2016年12月30日

サラヴァ、ピエール・バルー、サラヴァ

ピエール・バルー……。ライヴは数回見た。言葉を交わしたのは一度。僕がトム・ジョビンの本を書いたと言うと、「ああ、彼とは友達だった……。ヴィニシウスとも、バーデンとも、みんなみんな友達だった。一緒に演奏したものだ。ずっと昔のことだ……」と懐かしがっていた。それで本を送ったのだった。もっとちゃんと話したかった。一緒に何かしたかった。伝手があったのだが、まだ時期ではないと思っていた……。
あまり知られていないことだが、彼は大のラグビーファンで、7人制の国際大会を主催したり、ラグビーチームの自主映画を製作したりしている。2019年のラグビーワールドカップでジャパンとフランスが対戦したら隣で一緒に観たい人だった……。
ただただ残念。惜しい。哀しい。ご冥福をお祈りします。世界はまた少し淋しくなってしまった。
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2012年10月18日

ブラジル映画祭

*久し振りに書き込みます。

金曜日にブラジル映画祭に行ってきた。プレスの試写会にも行けなくて、結局東京の最終日に。以下、「三月の水」的な今回の音楽映画二本の覚え書き。

「エリス・レジーナ〜ブラジル史上最高の歌手」はDVDも以前に出ているが、日本語の字幕がありがたくて。歌も演奏も素晴らしいのだが――ピアノ:セザル・カマルゴ・マリアーノ、ベース:ルイザォン・マイア、ドラムス:パウリーニョ・ブラガの演奏がまた格別の味わいだ――それと同じくらいにエリスの独り語りに釘付けにさせられる。生々しいと言うよりも、痛々しいという感じ。いくつか印象に残ったことを。

エリスはアゴスティーニョ・ドス・サントスのことを話して「太陽の道Estrada do sol」を歌い始める(セザルのピアノのイントロが絶妙)。歌い終わったあとにもアゴスティーニョがここにいるようだと、彼のためにこの曲を歌ったのだと言っている。エリスにとってはこの曲はアゴスティーニョの歌なのだということがわかる。

アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ヂ・アルメイダ・ジョビン(エリスは「アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ジョビン」と言っていたと思う)については、「三月の水Águas de março」を録音した時のことを回想し、彼は何でも知っている、本当に何でも知っているのだとしきりに言っている。それで彼のことが嫌いな人も尊敬せざるを得なくなってしまうのだと微妙なことを言っている。また、「彼はスリランカのヒット曲まで知っている」と言っているのがおかしい。トムはそんなふうなことを言って周囲を煙に巻く人だったと思うのだが、エリスは本気にしたのだろうか?

シコと最初に会った時には、友人に紹介されてシコが曲を持ってきて、シコが数曲を披露したのに、あまりにも喋らないものだから、エリスは自分が嫌われていると思ったと、それで自分はシコの曲を録音しなかったと、それをナラが録音して大ヒットしたと言っている。そのあとエリスは大ヒットした「アトラス・ダ・ポルタAtrás da porta」を歌うが、結局エリスが録音したシコの曲はこの曲だけだっただろうか?

いちばん深刻に思えるのはエドゥの話。エドゥには本当に感謝している、自分が今日あるのはエドゥのおかげだと言って、しかしあることが起こってエドゥからの連絡は途絶えてしまったとエリスは告白している。そのことについては多くは言えないと言いながら、誤解が生じてしまっていることを仄めかして、「いつかエドゥとワンダと私と私の家族とセザルとでそのことについて話し合わなければ」と言っている。だから男女の問題であることは容易に想像がつく。なお、このシーンのあとでエリスはシロ・モンテイロともいろいろあったと言ってシロを懐かしんでいる。

もう一本の「バイアォンに愛を込めて」は、ウンベルト・テイシェイラの人生を実の娘のリリオ・フェヘイラが追い掛けていくドキュメンタリー。とても個人的な映画だが、とても良い映画だ。

映画の中盤でクルービ・ダ・シャーヴィのエビソードが出てくるところがあるのだが、その直前に映った店の看板が「フィオレンチーナ」だったと思う。これはニュウトン・メンドンサの陸軍学校の同級生がオーナーだった店で、ニュウトンの伝記に店名が何度も出てくる店だ。もしかしたら違う店かもしれないが、もしあの「フィオレンチーナ」だったら、今度リオに行ったら訪ねてみたいものだ。

あと、この映画のアシスタント・プロデューサーをアナ・ジョビンが担当していることが最後のクレジットでわかった。ほかにも2つくらいのスタッフを兼任しているようだった。もともと写真家なのだから、いろいろと活躍しているのであれば嬉しい。
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2012年03月31日

冷たい水

周辺のいろいろなことが「イン・チューン」している。
今まで気が付かなかっただけかもしれないけれど。

石巻。東日本大震災1年の取材。
その人は唐突に「三月の水なものですから」と言った。
「三月の海水」ではなく、「春先の水」でもなく。
地震の時間は仙台の「岩切」にいた人だ。
そしてそれは水の冷たさの話だった……。

トムはそれを「北半球では雪どけの水」と知っていて、自分で英詞を書いたのだ。
ラテン派生語を一語も使わないで。良くそんなことができたものだと思うが。
だからそれは意味のあることだ。「Waters of March」なのだから。
「三月の雨」ではないのだ。今さらそんなことを言わないで欲しい。

東北へは もう何度も行きましたね
君の住む 美し宮古……

まだまだやらなければならないことがたくさんある。

以上。
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2010年03月07日

ジョニー・アルフ

「A founder of Bossa Nova」と各国のメディアに紹介されています。その時代がとうとう手の届かないところに行ってしまった感じがします。大変残念です。

ご冥福を心から祈ります。
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2009年10月04日

祝! リオデジャネイロ・オリンピック

東京は残念でした。マドリードも惜しかった。しかしリオで良かったです。このことがリオにとって良い方向に向かうことを祈らずにはいられません。

開会式で歌うのはミルトンかカエターノか。ちなみに2014年サッカー・ワールドカップの開会式はシコしかいないでしょう。ポリチアマを率いてね。


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2009年05月17日

追悼 バド・シャンク

*ここのところ本当に誰それが亡くなったという話しか書いていないような気がします……。

バド・シャンクが4月2日に亡くなっていたことを知りました。考えてみるとずいぶんレコードを持っているミュージシャンです(単純に録音が多かったからという噂もありますが)。ジャズ・ジャイアントとは呼べないと思いますが、時折はっとさせられる美しくスムーズなフレーズがあって、それでまた1枚、また1枚と買い求めてしまう、そういうアルト・サックス(&フルート)でした。それに何よりも音色がたまらない。ここぞというところのアドリブで不発だったりすることがあるのも憎めません。アート・ペッパーにはなれなくて、明るく見せようとするのだけれど、キャノンボール・アダレイほど開き直れない、という印象でした。リー・コニッツから影響を受けていることは顕著だし、ジャッキー・マクリーンに影響を与えているのではとも思います。意外に歌伴が良くもあるのは、実は意外ではないのかもしれません。ともあれ、西海岸ジャズの代名詞のような一人でした。冥福を祈ります。

今日聴いた音楽 バド・シャンク特集

*以下、すべてLPで、AB面通して聴きました。

『バド・シャンク・クインテット・コンポジションズ・オヴ・ショーティ・ロジャース/バド・シャンク&ビル・パーキンス・クインテット(昼と夜のバド・シャンク)』1954・1955

『バド・シャンク&ヒズ・ブラジリアン・フレンズ』1965

『パヴァーヌ・プール・ユニュ・アンファント・デファント(なき王女のためのパヴァーヌ)』(ザ・LA4)1976

『イージー・ライク』(バーニー・ケッセル)1953・1956

『レット・イット・ビー』(ウィズ・ザ・ボブ・アルシヴァー・シンガーズ)1969? 1970?

『ザ・バド・シャンク・カルテット(イラストのシャンク)』1956

『ザット・オールド・フィーリング』1986

『シーム・ミュージック・フロム・ザ・ジェームス・ディーン・ストーリー』(チェット・ベイカー&バド・シャンク)1956

『ミッシェル』(チェット・ベイカー&バド・シャンク)1966

『ザ・スウィングス・トゥ・TV』1958

『ゴーイング・ホーム(家路)』(ザ・L・A・フォア)1978

『バド・シャンク・カルテット(横寝のシャンク)』1956

『ウェイター、メイク・マイン・ブルース』(アニタ・オデイ)1960

『アット・カル・テク』1956

『オール・スルー・ザ・ナイト』(ジュリー・ロンドン)1965

『ザ・ローリンド・アルメイダ・カルテット』1954

『ウィンドミルズ・オヴ・ユア・マインド(風のささやき)(魅惑のスクリーン・ジャズ)』1969

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2009年05月13日

忌野清志郎さんのこと

というタイトルの文章を書こうと思ってこの10日間くらいパソコンに向かっていたのですが、長く長くなってしまって収拾がつかなくなってしまったので、その文章はここに載せるのはやめにして、代わりにざっくばらんに追悼の思いを記しておきたいと思います。

1980年から81年にかけて東京都多摩地区で高校1年生をやっているということは、おまけに同級生とバンドのようなものを組んでロックのようなものをやっているということは、もうそれだけで彼の弟分みたいな宿命になってしまうのでした。友人が『ラプソディ』のテープを持ってきた日のことは今でも忘れられません。当時の僕は英米のロックを聴きながら、スタッフやウェザー・リポートも聴いていたし、すでに『ゲッツ/ジルベルト』も聴いていたのですが、ほぼ100%海外の音楽しか聴いていなかった中で、彼の音楽だけは非常に直線的に心の中に入ってきました。それは多分に彼が多摩地区の出身で、スリークッションくらいの知り合いが周囲にたくさんいて(「キヨシなら知ってるよ」)、何となく親近感があったことも影響しています。ついでに言うと彼ならではの「ダブル・ヴィジョン」とでも呼ぶべき透徹した客観性と、ある種の野暮ったさを自認しながらエネルギーにしていくような感覚は、多摩地区の人間ならではの屈折が影響していると思います。

僕が彼に対する興味を失ったのは、坂本龍一と歌っているのをテレヴィで観てからでした。たぶん1982年だったと思います。何だか違ってしまったなあと思ったことを覚えています。ちょうどその前後から僕はロックをほとんど聴かなくなって(ジャズにのめり込んでいって)、日本国内のミュージシャンにも食指が動かなくなって、そのあと彼のことを気にしたことは一度もありませんでした。だから今回のニュースを知って(ちょうど僕たちは伊豆にいて、相方の友人がメールをくれて、彼がその前日に亡くなったということを知りました)、そのあとしばらく気分が重くなったのは、自分でも意外な感じがしています。

もう一つだけ言っておくと、彼はどうすれば日本語がメロディに自然に乗るかということを非常に真剣に考えていたミュージシャンです。歌を聴いているとそのことが非常に良くわかります。ボサノヴァを聴いている人にはそれがわかるはずです。

今はただ哀悼を捧げたいです。最後にあの夏の忘れられない第一声を。

「西武球場と言えば、昔よく、昆虫採集に来たぜ!」

80年代初頭の多摩地区の偉大なアニキ、忌野清志郎さんのご冥福を心から祈ります。
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2009年02月28日

無題

愛と自由、善と正義のために生きよう。そう心に決めた2月の終わりの夜です。

カーニヴァルは終わりました。もうすぐ3月です。

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2009年02月17日

今年の訃報(1)

「今年は忙しさを言い訳にしない」と宣言した直後に忙しさを言い訳にせざるを得ない事態に突入する。こういうことは、人生には良くあることです。仕方ないですね。

さて、年が明けてから、少なからず敬愛していたアーティストの逝去のニュースが相次いでいます。以下、弔辞のつもりでショート・メッセージを。何だかこのままいくとこのブログもタイトルを「今月の訃報」とでも変えないといけなくなってしまいそうですが。

ジャック・ランスロ(2月7日)
どうして僕がランスロを聴くようになったのかと言うと、もともとウラッハのブラームスがたまらなく好きだったのですが、その昔の評論家と言う評論家がウラッハとランスロを並べて語っていたからです。でもそもそもどうして僕がウラッハを聴くようになったのかと言うと、その昔某所にあった漫画屋の……長くなるのでここまでにします。でもランスロはやはりモーツァルトですね。

ジョン・アップダイク(1月27日)
若い頃に「ケンタウロス」を半分まで読んだところで不意の恋に落ちてしまって、後半を読み始めるまでに8年も掛かってしまったことがありました。まあ今よりもうちょっとはナイーヴな人間だったのでしょう。
短編では割合後年の「メイプル夫妻」の離婚のシーンが気に入っています。
あと、「ブラジル」という中編もあるのですが、あれは僕には全然面白くありませんでした。原書で読んだのですが(だってアップダイクが「ブラジル」などという小説を出すなんていったい何ごとかと思いましたよ)、読み終えて「時間を返せ!」と壁を叩きました。
僕がアップダイクの墓名に刻みたい一節は、どうして多くの人がこれを引用しないのだろうと不思議になるくらいの名言です。
「アメリカ人には儀式が必要だ」。
さようならウサギ。

ブロッサム・ディアリー(2月7日)
ちょっとショック。存在そのものが世界を明るくする貴重なアーティストというのはやはりいるものです。
夏の終わりの夕立の前の時間には、ミシェル・ルグランの「ワンス・アポン・ア・サマータイム」を、チェットでもマイルスでもアストラッドでもアート・ファーマーでもなく、あるいはカーリン・クローグですらルイス・ヴァン・ダイクですらモニカ・ゼターランドですらボニー・ハーマンですらなく、彼女の歌で聴きたいと思うのです。
ああもう聴いちゃう。真冬だけど真夜中だけど聴いちゃう。
あなたの「カルロス・アントニオ・ジョビン」のMCは永遠に不滅です。ご冥福をお祈りします。

アンドリュー・ワイエス(1月16日)
どうして僕がワイエスを観るようになったのかと言うと……以下省略。

ではまた。

*追記
カチャイート(オルランド・ロペス)が2月9日に亡くなったと教えていただきました。合掌。
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2008年12月31日

惜別 ドリヴァル・カイミ

2008年に届いた数多の訃報の中でも、ドリヴァル・カイミの訃報は特別の重みがあります。彼の存在がなかったらブラジルの大衆音楽の歴史はかなり書き変わっていたはずです。

今年最後の1日はドリヴァル・カイミのアルバムと彼の楽曲をカヴァーしたアルバムを掛けながら1日を過ごしました。真夏のバイーアかリオで海の風に吹かれている感じの年越しです。

『バイーアの郷愁』(日本編集盤)

『ソングブック・ドリヴァル・カイミ vol.1/VA』(ルミアール)

『カイミ・ヴィジタ・トム』

『ガル・カンタ・カイミ/ガル・コスタ』

『ドリヴァル/VA』(コロムビア)

『ヴィニシウス・イ・カイミ・ノ・ズンズン』

『ソングブック・ドリヴァル・カイミ vol.3/VA』(ルミアール)

『わが故郷のサンバ』(日本編集盤)

『ホーザ・パッソス・カンタ・カイミ』

『2 em um』(『Caymmi e seu Violão』『Eu não tenho onde morar』)

*今日はすべてCDでした。

それでは皆さん、良いお年を!

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2008年12月28日

哀悼 ジョニー・グリフィン

今年もたくさんの偉大なミュージシャンが逝去しましたが、ジョニー・グリフィンの訃報は読み落としていました。先々週の忘年会で7月25日に亡くなっていたことを友人から知らされました。

『ジャズ批評』の「私の好きな一枚のジャズ・レコード」の初版(1981年)に、僕が学生時代にアルバイトをしていたジャズ喫茶の経営者が『ケリー・ダンサーズ』を取り上げて「ジョニー・グリフィンは過小評価されている」という一文を執筆しています。そのことがあるので何となく親近感を抱いていたテナーマンでした。僕がライヴを体験したのは一度だけで、1989年10月18日の新宿ピットインでしたが、これがすごいライヴだった。「ハッシャ・バイ」の永遠にも感じられるスリリングなソロに胸を打たれたことを昨日のことのように思い出せます。サインは『イントロデューシング』にしてもらいました。

一聴してこの人とわかる貴重な個性がまた一人……。ブラジル音楽もそうですが、本当に「会えるうちに会っておかないと」という思いを一段と強くした1年でした。

今日聴いた音楽 ジョニー・グリフィン特集

*以下、すべてLPで、AB面通して聴きました。

『ザ・コングリゲーション』

『チェンジ・オヴ・ペース』

『ジョニー・グリフィン(JG)』(アーゴ盤)

『フル・ハウス』(ウェス・モンゴメリー)

『ウェイ・アウト』

『バトル・ステーションズ』(エディ・ロックジョウ・デイヴィス&ジョニー・グリフィン)

『ア・ブローウィング・セッション』

『グラブ・ディス!』

『ミステリオーソ』(セロニアス・モンク)

『スタジオ・ジャズ・パーティ』

『イントロデューシング・ジョニー・グリフィン』

『リトル・ナイルス』(ランディ・ウェストン)

『ザ・リトル・ジャイアント』

『ザ・マン・アイ・ラヴ』

『ブルース・フォー・ハーヴェイ』

『ザ・ケリー・ダンサーズ』

『リターン・オヴ・ザ・グリフィン』(ロニー・マシューズも偲んで)

*ウィキで今年の訃報を眺めていたら、ジェイムズ・クラムリーが9月17日に亡くなっていたことを知ってしまった。淋しい……。

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2008年10月15日

青山でブラジル(+ラグビー)

昨日13日(月・祝)は東京青山で、(1)ラグビー・トップリーグ@秩父宮ラグビー場→(2)ムッシュかまやつトークショー「ムッシュが語るボサノヴァ」(青山でボサノヴァ。)@オラクル青山センター→(3)山本のりこさんライヴ(同)@avex本社前→(4)「カルトーラ サンビスタの物語」(ブラジル映画祭2008)@表参道ヒルズ→(5)ムケッカその他@某店というフルコース。青山が毎週こんな風だったら良いのになあと。

かまやつひろしさんがトム・ジョビンの音楽について語っていたことのメモ。
「ジョビンの音楽を聴いていると、まるで一枚の絵のように感じるよね。その中にジョビン自身の歌が時々入ってくるんだけど、それがまるでその絵の中に飛んでいる鳥のようでね。こうでなくちゃいけないと学んだものだよ。歌というのは鳥で良いんだな、自分だけ出っ張っちゃいけないんだなってね」。
音楽のジャンルに関係なく、長らく音楽を演ったり聴いたりしている人の話には、できるだけ耳を傾けるべきだと思います。

あとはカルトーラの映画が最高でした。会場が満員になったのには驚きましたが、聞くところによると連日こうだったそうです。旧知・新知の顔が多いことも驚き。何かを投げれば知り合いに当たる感じでした。

さて、最近アクセスがちょっと増えているのですが、「ジョアン・ジルベルト」で検索して来られる方が多いようです。気が付けばもう1カ月を切っています。このブログもそろそろジョアン・モードに切り替えることにしようかと思います。と言っても過去のネタしかないのですが。
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2008年09月23日

坂尾英矩さんにトム・ジョビンの思い出を聞いた午後

9月21日(日)の午後には高田馬場イントロで坂尾英矩さんの二度目の講演会がありました。12日のAparecidaに続いて、坂尾さんの貴重なお話を堪能させていただきました。

今回の2回の講演会では、トム・ジョビンとも親交が深かった坂尾さんに、トムの思い出の一端を聞くことができたのも幸いでした。印象に残ったことを書き留めておきます。

坂尾さんの著書「ボサ・ノーヴァ詩大全」にも記述がありますが、坂尾さんは1950年代にトムのピアノのソロを初めて聴いた時(「思いあふれて」発表以前)に、「センテキのヤノピ」という言葉を思い出したそうです。「センテキのヤノピ」とは、進駐軍時代に学校の先生がアルバイトでジャズのバンドに参加している演奏などのことで、要するに「ジャズのセンスがない」という揶揄のニュアンスを含んだ言葉です。

「ジョビンのピアノはとてもうまかったし、センスもとてもあったけれど、この人はジャズの人ではないなと思った」と坂尾さん。

そして、そういうジョビンが生み出した音楽がジャズの影響を受けているはずはないとおっしゃっていました。「ボサノヴァがジャズ化したサンバというのは間違い。あえて言うなら、アメリカン・ポピュラー・ミュージックの影響を受けたサンバだ」と。ジョビン自身も、「ボサノヴァは誰が何と言おうと純ブラジルのものだ。サンバから生まれて、リオの海岸を歌った音楽が、どうしてジャズの影響を受けたと言われなければならないんだ」と憤慨していたとのことです。

さて、イントロの講演会のあとの二次会で、坂尾さんにいくつか質問させていただきました。その中でニュウトン・メンドンサについてお聞きした時のやり取りを書き留めておきます(録音していたわけではないのでちょっとニュアンスが違っているかもしれませんが(文責は岩切にあります))。

――ニュウトン・メンドンサについては思い出はありますか?

坂尾さん:話したことはなかったけれど、ピアノは聴いたことがあるよ。むすっとした、ずんぐりした体格の男だった。

――やはりセンスのあるミュージシャンだったんですか?

坂尾さん:センスはすごくあった。こいつは(僕たちのようなジャズ・ミュージシャンの)仲間だと思ったよ。ジョビンのような「センテキのヤノピ」じゃなくてね。

――ジョビンに与えた影響は大きかったんでしょうね?

坂尾さん:すごく影響を与えたはずだよ。だって、ボサノヴァの前のあの時期のジョビンの曲はすごく良いけれど、そのあとになるとつまらなくなってしまうよね。あとの方になるとクラシックみたいになってしまったりする。あの時期だけ突然変異的にあれほど良い曲が書けたはずはないよ。あれはニュウトン・メンドンサの影響だよ。ジョビンはそういうところはすごくうまいから、ニュウトン・メンドンサの良いところを取っちゃったんだと思うね。


ボサノヴァ誕生前後のブラジル音楽の現場を直接体験している坂尾さんならではの証言です。そして、トム・ジョビンの音楽を探究する上で、新しいヒントを与えてくれる事実だと思います。

*坂尾さんの講演の中には他にもたくさん「目から鱗」の話がありました。他にも紹介すべきことを思い付いたらまた書きます。貴重な機会を与えていただいたことに感謝します。

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2008年09月14日

坂尾英矩さんに「VERNACULIDADE」を教わった夜

9月12日(金)の夜は西荻窪Aparecidaで坂尾英矩さんの講演会。満員の盛況で、一時帰国中の坂尾さんのお話を拝聴できた大変貴重な機会でした(ご本人は「まだ100分の1も喋っていない」とおっしゃっていましたが)。

坂尾さんが繰り返し強調していた言葉が「VERNACULIDADE(ヴェルナクリダーヂ)」。この言葉によって、今まで僕が説明しようとして説明できなかったこと……なぜブラジル音楽だけがこれほど心を揺さぶるのか? そしてなぜ、同じブラジル音楽の中にも心を揺さぶる音楽とまったく心に響かない音楽が混在するのか?……の説明が簡単につくことが良くわかりました。

「VERNACULIDADE」をあえて日本語にすると、「その国特有の『らしさ』・その土地特有の『らしさ』」ということになるでしょうか? 坂尾さんは「秋田おばこ」の話でそれを説明していましたが、ブラジル音楽で言えば「ブラジル独特の味になっているかどうか?」が、何よりも重要なことです。

そして、坂尾さんはその「VERNACULIDADE」に関して、たとえば次のような説明をしていました。

(1)サンバを「アフロ」と形容するのは間違い。ポルトガルがブラジルに入ってから400年経ってからサンバが生まれたのだから、サンバはアフリカのどこにもない、もちろん中南米の他のどの国にもない、ブラジル独特の味のある音楽であることは当然。

(2)そのサンバの「VERNACULIDADE」、すなわちなぜブラジルだけが他のどの国にもない音楽を生み出せたのかと言うと、ブラジルはポルトガル語だから。ポルトガル語の独特のノリがメロディに乗って良い味を醸し出した。

(3)ボサノヴァはジャズの影響は受けていない。ボサノヴァが影響を受けたのは戦後のアメリカン・ポピュラー・ミュージック(それ以前はブラジルが影響を受けた文化はフランス一辺倒だった)。とりわけディック・ファルネイが持ち込んだビング・クロスビーふう(クールナー)の歌唱スタイル(それまではイタリア風の歌い上げる歌唱方法が主流だった)と、オーケストレイションの影響が大きい。

(4)トロピカリアには「VERNACULIDADE」が少ない。アイアート・モレイラは「ブラジル音楽を駄目にしたのはトロピカリア」と断言した。「ボサノヴァはリオで生まれて、サンパウロで育ち、バイーアで死んで、日本で生まれ変わった」は大島守さんの名言。ジルベルト・ジルは大臣就任の際に一曲演奏をと請われてなんとレゲエを唄った。

(5)渡辺貞夫さんはもちろんすばらしい演奏者だが、「ミーツ・ブラジリアン・フレンズ」を聴くと、ナベサダさんがブラジル音楽の「VERNACULIDADE」をわかっていないことがわかる。それは二拍子ではなくて、四拍子で考えているから。同じアルバムのカゼーの短いソロの方がはるかに「VERNACULIDADE」がある。ブラジル音楽は、(1)小さな一拍目と、(2)伸ばす強い二拍目の二拍子が基本。

などなど、どれもこれも僕が以前から感じていたことの鍵を解き明かしていただいて、大変勉強になりました。非常に濃密な、「本当の話」が聞けた夜でした。

坂尾さんの講演会はあと2回あります。以上の話にぴんときたブラジル音楽ファンは、ぜひお出掛けください。

9月20日(土)
鎌倉 cafe vivement dimanche
19:00〜21:00

9月21日(日)
高田馬場 イントロ
14:00〜17:00
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2008年07月19日

パウロ・ジョビンmeetsジャパニーズ・プリンス

金曜の夜、あまりにも原稿がたまっているので晩飯も取らずにひたすらビールだけ飲みながら(笑)仕事をして、さて眠ろうかと思いながら朝5時30分、ちょっとテレビをつけてみたら、たまたま「皇室アルバム」で皇太子のブラジル訪問を報じていました。

あ、ブラジルだ、あ、リオだと思って、そのまま観ていたら、ジャルヂン・ボタニコが映りました。そしてそのあとの歓迎会の場面で、皇太子と握手しているのは、なんと、パウロ・ジョビンではないですか!!??

テロップも何も流れなかったから、TBSはわからなかったのだろうなあ。そのあとに皇太子と握手していたジーコにはちゃんとインタヴューしていたけれど。

ああ驚いた。しかし民放にチャンネルを合わせることなんて月に一度くらいだし、この時間にテレビをつけることなんて本当に稀なことなのに、どうしてこういうシーンをたまたま観ることができたのか……。不思議です。
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2008年06月10日

Feliz aniversario!

ずっとさぼってしまっていて、心配されたり呆れられてたりしています。皆さんお元気でしょうか?

ワルテル・サントスとJ.T.メイレリスの逝去に言葉を探しているうちに、出張に出てしまいました。現在、LA。『エリス&トム』のレコーディングの記録映像の中に登場するカリフォルニア銀行の建物を間近に眺めるホテルにいます。理由があってトム・ジョビンのワーナーの録音を部屋で流しています。

ジョアン・ジルベルトのカーネギー・ホールは、やはり予定が合いませんでした。間もなくですね。行かれる方がいらしたらリポートしてくれないでしょうか??

そして今日はジョアンの喜寿のお祝い。秋の再来日を楽しみに待つことにします。
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2008年04月30日

女満別から釧路まで

ずっとサボってばかりで、ライヴその他のお誘いにも不義理を重ねています。お許しを。

今日は仕事で北海道は道東にいました。北見から出発して、女満別、網走、斜里、宇登呂、知床峠、羅臼、野付半島、標津、別海、浜中、霧多布岬、霧多布湿原、厚岸、釧路と、レンタカーで約450キロを走破。このコース、1985年の夏にテントと寝袋を担いでヒッチハイクをしながら歩いたのとほぼ同じルート。釧路には時々行っているのですが、その他は本当に23年ぶりで、当時を思い出しながらのドライヴはとても感慨深かったです。10日間かけて巡ったルートを1日で走る日が来るなんて。

BGMは、女満別の網走湖は『マチータ・ペレー』、雪の知床峠はネイ・マットグロッソのジョビン&ヴィラ・ロボス集、別海の丘陵は『ウルブ』、薄暮の釧路はレニー・アンドラーヂとクリストヴァォン・バストスのジョビン集。我ながら最高の選曲。

思い出した。あの時最後に、「またどこかで夕陽見ててください」と言ったんだった。未だに日没時には水のほとりにいる私です。

ずいぶん遠くに来てしまったんだなあと思う旅でした。
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2008年03月22日

さよならを言うことは…

もう何日も経ってしまいましたが、3月17日(月曜日)に、澄淳子さんの吉祥寺・赤いからすでの最後のライヴがありました。

この赤いからす、今月いっぱいで1977年3月以来の31年間の営業を休止して閉店してしまうことになっています。で、澄さんの最後の出演だというので、僕にしては珍しく、1stステージの頭から駆けつけて、最後までしっかりと彼女の歌を聴きました。

ピアノに田村“怪獣(天才)”博さん、ベースに安東昇さんという名手を得て、極上の楽しい夜でした。思い出の「あの曲」も歌ってくれて、長年大量のジンとバーボンを消費してきたこの店に、とても良い形でお別れができました。あとは4月にさよならパーティが残っていますが、僕にとってはこれで一応の終止符。もう思い残すことはありません。

彼女の歌を聴きながらずっと、不思議だよなあと思っていました。ある音楽に巡り会うことは、ある人物に巡り会うことにとても良く似ています。その二つは、僕のような人間にはだんだん区別がつかなくなってきます。

そしてその河岸もまた…。

またその河岸を変えて澄さんの歌を楽しみたいものです。この夜は念願の「葬式リクエスト」も果たすことができて、ホント、良い夜でした。

そして、赤いからには本当に心からのお礼を。あの夜、この夜、たくさんの思い出が駆け巡ります。



りんご追分
デイ・バイ・デイ
イージー・リヴィング
さよならルンバ
オール・オヴ・ミー(もってって)


宵待草
ジャスト・イン・タイム
ミネソタの玉子売り
エヴリタイム・ウィ・セイ・グッバイ
ダイナ


リンゴの歌
千の風になって
さよならはダンスのあとに
(この間にもう一曲あったかもしれない)
そっとおやすみ(←これが葬式リクエスト)
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2007年12月29日

年の瀬の吉祥寺の消え行く店で

一昨日の水曜の夜は、あともう少しでこの世界から(と言うよりも吉祥寺から)なくなってしまうジャズ・クラブで、澄淳子(Vo)と続木徹(P)の演奏を聴きました。

この店のことは前にも書いたことがあるので今は省略。澄淳子のヴォーカルとお喋りについても前に書いたことがあるので省略。続木徹のピアノについても何度も書いたので今夜は省略。

この人たちの演奏は20年近く聴いているので、今あえて言うことは特になくて、旧くからの知り合いと楽しく過ごせた良い夜でした。

後ろの方でこっそりと聴こうと思って店に入ったら、前の方しか席が空いていなくて、「嫌なの?」と澄さんに脅されて…いや、あの、促されて…仕方なくかぶりつきで聴かせていただきました。はい。

「ミネソタの玉子売り」で「ウッパ・ネギーニョ」が飛び出したところは素晴らしかったと思います。などということも一応書いておこう。

でも本当に淋しくなりますね。お互いにね。仕方ないのかね。
posted by naoki at 02:11| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

デューク・ジョーダンのこと

昨夜遅くに「今日聴いた音楽」を書き込んで、最後にデューク・ジョーダンの『フライト・トゥ・デンマーク』と記入したのですが、朝起きるとその書き込みを読んだ海外在住の友人からEメールが届いていました。「でもデューク・ジョーダンもトミー・フラナガンもいなくなってしまって…」とあります。え? 何それ? 早速調べてみたら、なんと、デューク・ジョーダンは2006年8月8日に亡くなっていたのですね。僕は全然知りませんでした……。

ジャズ・ピアニストで誰が好きかと問われたら、三番目以内に名前を挙げるピアニストでした。ライヴは3回か4回聴いているはずです。最愛の『フライト・トゥ・デンマーク』のLPジャケットにサインをもらったのは、原宿のキーストンコーナーだったと思います。その時のデューク・ジョーダンはもうへべれけに酔っ払っていて、曲名を間違えて紹介したりしていたのですが、でも、ピアノの前に座ると背筋がしゃきっと伸びて、素晴らしいアドリブを聴かせてくれました。あの時の「チョコレート・シェイク」のテーマのタッチは今でも覚えています。それから、今朝Eメールをくれた友人ともどこかのホールのライヴに一緒に行ったように記憶しています。

思い出の尽きないピアニストで、特に『フライト・トゥ・デンマーク』には数え切れない思い出があります。その昔武蔵境にあったアフタービートだかダウンビートだかいったジャズ喫茶を思い出します。

デューク・ジョーダンの魅力はとてもわかりやすくて、アドリブのシンングル・トーンのメロディの美しさがそれはもうぴかいちでした。ちなみに昨夜『フライト・トゥ・デンマーク』を掛けたのは、「ヒアズ・ザット・レイニイ・デイ」の中に現われる「ジングル・ベル」のメロディが聴きたかったからでした。

ジョアン・ジルベルトが好きな人は『フライト・トゥ・デンマーク』は絶対に気に入ると思います。ぜひ一度聴いてみてください。

それにしても淋しいなあ。

グラッド・アイ・メット・デューク。

僕はデューク・ジョーダンのご冥福を心から祈ります。
posted by naoki at 02:15| Comment(10) | TrackBack(13) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする