2011年02月12日

2月11日の1曲「エスターテ(夏)Estate」ジョアン・ジルベルト

 東京は雪。昼間は自宅で音楽を聴きながら仕事の山と格闘。僕には雪の日に掛けたくなるレコードというものが何枚かあって、その中にジョアン・ジルベルトの『アモローゾAmoroso』があるのだが、これは裏ジャケットのジョアンの写真を撮った土井弘介さんの証言(2003年のジョアンの初来日公演のパンフレットに掲載されている)が頭にあるからにほかならない。このアルバムでいちばん良く聴くのはブルーノ・マルティーノの「エスターテ(夏)Estate」だけれど、ジョアンがこの曲を真冬のニューヨークで録音していることはこの演奏の魅力に関係があると思う。

 夕方から立川で高校時代のラグビー部の先生と会食。うちの相方を連れて。もう一人の友人を交えて。先生の行き付けの中華料理店で。僕にとっては唯一の恩師と呼べる存在の人。ちゃんと喋るのは久し振り……もしかしたらこんなにちゃんと喋るのは初めてかもしれないくらい。それで今日は雪なのだろうか?

 この先生、今は「君が代」の不起立の問題で原告の一人になっている。僕はその主張を全面的に支持しているけれど、それは個人の思想や行動を体制とか権力とかがが強制したり強要したりすることはできないというその一点においてだ。そしてそれは僕がブラジルのMPBを好んで聴いていることととても密接に結び付いている問題だ。ものすごく大事な一点である。

 帰ってまたジョアンを聴きながら、そういうことを漠然と思う。いろいろなことを回想する。窓の外は銀世界。

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2011年02月05日

2月5日の1曲「永久の想いEverybody's Got to Learn Sometime」コーギス

 先日友人たちと「なぜ若者はポップソングを聴くのか?」という話題になった。もともとは「なぜ今の若者はポップソングを聴かなくなったのか?」という話題だったのだけれど。僕のその時の結論は、「女の子にもてたいから」。これは村上龍が以前にどこかに書いていた「女の子にもてたくて石膏デッサンを練習した」という話がベースにある。十代の頃の衝動ってだいたいそういうことではないかと、酔っ払って僕は喋った。

 夕方、相方と吉祥寺の街中に食事に出る。偶然に旧友に会う。偶然に偶然が重なっている男。僕のことを僕の相方よりも20年前から知っていて、僕の相方のことを僕よりも8年前から知っている男。30年前に僕のために一肌も二肌も脱いでくれた男。10年前に高田馬場のコルコヴァードで結婚の報告のパーティのようなものを開いた時に、「しようがないなあ」と言いながらその場で司会を買って出てくれたのもこの男だった。

 それで今日の1曲なのだけれど、昨夜、シネフィル・イマジカでチャーリー・カウフマンとミシェル・ゴンドリーの「エターナル・サンシャイン」を観ていたら、最後にこの曲が流れてきたので飛び上るほど驚いた。この映画を観るのは3回目だと思うのだが、ラストのクレジットのところまでちゃんと観たのは初めてだったのだろう。でなければ以前に気が付いていたはずだ。英国出身のコーギスというポップバンドの曲。僕がFENでケイシー・ケイスンのアメリカントップ40を聴いていたのは1977〜80年くらいのことだけれど、80年にビルボードで18位になったと記録にある。このバンドのことは詳しくは知らない。でもこの曲のことは良く覚えている。あの当時のヒットチャートの中でこの曲の「感じ」がずいぶん異質だったからだ。もちろんレコードを買うほどではなかったので、今も手元にあるわけではなく、YouTubeで探して聴いてみる。ちょっとした感慨が湧き起こる。それで若者がポップソングを聴くことの意味だか目的だかがちょっとだけわかる。30年後に友人との再会を祝福するためだ。
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2011年02月02日

2月1日の1曲「スノウ・ピースSno' Peas」ビル・エヴァンス&トゥーツ・シールマンス

今日は札幌。午前中は吹雪いていて、午後には一時は降りやんでいたが、夕方にはまた視界0メートルの吹雪。夕食はビールを飲みながら地元の海のもの山のものをごちそうになる。

そのあとで一人で生演奏のあるジャズクラブへ。とてもとても良い演奏。エレクトリックピアノの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」を聴いていたら、ビル・エヴァンス&トゥーツ・シールマンスの『アフィニティAffinity』が聴きたくなった。それでもう一軒ジャスの店に行って、そのアルバムを掛けてもらう。目玉は「スノウ・ピースSno' Peas」。今札幌はマイナス3.5度。雪はまだ降りしきっている。

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2011年01月25日

1月24日の1曲 「ブエノスアイレスの冬Invierno Porteño」アストル・ピアソラ

 朝4時50分起床。北九州に日帰り出張。ところが朝の電車の接続がことごとく悪くて、北九州行きの飛行機に乗り遅れる。しかし僕は飛行機に乗り遅れることに関してはエキスパートみたいなものなのであえて言うけれど、こういう時のJALの対応は不親切だ。ANAの方がずっと親身になってくれる。もちろん乗り遅れるような時間に自宅を出る僕が悪いのだけれど。何とか福岡行きに変更してもらってことなきを得る。

 福岡空港から小倉へ。今日はレンタカーは借りずに電車とバスで移動。途中ところどころで雪が降っている。昼食はだるま堂の焼うどんというおのぼりさんコース。仕事は無事に済んで、そのあとまた福岡方面に移動して、夕方には北九州空港へ。雲に当たった夕陽が海に再反射して美しいオレンジを放っていた。帰りの便はスターフライヤー。非常用設備の案内の「スターフライヤーニンジャ」が最高。シートもとても快適で、スターフライヤー応援しなくちゃと強く思う。

 夕食は昨日の「シチュー鍋」を再利用。Jスポーツでラグビーのハイネケンカップの試合を見ながら。で、行きの飛行機の中のオーディオプログラムでピアソラの「ブエノスアイレスの冬Invierno Porteño」が掛かっていたので、深夜に『レジーナ劇場』を聴く。ブエノスアイレスに行きたい。前から言っているのだけれど、今の我が家の予定だと、次の、次の、次の、次くらいの海外旅行になるのだろうか?
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2011年01月17日

1月16日の1曲 「サンバ・ダ・ホーザSamba da Rosa」ヴィニシウス・ヂ・モライス&トッキーニョ

 朝5時30分起床。一人でレンタカーを運転して埼玉と群馬と栃木の県境近くを回る。熊谷から出発して、行田、羽生、加須、館林、佐野、足利へ。誰に会うわけでもなく、遊んでいるみたいだがこれも仕事。好天だったが、日陰には雪が残っていて慎重にアクセルを踏む。昼食は佐野でラーメン。大泉には今日は寄れず。すぐ近くにはいたのだが。

 十枚くらい持って行ったCDの中に、ヴィニシウスとトッキーニョとマリア・ベターニアのブエノスアイレス録音があった。昨年クレオール・ストリーム・ミュージックから国内盤が出て、その短いレヴューをラティーナに書くことになって、12月の前半くらいは毎日のようにこれを聴いていた。冒頭の「ア・トンガ・ダ・ミロンガ・ド・カブレテーA Tonga da Mironga do Kabuletê」も捨て難いが、1曲選ぶとすれば「サンバ・ダ・ホーザSamba da Rosa」。深夜のAMラジオに合いそうなこの曲の余韻が好きだ。ボサノヴァもサンバも本来は歌謡曲なんだよなと思う。

 帰りに吉祥寺のブックオフで特売をしていて、辞書も1冊300円で売っていたので、英英辞典を中心に辞書ばかり6冊買う。店員が親切。夜は自宅で鍋。ラグビーのワイルドカードトーナメントの録画を見ながら。でも先週熱を出してから食が細くなっている。

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2011年01月09日

1月8日の1曲 「リジアLigia」シコ・ブアルキ

*何ごともなかったかのように。

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

1月8日の今日の1曲

 朝6時起床。相方は出勤して仕事。僕は自宅で仕事。風呂に入ってシャツを洗って9時にパソコンの前に座る。昼まで原稿を書いて昼食を作って食べる。ベーコンエッグライスとごぼうの味噌汁。BGMはシロ・モンテイロ。食べ終えてJスポーツで高校ラグビーの決勝を見る。東福岡対桐蔭学園。同点引き分け両校優勝。最後に両チームの選手が入り乱れて喜びを分かち合っているシーンでちょっと泣いてしまう。ラグビーはこれでいい。桐蔭学園の松島幸太朗という選手は、僕がこの30年間に目撃したベスト高校生フルバックかもしれない。南アフリカに行くそうだけれど、前途の幸運を祈りたい。

 それからもうちょっと仕事をして、井の頭公園を散歩する。春まではまだとてもとても遠いが、陽射しにちょっとした伸びやかさが感じられる。それで嬉しくなって、帰ってきてまたもうちょっと仕事をしながら、西の空の最後の明るさの中で、シコの『シナル・フェシャードSinal fechado』を一度だけ聴く。このアルバムにはジョアン・ジルベルトが日本公演で歌った曲が3曲含まれているのだけれど、そういうことを話題にする人はほかにいない。おそらく世間の多くの人と僕の興味が違うのだ。「リジアLigia」が始まる頃には外はほとんど暗くなっている。こういう夕方に思い出す中学生時代の光景があるのだけれど、その話はまた今度。

 吉祥寺で相方と会って、カレーの材料を買い込んで帰る。料理は僕。BGMはシエラ・マエストラ。これは翌日の準備。夜もう一度高校の決勝を見る。

*いろいろと模索しているところです。
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2010年07月10日

ヴィニシウス・ヂ・モライスのこと

昔、学生時代に、「今日何だか暗いなあと思ったら桜桃忌だった」と言った友人がいました。彼に倣って言えば、「今日何だかウィスキーが飲みたいなあと思ったら詩人の日だった」という感じです。日付が変わってしまいましたが、7月9日はヴィニシウスの命日。亡くなってちょうど30年になります。

2月からずっとシコのことを考えていたのですが(今でも考え続けています)、シコのことを考えているといつの間にかヴィニシウスのことを考えているし、ヴィニシウスのことを考えているといつの間にかトムのことを考えています(あとはナラもそのサイクルの中にいるかな)。ヴィニシウスとトムは14歳違いで、トムとシコは17歳違い。これは僕の「文化は叔父から甥に継承される」説の有力な事例です。まあその話はまた今度にします。

それにしても30年というのはちょっとした節目です。それで「詩人」について何かを書いておこうと思って、エピソードを一つ思い出しました。先日シコの資料を読んでいて収穫した、今のところ僕がいちばん好きなヴィニシウスの逸話を紹介しておきます。

1967〜68年くらいに、TVへコールに一つの人気番組がありました。「エスタ・ノイチ・セ・インプロヴィーザEsta noite se improvisa」といって、その名の通りに即興性を競い合うクイズ形式の番組でした。司会者が一つの言葉を出題して、出演者はその言葉が歌詞に含まれている大衆音楽の楽曲を思い出し、ボタンを押してマイクの前で歌うという番組でした。最大最高に勝ち抜いたチャンピオンにはゴルディーニが贈られたというのですからすごいです。

この番組の常連の出演者の中にシコ・ブアルキがいました。カエターノ・ヴェローゾも常連の一人でした。シコはこの番組で次々と楽曲を歌い当てて抜群の成績を収めて活躍したのですが、のちにそのほとんどが嘘っぱちであったことが暴かれてしまいます。この話もまた今度にします。

この番組の最低最悪の出演者が、ヴィニシウス・ヂ・モライスでした。一度も問題に答えられないのです。断っておきますが、ヴィニシウスほどその当時のブラジルの大衆音楽に通じていた人間はほかにいませんでした。誰よりもたくさんの楽曲を知っているはずなのです。それなのに問題に答えられなかったのは、おそらく音楽をそういうふうに聴いていなかったからなのではないかと思います。

で、ある時ついにまるでヴィニシウスのために用意されたかのような言葉が出題されました。司会者が、「問題の言葉は……」と読み上げた言葉は、
「ガロータgarota」でした。

ヴィニシウスは顔色を輝かせ、ボタンを押して、解答権を獲得しました。そして嬉々として、マイクの前で、「ガロータ・ヂ・イパネマ(イパネマの娘)Garota de Ipanema」を歌い始めました。

Olha que coisa mais linda,
Mais cheia de graça.
É ela a menina que vem e que passa,
num doce balanço a caminho do mar.

会場の観客は作詞者本人による歌唱に聴き惚れて、ヴィニシウスとともに問題の言葉が出てくるのを待ちます。「ガロータgarota」という歌詞が出てきた時点で今回はヴィニシウスの勝利です。

Moça do corpo dourado do sol de Ipanema,
O seu balançado é mais que um poema,
É a coisa mais linda que eu já vi passar.

途中でヴィニシウスは「?」という顔をします。客席にもそれが伝わって、だんだんと笑いが広がっていきます。

Ah, por que estou tão sozinho?
Ah, por que tudo é tão triste?
Ah, a beleza que existe,
A beleza que não é só minha,
Que também passa sozinha.

場内は爆笑。反対にヴィニシウスは大いに困惑した表情で最後の歌詞を歌います。

Ah, se ela soubesse
Que, quando ela passa,
O mundo inteirinho se enche de graça
E fica mais lindo por causa do amor,
Por causa do amor, por causa do amor……

そうでした。ヴィニシウスは深い深い失望とともに認識したのでした。作詞者自身が知らなかったことですが、「ガロータ・ヂ・イパネマGarota de Ipanema」の歌詞には「ガロータgarota」という言葉は含まれていないのでした……。

サラヴァ、ヴィニシウス、サラヴァ。

僕はヴィニシウス・ヂ・モライスの人生と作品を髪の毛の先まで愛しんで悼み続けます。

今夜は詩人の「教え」に従ってビールを早めにウィスキーに切り替えることにします。

2010年06月19日

シコ・ブアルキ物語@ラティーナ(5)

今日6月19日はシコ・ブアルキの66回目の誕生日。そして明日は、5ヶ月間連載してきた「シコ・ブアルキ物語」の最終回を掲載した「ラティーナ」7月号が発売になります。

今回のテーマは「作詞家としてのシコ」。歌詞についてだけでなく、民政移管から今日までのシコの活動を網羅したつもりです。トムやヴィニシウスやエドゥとのコラボレイション、大傑作『パラトドス』について、小説家としてのシコ、近年の新しいハーモニーの追求についてなどなど、今回だけ読んでも「シコ・ブアルキとは何か?」の入門篇になると思います。ぜひともお読みください。

*今朝は岡山にいます。これから鳥取まで走ります。BGMはパリのライヴと『No.4』と『アルマナキ』。この度の「ラティーナ」のシコの連載についてはまたのちほど追記します(たぶん)。
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2010年06月11日

Feliz aniversário! ジョアン・ジルベルト

ブラジル音楽とりわけボサノヴァには11月から1月にかけて生まれた重要人物が多いです。星のめぐりあわせというのは本当にあるのかもしれません。でももう一つの山は6月。今日(もう昨日)6月10日はジョアン・ジルベルトの79歳の誕生日でした。

「ラティーナ」のサイトのニュースで知ったのですが、京都の寺院でDVDを収録する話があるそうで、それは大変結構なことですが、はてさてどうなることでしょう。

本当は、ジョアンのレパートリーの中でまだ録音のないすべての曲をレコーディングして残して欲しい。そういうことを考えるプロデューサーがブラジルにいないことが不思議です。「Samba do avião」(横浜)も「Sem você」も「Foi a noite」も、今でも耳の中には残っていますが、録音があればどんなに良いだろうと思います。

2010年05月20日

シコ・ブアルキ物語@ラティーナ(4)

「ラティーナ」連載の「シコ・ブアルキ物語」。第4回目は、「演劇・映画とシコ・ブアルキ」について書きました。

デビュー直前の1960年代中盤から1970年代末までのシコにとって、演劇作品というのは極めて重要な作品発表の場でした。一時期までのシコは「芝居」というフォーマットに人並ならぬ愛着を持っていたように思えます。そのことを中心に、ようやく話が1980年代の軍事政権終結くらいまで進んできました。少なからず安堵しているところです。

今回は結構日本では知られていないエピソードも盛り込んだので、興味を持って読んでもらえると思うのだけれど。「ラティーナ」6月号は今日発売です。ぜひお読みください。

*昨日、渋谷タワーレコードのインストアライヴで秋吉敏子さんを聴きました。タワーレコードで秋吉敏子さんなんてすごいことです。大学時代にジャズ喫茶のレコード係として客が入らない夜に「孤軍」を掛けて踊っていた僕としては夢のようなことです。しかも1曲目が「Long yellow road」だなんて。秋吉さんのピアノはオーケストラそのものでした。曲間のお話もとても良くて、僕の周辺では啜り泣き多数でした。良い夜でした。
演奏曲目:「黄色い長い道」「ソルヴェージ・ソング」「ディープ・リヴァー」「ホープ(『ヒロシマ そして終焉から』より)」


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2010年05月12日

Sinatra Jobim / The Complete Reprise Recordings

フランク・シナトラとアントニオ・カルロス・ジョビンの二度のセッションの全曲を収録した「シナトラ・ジョビン・ザ・コンプリート・リプリーズ・レコーディングス」が発売されるそうです。69年の「Sabiá」と「Bonita」はもちろん、シナトラのリプリーズの20枚組でしか聴けなかった「Desafinado」も収録。これは楽しみです。


2010年05月08日

アンジェリカ

アンジェリカ

その女性は
常に口癖を歌う
ただ自分の息子を寝かし付けたいだけだったと
海のような闇に暮らす息子を

その女性は
常に悲嘆を歌う
ただその拷問を思い出したいだけだったと
自分の息子に嘆息させた苦痛を

その女性は
常に同じたくらみを歌う
ただ自分の天使を保護したいだけだったと
そして彼の身体を休息させたいだけだったと

その女性は
鐘を鳴らすように歌う
自分の男の子のために歌いたがっていた
もう歌うことのできない彼のために

その女性は
常に口癖を歌う
ただ自分の息子を寝かし付けたいだけだったと
海のような闇に暮らす彼女は




*夜中にふと思い付いて訳してみました。シコ・ブアルキがズズ・アンジェルのことを歌った1981年の作品です(共作ミルチーニョ)。軍事政権に息子のスチュアートを奪われたズズは、シコに全幅の信頼を置いて、息子の最後に関するすべての証拠をシコに託しました。そして彼女もまた軍事政権の手に掛かります……。このことは「ラティーナ」の6月号にちょっと書いたのでぜひお読みください。シコの全キャリアの中でもとても意味のある1曲だと思います。

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2010年05月02日

ジョアンとマリア

ジョアンとマリア

ところで僕はヒーローだった
僕の馬は英語しか喋らなかった
そのカウボーイの婚約者は
君だった
ほかの三人を除いてだけど
僕はいくつもの大隊と対決した
ドイツ人とその大砲と
それでパチンコは片付けた
そしてロックを練習した
マチネーのために

ところで僕は王だった
警備員だったし、裁判官でもあった
僕の法律では
みんな幸せになる義務があった
そして君はプリンセス
僕がその位に就かせたプリンセス
驚くくらいに美しかった
僕の国を裸で歩いていた

駄目だ、逃げるんじゃない、駄目だ
あの時は僕が君の玩具だったってふりをするんだ
僕は君のこまだったって
君の可愛い動物だったって

うん、私に手を貸して
みんなもう怖いものなんてないよね
あの悪い時代には
みんな生まれてさえいなかったんだよね

ところでそれは宿命だった
ごっこ遊びはこうして終わった
あの時の裏庭の
でもそれは果てしのない夜だった
君が世界に消えたからだ
予告もしないで
ところで僕は気が狂うほど訊き出したかった
僕の人生はどうなっていくのだろう?



*次の「ラティーナ」のために訳してみたのでここに載せておきます。シコの歌詞を翻訳するなんて本当に無謀で冷や汗が出るのですが。シヴーカの曲にシコが1977年に歌詞を書いた曲です。この曲のことを表現する言葉を僕は持っていません。ぜひともナラとシコのデュオを聴いてほしいです。それが僕がブラジル音楽から受け取ったすべてです。そして僕が後世に伝えていかなければならないすべてです。そのために時間を使わなければいけないのだと思います。
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2010年04月20日

シコ・ブアルキ物語@ラティーナ(3)

「ラティーナ」連載の「シコ・ブアルキ物語」。第3回目は、「軍事政権とシコ・ブアルキ」について書きました。

シコがブラジルにとって本当に欠くことのできないアーティストになったのは、1970年代の対軍事政権の闘争の象徴としてでした。70年代がとてもとても遠くなってしまった今、この時代のことを確認しておくのはそれなりに意味のあることではないかと思いながら書きました。それにしてもこの時期のシコは本当にエピソードが豊富で、資料を読み返していると時間が経つのを忘れてしまいます。その一部しか紹介できなかったのが残念ですが、積み残したことはまた次回にということで。

ところで今回もまたエリファス・アンドレアートの素晴らしいイラストレーションに誌面を飾っていただきました。「ラティーナ」の表紙を描き続けているアンドレアート氏は、エリス、パウリーニョ、ヴィニシウス&トッキーニョ、クララ・ヌネスなどさまざまなミュージシャンのアルバムのカヴァーイラストでブラジル音楽ファンにはお馴染みのビッグネームです。シコでは「オペラ・ド・マランドロ」「ヴィーダ」「アルマナッキ」あたりが彼の作品です。アンドレアート氏のイラストの脇に自分の文章が載るなんて、ちょっと信じられない光栄です。

「ラティーナ」5月号、今日発売になりました。ぜひお読みください!
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2010年03月19日

シコ・ブアルキ物語@ラティーナ(2)

「ラティーナ」連載の「シコ・ブアルキ物語」。第2回目は、「トロピカリスタとシコ・ブアルキ」です。

1960年代末期のシコとカエターノとの関係は、今はもうほとんど語られなくなりましたが、この時期の両者の「確執」はシコの音楽に大きく影響を落としています。とりわけ71年の「コンストルサォン」は……などということを中心に書いています。明日発売予定の4月号に掲載されますので、ぜひお読みください。

それにしてもまだ1971年までしか話が進んでいない……。でもこの時期のシコの周辺を語ろうとすると、紙数がいくらあっても足りなくなってしまって、大変悩ましいところです。


*私は今四国にいます。今回のアグスティン・ペレイラ・ルセーナの来日ライブには行けません。大変残念です。ご成功をお祈り致します。

*そう言えばラティーナのサイトのニュースに、パウロ・セザル・サラセーニの映画のサントラへのジョアン・ジルベルトの新録音の記事があります。楽しみだ。
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2010年03月07日

ジョニー・アルフ

「A founder of Bossa Nova」と各国のメディアに紹介されています。その時代がとうとう手の届かないところに行ってしまった感じがします。大変残念です。

ご冥福を心から祈ります。
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2010年02月27日

オルリーのサンバ

オルリーのサンバ

さあ、兄弟
この飛行機に乗るんだよ
君がこうするのはもっともだ
こうして逃げ出して行くのは
この寒さからね
でも、キスを
僕のリオデジャネイロに
どこかの風来坊が
手を付けてしまう前に

失礼を謝っておいてくれ
こんなにも長い間
こういう期間が続いていることを
でも、絶対に言わないでよね
僕が泣いているのを見たことは
あの嫌な奴らには
僕は持ち堪えていると言ってくれ
そしてどんな具合か見てきてくれ
あそこでの暢気な暮らしがどんなふうか
そしてできれば僕に送ってくれないか
良い報せを


*この歌を僕の最愛の友に捧げます。トッキーニョを見送ったシコの心境が、今はちょっとだけわかります。

ヴァイ、メウ・イルマォン。今度はリオで会おう。

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2010年02月19日

シコ・ブアルキ物語@ラティーナ(1)

「ラティーナ」にシコ・ブアルキについて書かせていただくことになりました。題して「シコ・ブアルキ物語」。数回の連載になる予定で、第1回目は明日発売の3月号に掲載されます。この3月号、なんと表紙がシコ・ブアルキです。

今回の記事は、デビュー直後のシコの瑞々しい音楽世界を記録した「RGE3部作」が、この2月にボンバ・レコードから初発売されることを記念したものです(「Vol.3」については現時点では発売は未定とのこと)。シコのオリジナル・アルバムが日本で発売されるのは本当に貴重な機会で、この時機に再評価の機運が高まることを期待します。

シコ・ブアルキが「ラティーナ」の本文に登場するのは、『パラトドス』が出た直後の1994年3月号以来とのこと。実に16年ぶりということになります。

その1994年3月号を我が家では大切に保存していて、佐藤由美さんの丁寧かつ的確なアルバム紹介をことあるごとに参考にしてきました。インターネットがなかった時代、シコに関する情報は日本では本当に少なかったので、この号は本当に重宝したものです。

その号以来の「ラティーナ」のシコの記事をまさか自分が書くことになろうとは。またとない機会なので、資料を山のように積み上げて、辞書を片手に紹介するべきエピソードなどを洗い出している毎日です。

一人でも多くの若い人にシコ・ブアルキを聴いて欲しいし、今回の記事がその道しるべの一つになればこれほど嬉しいことはありません。こういう文章を書かせていただけることの幸福を味わいながら、使命感に燃えているところです。

皆さん是非ともお読みください!!!

「ブログ・ラティーナ」
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2010年01月23日

たった一つのボサのナラ

昨日(1月21日)西荻窪 Aparecidaで堀内隆志さんと荒井めぐみさんによる『ナラ・レオン 美しきボサノヴァのミューズの真実』出版記念トークショーがありました。

今回の『ナラ・レオン 美しきボサノヴァのミューズの真実』の発行(2009年12月11日発行)は快挙と言うしかありません。監修の堀内さん、翻訳の荒井さん、版元のブルース・インターアクションズのご尽力に脱帽します。堀内さんに至っては8年越しの思いが叶ったということで、本当に良かったです。おめでとうございます。

昨夜のトークショーは、セルジオ・カブラルのこのテキストに沿って、ナラ・レオンの生涯を数多のエピソードを織り交ぜながら辿っていくものでした。時間内に予定の半分も進行しなかったようで、後半は後日またということに。ブラジルの大衆音楽の変遷のそれぞれの局面で重要な役割を演じてきたナラのことを2時間くらいで語り尽くせるはずがないので、それは良いことだと思います。

表題は、堀内さん所有のブラジルの雑誌のある記事のタイトルです。原題は、「Nara de uma bossa só」。このタイトル、すごく良いですね。僕は一発で気に入ってしまいました。これで1曲書けそうな感じがしてくるくらいです。もちろんこれはナラがボサノヴァしか歌わなかったという意味ではありません。その反対です。念のため。

それにしても堀内さんの雑誌のコレクションにはほとんど呆れてしまいました。「ボサノヴァの歴史」で紹介されていたあの記事この記事の原典の実物をご披露いただいて、引っ繰り返りそうになりました。いずれもだいたい50年前にブラジルで発行された雑誌です。どうしてそんなものを持っているんだろう??

あと、これを機会にセルジオ・カブラルのほかの著作も日本で紹介されるようになると嬉しいです。

良い夜でした。僕はこの本まだ読み掛けですが、しばらくはナラ・レオンを思いながら時間を過ごすことになりそうです。
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2010年01月11日

『ミーニャ・アルマ・カンタMinha Alma Canta』について

アントニオ・カルロス・ジョビンの『ミーニャ・アルマ・カンタMinha Alma Canta』がジョビン・ビスコイト・フィーノから再発売されています。このアルバムについては書籍でもブログでも紹介したことがなかったので、この機会に触れておこうと思います。

アルミール・シェヂアックのルミアール社から発売されていた『ソングブック』シリーズに、トム・ジョビンは積極的に参加していました。ノエル・ホーザ、ヴィニシウス・ヂ・モライス、カルロス・リラ、ドリヴァル・カイミ、エドゥ・ロボ、アリ・バホーゾ。1991〜94年に録音されたすべての『ソングブック』に参加しています。おそらくシェヂアックのこの企画の意図に大いに賛同していたのでしょう。シェヂアックにとってトムが最高の理解者だった様子が窺えます。もちろんそれ以前にトムにとってシェヂアックは最良の理解者であったわけですが。

それぞれのアルバムに1曲ないしは2曲収録されていたトム・ジョビンの演奏を1枚にまとめて発売されたのがこの『ミーニャ・アルマ・カンタMinha Alma Canta』でした。最初の発売は1997年だったと思います。それまで各アルバムにばらばらに収められていたトムの演奏が1枚で聴けるようになったので、ジョビン・マニアの間では重宝されていたアルバムでした。それが2009年になってジョビン・ビスコイト・フィーノから再発売されたというわけです。

1曲目はアリ・バホーゾの「ナ・バトゥカーダ・ダ・ヴィーダNa batucada da vida」(アリ・バホーゾの『Vol.1』に収録)。バンダ・ノヴァの演奏陣をバックにトムがピアノを弾きながら歌っています。一説にはトムのラスト・レコーディングとも言われている重要なトラックです(異説もあります)。この曲、『エリス&トム』の録音場面を収録した映像の中でトムが歌い出す場面があります。トムの長年のお気に入りだったのでしょう。

2曲目はノエル・ホーザの「トレス・アピトスTrês apitos」。バンダ・ノヴァをバックにトムがピアノを弾き語り、最後に女性コーラスが入ります。

続いてはエドゥ・ロボとシコ・ブアルキの「ショーロ・バンヂードChoro Bandido」(エドゥ・ロボの『Vol.1』に収録)。シコが歌っていて、トムもところどころ歌いながらピアノを弾いています。チェロの重奏が美しい。貴重なトラックです。

続いてのノエル・ホーザの「ジョアン・ニンゲンJoão Ninguém」は再びバンダ・ノヴァのバンドとコーラスをバックにトムがピアノを弾いて歌います。この曲の数ある演奏の中でもベストに挙げたい愛のある演奏です。

5曲目、トムとヴィニシウスの「ジャネラス・アベルタスJanelas abertas」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)は、ガル・コスタのヴォーカルで、トムはピアノを弾いています。ガルは彼女にしては抑えて歌っています。間奏のトムのピアノにヴィニシウスへの想いが溢れています。

6曲目、カルロス・リラとヴィニシウスの「カリオカのサンバSamba do Carioca」(カルロス・リラに収録)はバンダ・ノヴァの楽しい演奏。そう言えばトムはこの曲を『カンタ・ヴィニシウス』でも歌っていました。

7曲目はアリ・バホーゾの「プラ・マシュカル・メウ・コラサォンPra machucar meu coração」(アリ・バホーゾの『Vol.2』に収録)。エドゥ・ロボが歌い、トムがピアノを弾きます。トムにとっては『ゲッツ/ジルベルト』から30年目の再録音ということになります。美しい演奏です。

8曲目はトムとヴィニシウスの「想いあふれてChega de saudade」(ヴィニシウスの『Vol.1』に収録)。バンダ・ノヴァの演奏で、アレンジは『イネーヂト』などと同じだと思いますが、このトラックはここでしか聴けないヴァージョンです。

9曲目のエドゥ・ロボとシコ・ブアルキの「ヴァルサ・ブラジレイラValsa brasileira」(エドゥの『Vol.1』に収録)はレイラ・ピニェイロが歌っています。トムはピアノ。なお、ブックレットには次の10曲目にもレイラ・ピニェイロの名前が書かれているのですが、これは誤植で、レイラが歌っているのはこの曲だけです。

10曲目はドリヴァル・カイミの「奇跡Milagre」(カイミの『Vol.1』に収録)。バンダ・ノヴァのまとまった演奏です。

11曲目はトムとヴィニシウスの「あなたなしでSem você」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)。再びシコの歌で、トムはピアノです。説明不要。ここまで聴いてくると胸が一杯になってくる感じです。

12曲目、トムとヴィニシウスの「生涯かけてPor toda a minha vida」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)はパウラ・モレンバウムの歌。チェロはジャキスで、『エリス&トム』でのヴァージョンを彷彿とさせるアレンジです。この曲、オリジナルのヴィニシウスのソングブックではジャキスとパウラの名前で収録されていて、トムがピアノで加わっているのは最初は発見できなかったものです。

13曲目はガルの歌で、トム=ヴィンの「さよならを言わなきゃならないÉ preciso dizer adeus」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)。ピアノの音に独特の響きがあります。

最後はドリヴァル・カイミの「オ・ベン・ド・マルO bem do mar」(カイミの『Vol.3』に収録)。アナの歌にトムがピアノを付けながらハーモニーを歌っています。カイミも亡くなってしまった今となっては、本当にしんみりとしてしまう1曲です。このアルバムの唯一の欠点は、最後のこの曲が哀し過ぎることかもしれません。

トム・ジョビンのファンでいることのいちばんの淋しさは、新譜を聴くことができないことにあるのですが、そういう意味ではこのアルバムは普段ほとんど聴かれていない演奏を集めたものなので、未聴の方には絶好の贈り物になることと思います。編集盤ではありますが、上記のような意図で録音された演奏で構成されているので、全体の印象は非常に統一感があります。

なお、アルバムのタイトルはもちろんあの超有名曲の歌い出しの部分ですが、あの曲はトムのオリジナルですから、このアルバムには収録されていません。トムの愛唱曲を集めたという意味でこのタイトルが付けられているわけですが、聴き方によっては全体があの曲と同じく『リオ讃歌』のような仕上がりにもなっています。おそらくその意図もあるのでしょう。今さらながらアルミール・シェヂアックの丁寧な仕事に感心させられます。謹んで哀悼を捧げます。