。CDの二重買い。一枚一枚を大事に大事に買っていた十代の頃には決してなかったことです。当時はLPだけど。

今日は、やはり昨年コアラ・レコードから発売された、アライヂ・コスタ(アライジ・コスタ)の『ファランド・デ・アモール』を。

大ヴェテランの彼女の、これは10年ほど前のフランス録音。トム・ジョビンの「三大ロマンティック」の一曲であるタイトル曲「falando de amor」を精一杯の哀切を込めて歌い上げています。トニーニョ・ド・カルモというギタリストの端正な伴奏もグッド。

あとは、パウリーニョ・ダ・ヴィオラの「tudo se transformou」もいい。ところでこの曲、前から思っているのですが、ところどころ「chega de saudade」に良く似ていらっしゃる。

また、アルバムのラストで歌っているスエリ・コスタとアベル・シルヴァの名曲「amor é outra liberdade」が心に沁みます。

アライヂ・コスタのようなサンバ・カンサォンの時代の名歌手が、歌一本で今の時代にしっかりと立っていることを示している好盤です。
posted by naoki at 23:57| Comment(14) | TrackBack(0) | 新譜紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月25日

クラウディア・テリス『サウダデス・ダ・ボサノバ』(コアラ・レコード)

*日本中どこに行ってもセイダカアワダチソウの美しくない黄色が猛威を振るっています。

コアラ・レコードの話になったので、ついでに何枚か紹介しようと思います。まずは、以前にもちょっとだけ触れたことのあるクラウディア・テリス(テレスという表記になっています)の『サウダデス・ダ・ボサノバ』から。

シルヴィア・テリスの娘といっても、一九七三年からキャリアをスタートさせているというので、もういいお歳なのでしょう。歌い方は母親に生き写しです。情感たっぷりなのに「軽さ」を備えている。そしてうまい。

このアルバムは、二〇〇〇年発売の『シェガ・ヂ・サウダーヂ』と二〇〇一年発売の『サンバス・エ・ボサス』の二枚からピックアップしたもので、他にボーナストラック三曲を収録。そのボーナストラックの中にトム・ジョビンとマリーの・ピントの「算数の授業aula de matemática」などというマイナーな曲があるので驚きです。

あとはピアノをバックに「o amor em paz」と「insensatez」というトム/ヴィニシウス・ナンバーを続けて歌っているあたりが聴きどころ。『シェガ・ヂ・サウダーヂ』というアルバムがヴィニシウスのトリビュート・アルバムだったようで、ここでもヴィニシウスの曲が約半分を占めています。

昨年発売された時にはほとんど話題にならなかったと思いますが、これは買っておいて損のないアルバムです。
posted by naoki at 23:54| Comment(199) | TrackBack(134) | 新譜紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする