2010年01月11日

『ミーニャ・アルマ・カンタMinha Alma Canta』について

アントニオ・カルロス・ジョビンの『ミーニャ・アルマ・カンタMinha Alma Canta』がジョビン・ビスコイト・フィーノから再発売されています。このアルバムについては書籍でもブログでも紹介したことがなかったので、この機会に触れておこうと思います。

アルミール・シェヂアックのルミアール社から発売されていた『ソングブック』シリーズに、トム・ジョビンは積極的に参加していました。ノエル・ホーザ、ヴィニシウス・ヂ・モライス、カルロス・リラ、ドリヴァル・カイミ、エドゥ・ロボ、アリ・バホーゾ。1991〜94年に録音されたすべての『ソングブック』に参加しています。おそらくシェヂアックのこの企画の意図に大いに賛同していたのでしょう。シェヂアックにとってトムが最高の理解者だった様子が窺えます。もちろんそれ以前にトムにとってシェヂアックは最良の理解者であったわけですが。

それぞれのアルバムに1曲ないしは2曲収録されていたトム・ジョビンの演奏を1枚にまとめて発売されたのがこの『ミーニャ・アルマ・カンタMinha Alma Canta』でした。最初の発売は1997年だったと思います。それまで各アルバムにばらばらに収められていたトムの演奏が1枚で聴けるようになったので、ジョビン・マニアの間では重宝されていたアルバムでした。それが2009年になってジョビン・ビスコイト・フィーノから再発売されたというわけです。

1曲目はアリ・バホーゾの「ナ・バトゥカーダ・ダ・ヴィーダNa batucada da vida」(アリ・バホーゾの『Vol.1』に収録)。バンダ・ノヴァの演奏陣をバックにトムがピアノを弾きながら歌っています。一説にはトムのラスト・レコーディングとも言われている重要なトラックです(異説もあります)。この曲、『エリス&トム』の録音場面を収録した映像の中でトムが歌い出す場面があります。トムの長年のお気に入りだったのでしょう。

2曲目はノエル・ホーザの「トレス・アピトスTrês apitos」。バンダ・ノヴァをバックにトムがピアノを弾き語り、最後に女性コーラスが入ります。

続いてはエドゥ・ロボとシコ・ブアルキの「ショーロ・バンヂードChoro Bandido」(エドゥ・ロボの『Vol.1』に収録)。シコが歌っていて、トムもところどころ歌いながらピアノを弾いています。チェロの重奏が美しい。貴重なトラックです。

続いてのノエル・ホーザの「ジョアン・ニンゲンJoão Ninguém」は再びバンダ・ノヴァのバンドとコーラスをバックにトムがピアノを弾いて歌います。この曲の数ある演奏の中でもベストに挙げたい愛のある演奏です。

5曲目、トムとヴィニシウスの「ジャネラス・アベルタスJanelas abertas」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)は、ガル・コスタのヴォーカルで、トムはピアノを弾いています。ガルは彼女にしては抑えて歌っています。間奏のトムのピアノにヴィニシウスへの想いが溢れています。

6曲目、カルロス・リラとヴィニシウスの「カリオカのサンバSamba do Carioca」(カルロス・リラに収録)はバンダ・ノヴァの楽しい演奏。そう言えばトムはこの曲を『カンタ・ヴィニシウス』でも歌っていました。

7曲目はアリ・バホーゾの「プラ・マシュカル・メウ・コラサォンPra machucar meu coração」(アリ・バホーゾの『Vol.2』に収録)。エドゥ・ロボが歌い、トムがピアノを弾きます。トムにとっては『ゲッツ/ジルベルト』から30年目の再録音ということになります。美しい演奏です。

8曲目はトムとヴィニシウスの「想いあふれてChega de saudade」(ヴィニシウスの『Vol.1』に収録)。バンダ・ノヴァの演奏で、アレンジは『イネーヂト』などと同じだと思いますが、このトラックはここでしか聴けないヴァージョンです。

9曲目のエドゥ・ロボとシコ・ブアルキの「ヴァルサ・ブラジレイラValsa brasileira」(エドゥの『Vol.1』に収録)はレイラ・ピニェイロが歌っています。トムはピアノ。なお、ブックレットには次の10曲目にもレイラ・ピニェイロの名前が書かれているのですが、これは誤植で、レイラが歌っているのはこの曲だけです。

10曲目はドリヴァル・カイミの「奇跡Milagre」(カイミの『Vol.1』に収録)。バンダ・ノヴァのまとまった演奏です。

11曲目はトムとヴィニシウスの「あなたなしでSem você」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)。再びシコの歌で、トムはピアノです。説明不要。ここまで聴いてくると胸が一杯になってくる感じです。

12曲目、トムとヴィニシウスの「生涯かけてPor toda a minha vida」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)はパウラ・モレンバウムの歌。チェロはジャキスで、『エリス&トム』でのヴァージョンを彷彿とさせるアレンジです。この曲、オリジナルのヴィニシウスのソングブックではジャキスとパウラの名前で収録されていて、トムがピアノで加わっているのは最初は発見できなかったものです。

13曲目はガルの歌で、トム=ヴィンの「さよならを言わなきゃならないÉ preciso dizer adeus」(ヴィニシウスの『Vol.3』に収録)。ピアノの音に独特の響きがあります。

最後はドリヴァル・カイミの「オ・ベン・ド・マルO bem do mar」(カイミの『Vol.3』に収録)。アナの歌にトムがピアノを付けながらハーモニーを歌っています。カイミも亡くなってしまった今となっては、本当にしんみりとしてしまう1曲です。このアルバムの唯一の欠点は、最後のこの曲が哀し過ぎることかもしれません。

トム・ジョビンのファンでいることのいちばんの淋しさは、新譜を聴くことができないことにあるのですが、そういう意味ではこのアルバムは普段ほとんど聴かれていない演奏を集めたものなので、未聴の方には絶好の贈り物になることと思います。編集盤ではありますが、上記のような意図で録音された演奏で構成されているので、全体の印象は非常に統一感があります。

なお、アルバムのタイトルはもちろんあの超有名曲の歌い出しの部分ですが、あの曲はトムのオリジナルですから、このアルバムには収録されていません。トムの愛唱曲を集めたという意味でこのタイトルが付けられているわけですが、聴き方によっては全体があの曲と同じく『リオ讃歌』のような仕上がりにもなっています。おそらくその意図もあるのでしょう。今さらながらアルミール・シェヂアックの丁寧な仕事に感心させられます。謹んで哀悼を捧げます。

2010年01月03日

今日聴いたジョビン・ソングブック(33)


*明けましておめでとうございます。ここのところすっかりさぼり癖が付いてしまったこのブログですが、今年もぼちぼち書いていきます。宜しくお願いします。

*ある先輩から、「君のブログは全然面白くないが、ジョビンのソングブックの紹介だけは世界に例のない貴重なものだから、それだけはこれからも頑張りなさい」と助言をいただきました。はい! 頑張ります!

フレッド・ハーシュ・プレイズ・ジョビン
フレッド・ハーシュ
Fred Hersch
Fred Hersch Plays Jobim
2009?
中堅ジャズピアニストのフレッド・ハーシュのソロ・ピアノ。クラシック畑の仕事もあるピアニストで、ハーモニーもアレンジもユニークで飽きない。中でも「オ・グランヂ・アモール」の解体ぶりは見事。ブラジル音楽はエヂソン・マシャードに教わったと本人がライナーに書いている。
4

ザット・ガール・フロム・イパネマ
ロヴィーサ
Lovisa
That Girl from Ipanema
2008?
スウェーデンの女性歌手によるジャズ・ボッサ集。15曲中9曲がジョビン曲。あまりにも当たり前の料理で、可も不可もない。
3

ボサノバ・イン・ザ・トワイライト アントニオ・カルロス・ジョビン作品集
フェビアン・レザ・パネ
Febian Reza Pane
Bossa Nova in the Twilight
1987
日本製作盤。アルファレコードのネオ・シック・シリーズという企画の1枚。ピアノ・トリオ+ギター+フルートをベースにした演奏。10曲中7曲がジョビン曲。アレンジはまとまっているが、聴きどころは少ない。オリジナル曲の方が好印象だったりする。
3

ボサノヴァに乾杯!
ハリー・アレン
Harry Allen
Viva! Bossa Nova
2008
このテナーサックス奏者はボサノヴァを理解していない。リズムがひどいし(アクセントが違うんだってば)、アドリブがひどい。こういう演奏がモダンジャズの世界では評価されているのだろうか? 13曲中7曲がジョビン曲。
1.5

*この話、したっけ?(©青山南さん)
ネルソン・マンデラの娘の一人は、名前をジンジというのです。以前に声明を読んだりしていたあの娘です。生まれは1960年。綴りこそ違うのですが(本名:Zindziswa、愛称:Zindzi)、すべてのことがつながっている感じがします。

2009年12月24日

12月23日に聴いたレコード

*今日は仕事をしながらいつの間にか1日クリスマスレコードを掛けていました。

5時起床。

『ジャズ・セバスチャン・バッハ・アンコール』AB面

『クリスマス/ザ・シンガーズ・アンリミテッド』AB面

『ハヴ・ユアセルフ・ア・ソウルフル・リトル・クリスマス/ケニー・バレル』AB面

珍しくアウト・トゥ・ランチ。

『ザ・マジック・オヴ・クリスマス/ナタリー・コール』

『ザ・スピリット・オヴ・クリスマス/レイ・チャールズ』

『メリー・オレ・ソウル/デューク・ピアソン』AB面

夕食は鶏を焼いたりして。

『ザ・ファースト・クリスマス・モーニング/ダン・フォーゲルバーグ』

『ザ・クリスマス・アルバム/ロバータ・フラック』

『ウィッシュズ・ユー・ア・スウィンギング・クリスマス/エラ・フィッツジェラルド』AB面

*AB面の表記のあるのがLPで、ないのがCDです。

*それでは皆さん、良いクリスマスを。

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2009年12月09日

トム・ジョビン没後15年

今日12月8日は、トム・ジョビン(アントニオ・カルロス・ジョビン)の15回目の命日です。トムが亡くなって、今日でちょうど15年になります。

あの突然の逝去のニュースから15年…。月並みですが、時の流れの速さを痛いほど感じます。

5年前の没後10年の年に(その年とその前の年に)、「あともう少ししたら世界にとってのトム・ジョビンの意味は大きく変わってしまうのではないだろうか?」とふと思い付いて、「アントニオ・カルロス・ジョビン・ブック」なるものを2冊続けて上梓しました。

それから5年。案の定、トム・ジョビンは僕たちにとってずいぶんと遠いところに行ってしまった感じがあります。

これが6〜7年前であれば、イパネマやレブロンを歩いていると、もしかしたら次の角を曲がったところのボチキンでトムがショッピを呷っているのでは?という感じがまだあったのですが、今はもう、そういう感じはさっぱりなくなってしまいました。最近ブラジルに行っていないということもあるのですが、それにしても、ここのところのトムは本当に博物館だか記念館だかに閉じ込められてしまったような感じがします。

それは僕などにはたまらなく淋しいことです。ある意味では仕方がないのだとは思いますが…。

僕としては、どういうわけだか足を踏み入れてしまったこのトム・ジョビンをめぐる冒険を、ちゃんとあるところまで持って行かなければいけないというミッションがあります。今から没後20年に向けて、自分に何ができるのかを考えながら、準備を重ねていかなくてはと思います。

*などということを、12月8日恒例の上田力さんの「Jobim My Love」のライヴを新宿で聴きながら、今夜は考えていました。上田力さんの「Jobim My Love」は今夜で48回目。トム・ジョビンの曲だけを演奏するライヴを48回も開いている音楽家は世界にほかにいません。春に体調を崩された時には本当に心配したのですが、今夜の復活を心からお祝いします。50回目の時には僕もちょっとはお手伝いができると良いのだけどなあと思っています。

*何となくですが、リオの今の音楽シーンをトムだったらどう眺めただろうということよりも、リオのサッカー・ワールドカップやオリンピックをトムならどう眺めるだろうということの方が、僕にとっての興味の対象に移ってきてしまっています。

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2009年12月01日

ヴィラ=ロボス記念 クリスティーナ・オルティス ピアノリサイタル

*大変ご無沙汰しています。この数カ月本当にいろいろなことがあって、このブログは正直、あと回しになってしまっていました。ぼちぼちと書き始めていこうかと思います。

*僕のささやかな自慢の一つはレヴィ=ストロースと誕生日が同じことでした。もちろん歳は全然違います(当たり前だ)。大学の講義で「悲しき熱帯」を読んでいなかったら、僕とブラジル音楽との関係は今とはちょっと異なっていたかもしれません。いつかインタヴューできればと思っていたのですが、叶わない夢になってしまいました。ご冥福をお祈りします。


今夜は日本大学カザルスホールに、「ヴィラ=ロボス記念 クリスティーナ・オルティス ピアノリサイタル」を聴きに行ってきました。ロンドン在住のブラジル人ピアニスト、クリスティーナ・オルティス(日本語ではクリスティーナ・オルティーズと表記されています)のソロのリサイタルです。

第一部はドビュッシーのピアノ曲から、「ベルガマスク組曲」(全4曲)、「二つのアラベスク」、「版画」(全3曲)、「喜びの島」。出足はちょっと堅い感じもありましたが、「ベルガマスク組曲」の「月の光」あたりから良く歌い始めて、オーソドックスながらも緻密で流麗な見事なドビュッシーを聴かせてくれました。特に最後の「喜びの島」は、相当な難曲だと思うのですが、非常に完成度の高い演奏でした。

休憩を挟んで第二部が、ヴィラ=ロボスの作品の演奏でした。

1曲目は「ショーロス第5番 ブラジルの魂」。ブラジリダーヂいっぱいの美しいメロディが、右手と左手がちょっとずれた感じの独特のリズムに載って流れていきます。前半のドビュッシーの演奏に比べると意外なほど情感が込められた演奏で、このピアニストの印象ががらりと変わってしまいました。中盤はドラマティックに盛り上がって、終盤はやはり哀感たっぷりの演奏。素晴らしかったのですが、曲が終わっても拍手が起こらなかったのは、次の「赤ちゃんの家族」の一部と勘違いされていたからかもしれません。

2曲目がこの夜のリサイタルの核に当たる「赤ちゃんの家族」(全8曲)。タイトルとは裏腹に、牧歌的な感じはほとんどなく、不協和音を多用した不穏な曲想が、美しいメロディを随所に織り挟みながら繰り広げられていきます。

そして1曲、2曲と進むうちに、前半で演奏されたドビュッシーとの共通が明らかになっていきます。この日の演奏曲目がどのようにして決定されたのかは定かではありませんが、ドビュッシーからヴィラ=ロボスへと連綿と受け継がれている音楽性を浮き彫りにする選曲だったと思います。楽曲として面白かったのは最後の第8曲の「道化人形」で「ラ・マルセイエーズ」を盛り込んでいるところでした。

次はフランスふうのメロディが美しい「苦悩のワルツ」。これまた実に感情的かつ感傷的な演奏でした。でもこれが良かった。ヴィラ=ロボスの、そしてクリスティーナ・オルティスの真骨頂だったと思います。

ラストは「奥地の祭り」。ピアノという楽器を充分に鳴らした力強い曲。ヴィラ=ロボスの曲はともするとあざとい感じがするくらいに「盛り上げ方」が教科書的なのですが、隅々まで実に丁寧に演奏するこのピアニストには本当に好感が持てました。最後の最後も本当に堪能しました。

クリスティーナ本人にとっても快心の演奏だったようで、曲が終わった時の姿勢や表情にそのことが良く表われていました。アンコールは実に4回。このように感動的なコンサートに立ち会えたことを嬉しく思うと同時に、関係各位にお礼をお伝えしたいです。ありがとうございました。

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2009年10月09日

BR6の「ボッサ・ア・カペラ」ライヴ@牛込

アカペラ・グループのBR6の初来日公演に行ってきました(10月8日/牛込箪笥区民ホール)。

予想していたよりもずっと充実したステージで驚きました。3枚目のアルバム『ボッサ・ア・カペラ』がトゥピニキーンから出たばかりで、そのアルバムからの曲が3分の1を占めていましたが、このグループ、録音を聴くよりも7倍くらいライヴの方が良いです。人柄もあるのだと思いますが、5曲目のシコの「Deixe a Menina」あたりから客席のハートを鷲掴みにしていました。

ヴォイス・パーカッションのナイフィ・シモンエスとバスのシモーの堅実なサポートをバックに、紅一点のクリスマリー・ハッケンベルギ、テノールのデコ・フィオーリ、バリトンのアンドレ・プロタジオ、テノールのマルセロ・カルヂの4人がリード・ヴォーカルとバック・ヴォーカルを自在に入れ替わる構成は、とても良く練り上げられていました。とにかくうまい。それで楽しい。自然と頬の筋肉がほころんできます。

そして独特のハーモニーとアレンジ。そのハーモニーは僕が知っているブラジルのどのコーラス・グループとも異なっていました。僕は同じく紅一点グループのシンガーズ・アンリミテッドを思い出しながら聴いていて、クリスマリー・ハッケンベルギがバック・コーラスに回ったところで本当にボニー・ハーマンに聴こえたところもあったので、ステージのあとで彼女にそう言ってみました。すると、「シンガーズ・アンリミテッドは私もとても好きで、憧れの存在だし、ずいぶん研究したのだけれど、彼らは4人×3回=12声で多重録音しているから、ライヴでは再現できない音楽」と言っていました。そして、「私たちはハーモニーもアレンジもずっとオリジナルを追及しているのよ」とのことでした。もちろんそうですよね。それだからこの夜も会場をあれだけ一体にしたのだと思います。

そういう話をしていると隣からデコ・フィオーリが乗り出してきて、「僕たちがいちばん影響を受けたのはTake6だ」と言い出しました。しかしTake6のような平凡なコーラス・グループよりはBR6の方がずっとユニークで輝いていると思います。

などなど。ステージのあと、BR6の6人もオーディエンスもスタッフも全員が笑顔でいたのが印象に残りました。良い夜でした。

セットリスト
Papagaio do Futuro
Tanta Saudade
Waters of March
The Girl from Ipanema
Deixe a Menina
Eu Quero um Samba
Retrato da Vida
Preciso Aprender a Ser Só
Bala com Bala
Water to Drink
Fascinating Rhythm
Acappellokê(「オネスティ」)
O Morro Não Tem Vez
Upa Neguinho
Linha de Passe
Mas Que Nada
Ando Jururu
I Heard It Through the Grapevine(アンコール)

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2009年10月04日

祝! リオデジャネイロ・オリンピック

東京は残念でした。マドリードも惜しかった。しかしリオで良かったです。このことがリオにとって良い方向に向かうことを祈らずにはいられません。

開会式で歌うのはミルトンかカエターノか。ちなみに2014年サッカー・ワールドカップの開会式はシコしかいないでしょう。ポリチアマを率いてね。


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2009年09月14日

エグベルト・ジスモンチ

エグベルト・ジスモンチのコンサートに行ってきました。

うーむ。僕はやはりジスモンチとは相性が良くない。その昔ECMのLPを何枚か買って聴いた時とまったく同じ印象を受けました。

僕は彼が何をやりたいのかが良くわからない。

残念です。






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2009年09月08日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(15)

僕はブラジルにおけるクラシック音楽の作曲家については、ヴィラ=ロボス以外はほとんど知識がなくて、あとはナザレーを数枚持っているくらいです。そういう立場であることを前提として言うと、ヴィラ=ロボスはアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)を初めとするブラジルのポピュラー音楽の作曲家に、非常に大きな影響を与えていると思います。

極端な言い方をすると、ヴィラ=ロボスを受け継いだのはむしろポピュラー音楽の音楽家たちだったのではないかと言いたいくらいです。作曲、編曲、対旋律、抑揚、句読点、フーガへの執着、チェロへの愛着、などなど。今日僕たちがブラジルのポピュラー音楽を聴いていて「ブラジル風」だと感じる旋律や和声、構成や展開は、その多くがヴィラ=ロボスに起源があったことが、今回のコンサートで確認できました。ヴィラ=ロボスの存在がなかったら、ブラジルのポピュラー音楽はどのような形になっていたのか、想像がつかないくらいです。

ヴィラ=ロボスの功績はそのようなところにもあると思います。その影響がクラシック音楽の世界だけに留まっていないところです。ヴィラ=ロボスを聴いたことのない人たちの間にも生き続けているところです。ポピュラー音楽が発展を遂げた20世紀の中盤から後半に掛けて、ヴィラ=ロボスはそのような形で「生き残った」のだと思います。

そのポピュラー音楽の世界の中で一番弟子的存在がトム・ジョビンです。ホベルト・ミンチュックも話してくれたのですが、トム・ジョビンはこれまで僕が思っていた以上にヴィラ=ロボスを微に入り細に亘り研究していたようです。そのことは今回の演奏でも充分に実感できました。ヴィラ=ロボスの存在がなかったら、少なくともトム・ジョビンの音楽は今日耳にできるものとはかなり異質のものになっていたに違いありません。

ただ、僕はこれまでヴィラ=ロボスの音楽にトム・ジョビンを通じて触れているようなところがあったので、これからはヴィラ=ロボスを正面からしっかりと聴いていきたいという思いを強くしています。これから好んで聴いていく音楽がちょっと変化していきそうな予感もしています。

トム・ジョビンがヴィラ=ロボスについて語っていることは、拙著「三月の水」の中で短い章を設けて書いていますので、ここでは多くは書きません。晩年のヴィラ=ロボスがブラジルにおいて狂人のように言われていた悲劇についても、トム・ジョビンは嘆きと憤りを込めて語っています。そのトム・ジョビンがヴィラ=ロボスに宛てて書いた「返事」の文章の結びの部分を、最後に引用しておきます。

親愛なるマエストロ、今日のブラジルではもうフランス風ビリヤードのような賭けごとはやりません。人々はもう帽子をかぶりません。夜が落ち、猿がパラミツの木に来て、僕はあなたを思い出しています。

*とりあえずこの話題は一度終わりにします。その後思い付いたことなどがあればまた付記します。
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2009年09月07日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(14)

書きたいことはすでにほとんど書いているので、まとめということもないのですが、最後に少しだけ付け足しておきます。

今思い出しても素晴らしいコンサートでした。2週間が経過した今でも、オーケストラの音が耳の奥に残っています。こういうことは本当に久し振りで、もしかするとジョアン・ジルベルトのライヴ以来かもしれません。僕の人生の中でも五本の指に入るくらいの素晴らしい音楽体験でした。

演奏も素晴らしかったのですが、「全曲通して演奏する」という企画そのものが秀逸でした。そういう意味では発想の勝利と言えるかもしれません。基本的なアイディアがチャレンジだったから、演奏の内容はもちろんのこと、すべてが型通りではなく、とても丁寧な仕事になったように思います。プログラムの解説やステージの設営まで、構成要素の一つ一つに音楽に対する愛情が感じられました。少なくとも僕はそう感じました。

個人的にはもちろんエイトール・ヴィラ=ロボスの素晴らしさを再認識できたことが最大の収穫です。なんという美しい音楽を書くのだろうと、改めて唸ってしまいました。録音を聴いているだけでは聴こえなかった音がはっきりと聴こえました。そしてヴィラ=ロボスはブラジルそのものなのだという思いを強くしました。

そういう意味では今回の企画の根幹はホベルト・ミンチュックを招聘したことだったと思います。繰り返しますが、「ブラジル風バッハ」を演奏するのに彼以上の適任者は世界中にいません。この曲ばかりは、ブラジル人が、あるいは少なくともブラジルの本質をきちんと理解している指揮者が振るべきだということを、演奏中に何度も感じました。

「ブラジルの本質」などということはとても一言では言えませんが、あえて言えば、愛とサウダーヂであり、自然と人間であり、体制や権力に対する反骨であり、諧謔であり、自虐であり、多様性であり、嘆きと哀しみであり、笑いであり、率直と屈折であり、それらすべての織り成すハーモニーであると僕は思います。ヴィラ=ロボスはそれらのすべてをその音楽で表現しています。

ただしこのようなことは言葉を重ねれば重ねるほどその「本質」から遠ざかっていくような感じもして歯痒いです。もっとシンプルに、「素晴らしい音楽を聴くことができて嬉しい」ということを記憶に留めておきたいです。

*続きます。
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2009年09月06日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(13)

そしていよいよ最後の1曲。第7番(オーケストラのための)が始まります。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。オーケストラはフルサイズに戻りました。

第1楽章はプレリュード(ポンテイオ)。第5番の第1楽章を発展させたようなテーマ。どことなく「シェガ・ヂ・サウダーヂ」のイントロも聴こえてきそうな曲です。「執拗な反復」「厳格な構成」「抒情性」「民族性」と、ヴィラ=ロボスの個性が詰め込まれている佳曲。それにしても良くまとまった演奏でした。最後のファゴットのたっぷりの余韻が印象的でした。

第2楽章はジーガ(クァドリーリャ・カイピラ)。第7番は普段から聴いているのですが、この楽章はあまり印象がありませんでした。明るく華やいだ舞曲。クァドリーリャはフランスの舞曲カドリーユのこと。これもとてもまとまった演奏でした。

第3楽章はトッカータ(デサフィオ)。シロフォンとココが活躍する、リズムに妙味のある曲。デサフィオというのは「チャレンジ」という意味で、「即興の歌唱の決闘という民族的伝統」のことだと、これもミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に言及があります。この曲もいつもは聴き流してしまうのですが、この日は一糸乱れぬ演奏で聴かせました。

第4楽章はフーガ(コンヴェルサ(対話))。最後の最後はまたフーガです。チェロの中低音に始まって、ヴァイオリンの中音、続いて高音と、各パートが歌い繋いでいきます。あまりにも美しい旋律。最後の最後はサウダーヂいっぱいに、引っ張って引っ張ってようやく終わりになりました。盛大な拍手が沸き起こり、鳴りやみません。ミンチュックも二度、三度とステージに戻って、自分が応えると言うよりは、むしろオーケストラを労っていました。

*続きます。
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2009年09月05日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(12)

第2番が終わると、司会の加藤さんと通訳のブラジル大使館の男性が再登場。ホベルト・ミンチュックも登場して、再度インタヴューが始まりました。以下もメモは怪しいのですが、だいたいこういう感じでした。

Q:世界各国のヴィラ=ロボスの反響は?

A:私はヴィラ=ロボスを世界各国で紹介しているが、すべての国で大変美しいという好評を得ている。カナダではヴィラ=ロボスとバッハの作品のコンサートを開いた。最後に第7番を演奏したが、カナダでは珍しいことに、演奏が終わるとスタンディングオヴェイションが起こった。コンサートのあとには楽団の団員から「これほど美しい曲は初めて知った」という大変嬉しい感想をもらった。

Q:また来日してヴィラ=ロボスの音楽を日本に紹介して欲しい。

A:ブラジルでもどの国でも、団員のノリやスウィングという点で、ここまで勘の良い楽団を指揮したのは初めてだ。私としても嬉しい経験だった。ヴィラ=ロボスの作品は膨大で、全部で1,000曲以上と言われているが、ブラジルでもまだ知られていない曲がたくさんある。この10月にはリオで「マグダレイナ」というミュージカルを初演する。質の高い作品がたくさんあるので、またぜひ日本で紹介したい。

*続きます。
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2009年09月04日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(11)

15分間の休憩を挟んで、やや小編成になったオーケストラが登場しました。この日の演奏もあと2曲。有名な第2番(オーケストラのための)が始まります。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

第1楽章はプレリュード(オ・カント・ド・カパドシオ(ならず者の歌))。カパドシオというのは「カッパドキアの」すなわち「小アジアの」という意味なので、もともとトルコ人を指した言葉だと思いますが、軽蔑の意味が転じたらしく、「街のけちなごろつき」「その日暮らしのたかり屋」のことだとミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に解説があります。曲が始まって間もない箇所のサックスとトロンボーンの物憂いメロディが全体の印象を決定しています。そしてこの曲も反復また反復。この演奏では東京フィルの「間」の絶妙が印象に残りました。

第2楽章はアリア(オ・カント・ダ・ノッサ・テーハ(我らが故郷の歌))。後半のヴァイオリンの思い入れたっぷりのテーマが最高でした。

第3楽章はダンサ(レンブランサ・ド・セルタォン(奥地の歌))。ミンチュックが素晴らしいのは一つの曲の中の強弱や緩急がこれでもかというくらいに明確なところです。この第3楽章はその典型で、「ここでこんなに伸ばすのか?」「ここでこんなに力むのか?」というところが何箇所もありました。時には「過剰」の一歩手前に踏み留まっているくらいなのですが、それはミンチュックの「自分はヴィラ=ロボスを理解している」という自信の表われでもあると思います。反応する東京フィルの「ため」も見事でした。

第4楽章はトッカータ(オ・トレンヂーニョ・ド・カイピラ(田舎の小さな汽車))。最初のところで面白かったのは、まだ第3楽章が終わっていない時点でパーカッショニストたちが立ち上がり、第3楽章の最後の余韻があるうちにミンチュックの合図に合わせて、ほとんど切れ目なく第4楽章に突入したことでした。全曲演奏のCDでもこの2つの楽章は立て続けに収録されています。ミンチュックがこの2つの楽章はシームレスで演奏されるべきだと解釈していることが窺えます。

その点はともかくとして、この第4楽章、ミンチュックがこの曲を隅々まで熟知していることが伝わってくる素晴らしい演奏でした。オペラシティの観客は一瞬にしてブラジルの田舎の汽車の乗客になってしまいました。日本のオーケストラでここまでヴィラ=ロボスが、ひいてはブラジルが表現できるとは。とても感動的な、この日のコンサートを象徴する演奏だったことを記録しておきたいと思います。

*続きます。
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2009年09月03日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(10)

続いてこの日の7曲目。第8番(オーケストラのための)。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

第1楽章はプレリュード。どこかで聴いたようなメロディが随所に現われては消えます。トム・ジョビンに限らず、ポピュラー・ミュージックの作曲家はヴィラ=ロボスからずいぶん多くを引用していると思います。「シバの女王」?という箇所もありました。

第2楽章はアリア(モヂーニャ)。これも同じく美しいメロディの宝庫。弦を初めとしてオーケストラ全体がとても良く歌っている演奏でした。曲が終わると汗を拭くミンチュック。

第3楽章はトッカータ(カチーラ・バチーダ)。カチーラというのはカテレテとも言ってインディオ起源のブラジル南部の舞曲のこと。これは一転して元気のはじける演奏でした。パーカッションを多用したカラフルな曲の中で、中盤にファゴットが奏でる抒情的なメロディが印象的。そこからの展開がドラマティックです。

第4楽章はフーガ。のっけから渾身のメロディ。これも歌心のある演奏で、ヴィラ=ロボスの特徴の一つ、あるいは最大の特徴であるとめどない抒情性を堪能しました。ちなみにナット・キング・コールで有名なイーデン・アーベスの「ネイチャー・ボーイ」――晩年のヴィニシウスも愛した曲――はこの曲の露骨な引用だと思います。

*続きます。
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2009年09月02日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(9)

第5番のあとに30分間の休憩があって、「ロビーコンサート」と題するギターの演奏がロビーで行なわれたのですが、あっと言う間に人だかりができてしまいました。PAがセットされていなかったので、至近距離の人にしか音が届かず、残念でした。この間にステージではオーケストラのセッティングが着々と進行していました。

そして後半は第3番(ピアノとオーケストラのための)から始まりました。ピアノ:白石光隆。指揮:ホベルト・ミンチュック。オーケストラ:東京フィルハーモニー交響楽団。

この第3番、僕はこれまで「ブラジル風バッハ」の中でいちばん興味がなかった曲でした。ショパンか誰かのピアノ協奏曲みたいで、ヴィラ=ロボスらしさが希薄で、面白くない曲だと思っていました。

第1楽章はプレリュード(ポンテイオ)。曲が始まってすぐに、音の深みに圧倒されました。さすがにミンチュックは東京フィルを良くまとめて、この曲からヴィラ=ロボスの味わいを引き出していることに感心しました。ポンテイオというのはギターの爪弾きのことで、「激しい導入のあとのメインテーマでピアノが入るところでチェロが演奏している」のがポンテイオだと、ミンチュックの全曲演奏盤の小冊子に解説があります。

第2楽章はファンタジア(デヴァネイオ)。デヴァネイオというのは夢想のこと。これもこれほど良い曲だったかなあと思う演奏。中盤の「動」から「静」に転じるところなど、じーんと来たところがありました。

第3楽章はアリア(モヂーニャ)。これまた、美しい導入部から、ドラマティックに盛り上がる中盤、静けさを取り戻す後半と、魅せられました。エンディングも見事で、終わるとミンチュックとピアノが笑みを交わしていましたから、彼らとしても快心の演奏だったのだと思います。

第4楽章はトッカータ(ピカパウ)。ピカパウとはキツツキのことで、この副題は「ショーロNo.3」と同じです。テーマにも「ショーロNo.3」のメロディが用いられています。いくつもの小さな流れがやがて大河になっていくようなイメージの演奏でした。

僕がこの日のコンサートは本当に素晴らしいと感じたのはこの第3番からでした。ホベルト・ミンチュックがこの東京フィルをまるでヴィラ=ロボスを毎日演奏しているオーケストラみたいに仕上げたことに感激しました。普段あまり興味を持って聴いていなかった曲だけになおさら感嘆しました。

第3番が終わると、ピアノの白石さんに司会の加藤さんがインタヴュー。白石さんは、「20世紀の現代音楽はお国柄が薄れていって、どこの国の音楽かわからない音楽もあるが、その人が生きた環境は嘘を付けない。ヴィラ=ロボスは自分が生きた環境にバッハというヒントを得て素晴らしい作品を生み出したと思う」という意味のことを語っていました。とても共感しました。

*続きます。
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2009年08月30日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(8)

そしていよいよおなじみの第5番(ソプラノと8本のチェロのための)です。ソプラノ:中島彰子。チェロは第1番と同様、東京フィルハーモニー交響楽団の8人。指揮はなし。第1楽章はアリア(カンティレーナ)。第2楽章はダンサ(マルテーロ)。

この日のコンサートの中で一つだけ注文を付けるとすれば、この第5番、ソプラノにもっと丁寧に歌って欲しかった。そう思います。

おそらくとても実力がある歌手なのだろうと思います。声はとても美しかったです。抜群の声量にも驚きました。しかしこの曲は、もうちょっときめの細かな表現ができなかっただろうか、彼女ならきっとできたのではないだろうか、そう思いました。この曲はブラジルの魂almaそのものなのです。曲のあとに司会の加藤さんの質問に答えて、ポルトガル語をずいぶん練習したと話していましたが、ポルトガル語などはローマ字読みで構わないので、この曲の「魂」を理解することに時間を費やして欲しかった。チェロのアンサンブルが素晴らしかっただけに、彼女の歌には残念が残りました。

もっとも、彼女が歌い終わると同時にあちこちから「bravo!」の声が飛んで、この日最大の喝采を浴びていましたから、僕の聴き方の方が偏向しているのだと思います。どうしても僕は、ブラジルの立場から、ヴィラ=ロボスの立場から、ものごとを捉えてしまいます。

あと、これは個人の趣味の問題ですが、アリアの最後の一音はピアニシモの方がずっと効果的です。ヴィラ=ロボスの自演盤で歌っているロス・アンヘレスを、一人でも多くの人に聴いて欲しい。あらゆる表現活動の手本がそこにあります。かくありたいものだと僕も思います。

*続きます。
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2009年08月29日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(7)

15分間の休憩を挟んで、東京フィルハーモニー交響楽団のチェリストが8人登場しました。女性が3人、男性が5人。指揮はなし。そしてこの日の4曲目、第1番(8本のチェロのための)が始まりました。

第1楽章はイントロドゥサォン(エンボラーダ)。唐突にユニークなリズムで始まります。チェロの繊細さと力強さが交錯します。チェロ8本のアンサンブルのダイナミズム。ヴィラ=ロボスの特徴の一つである厳格な構成が印象的な曲です。エンボラーダというのは北東部の一つの歌唱スタイル。演奏が進むうちにどんどん息が合っていったように感じました。

第2楽章はプレリュード(モヂーニャ)。短めの導入に続いて第一テーマが現われるところの美しさは鳥肌ものです。やがていくつもの旋律が現われては消えていきます。波が打ち寄せては引いていくように。そして一通りの展開のあとにまた第一テーマが現われて、導入と同様のエンディング。これまた「厳格なまでの構成美」が特徴的な曲です。隅々に詩情が満ちていて、ヴィラ=ロボスのある一面が凝縮しているような佳曲です。モヂーニャというのはモーダとルンドゥから生まれた抒情的な歌唱スタイルのこと。演奏は心がぴたりと合っていて、素晴らしかったです。

第3楽章はフーガ(コンヴェルサ(対話))。フーガをベースにしたコール&レスポンス。これもすごく良い演奏でした。

曲が終わると司会の加藤さんが現われて、ヴィラ=ロボスが最初に手にした楽器はチェロだったとか、この曲のスコアには「チェロのオーケストラのために」と書かれているとか、解説を加えました。

*続きます。
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2009年08月28日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(6)

続いて第4番(ピアノのための)。ピアノ:白石光隆。前述のように僕はこの曲もオーケストラの演奏しか聴いたことがありませんでした。そして「ブラジル風バッハ」の中でもとりわけメロディが美しいこの曲をとても好んで聴いてきたので、愛着のあるオーケストラ版で聴けないことを残念に思っていました。

第1楽章はプレリュード(イントロドゥサォン(導入))。少しの間ののちに最初の音が聴こえてきた瞬間、この曲がもともとピアノ曲だったことが理解できた気がしました。なるほどこれはピアノのために書かれた曲だったのだということがわかった気がしました。これまたひたすら主題が繰り返される「執拗な反復」の曲。最後まで緊張感のある好演でした。

第2楽章はコラール(カント・ド・セルタォン(奥地の歌))。第1楽章の余韻が終わるか終わらないかのうちに始まりました。この楽章にも、なるほどオーケストラのあの演奏はもともとピアノがこう弾いていたのかと目から鱗が落ちました。そしてこの曲あたりでだんだん胸がじーんとしてきたことを覚えています。とても特徴的な、延々と繰り返される右手のあの反復(トム・ジョビンが「マチータ・ペレー」で引用しています)は鳥の声でしょうか?

第3楽章はアリア(カンチーガ(民謡))。メロディはヴィラ=ロボスの創作ではなく、もともとはブラジルの民謡です。僕はずっとネイ・マットグロッソがヴィラ=ロボスとトム・ジョビンの曲を歌った『オ・カイール・ダ・タルヂO cair da tarde』でこの曲を聴いてきましたが、その録音では曲名は「カイコーCaicó」となっていました。リオ・グランヂ・ド・ノルチ州の都市の名前なので、おそらくその地方の民謡なのだと思います。旋律はとても美しい。極めてブラジルらしくもあり、まるで日本のわらべ唄のようでもあります。

第4楽章はダンサ(ミウヂーニョ)。一転して明るく躍動的な曲。ミウヂーニョというのは素早く小刻みなステップを踏む古い舞踏のスタイルです。曲は短く、すぐに終わってしまう感じがします。

白石光隆さんのピアノはリズムとテンポが安定していて、均整が取れていて、抑制しながらも自分の歌を歌っていたと思います。ヴィラ=ロボスの楽曲は非常に歌謡性が強いので、「自分の歌を歌っているかどうか?」はとても大切なものさしになります。

結果的に第4番、ピアノで聴くのもまったく悪くない。そういう感想を持ちました。

*続きます。
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2009年08月27日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(5)

第9番が終わると司会の加藤さんと通訳のブラジル大使館の男性が出て来ました。ホベルト・ミンチュックを呼んでインタヴューが始まりました。ここもろくにメモが取れなかったので、だいたいこういう感じだったということでご容赦ください。

Q:日本の印象は?

A:サンパウロで生まれたので日本には親しみを持っていた。日本人は文化を尊重する人たちだ。

Q:ブラジルにおいてヴィラ=ロボスの存在は?

A:ヴィラ=ロボスはブラジルという国そのもの、ブラジルの自然、豊かさ、美しさを表現している。ブラジル人の魂almaを表現している。ブラジル人は困難に直面しても音楽を通して陽気に乗り越えようとする。ヴィラ=ロボスはブラジルの広さ、美しさを表現している。ブラジルの喜び、陽気さを表現している。優しさに満ちた、心の開かれた、想像力の高い音楽だ。

Q:「ブラジル風バッハ」の全曲を一度に演奏するのは?

A:ソロで演奏する場合などを除けば、1日で全曲を演奏するのは歴史上初めてだと思う。

Q:第9番の合唱版と弦楽版の違いは?

A:曲としては同じだが、ヴィラ=ロボスが最初に作曲したのは合唱版、正確には声のオーケストラorquestra de vozだった。当時としては非常に独創的な考え方だった。声を楽器として扱ったのはヴィラ=ロボスが初めてだった。のちにスウィングル・シンガーズが有名になったが、そのずっと前にヴィラ=ロボスはこういう作品を書いていた。リリカルであると同時に声を楽器として使っている。弦楽版も美しいが、人の声に優る美しいものはない。

*続きます。
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2009年08月26日

ブラジル風バッハ全曲演奏会リポート(4)

2曲目は第9番(無伴奏合唱のための)。合唱:新国立劇場合唱団。指揮:ホベルト・ミンチュック。前述のように僕はこの曲は弦楽合奏曲としてしか聴いたことがなく、合唱版を聴くのは初めてでした。

プログラムではこの曲は「プレリュードとフーガから成っているが、2つの部分が楽章として分けられはせず、全曲一続きに流れてゆく」と解説されています。僕もずっとそう思っていたのですが、今回購入したホベルト・ミンチュックの全曲演奏のCDには、第1楽章がプレリュード、第2楽章がフーガと記載されています。ホベルト・ミンチュックはこの曲を2つの楽章で成り立っている曲として解釈しているようです。CDでもこの日の演奏でも、2つの楽章の間には切れ目はほとんどありませんでしたが。

舞台下手から男性12人、女性12人の合唱団が登場。そしてホベルト・ミンチュックが登場します。ハーモニカで簡単に合わせて合唱が静かに始まります。

最初に驚いたのは、歌い出しのところの印象が、トム・ジョビンの『ブラジリア……暁のシンフォニー』の第5楽章「合唱」の最初の部分の印象に瓜二つだということ。トムはこの曲の合唱版に霊感を受けてあの曲を書いたのではないかと思います。

それはともかくとして、この第9番、合唱曲になるとやはり雰囲気が全然違います。まるで別の曲のようです。プレリュードの部分はすぐに終わって、フーガの部分が始まります。ヴィラ=ロボス特有のあの執拗な反復が繰り返されていきます。リズムもユニークです。

新国立劇場合唱団の合唱は、ドラマティックで、躍動感があって、素晴らしかったです。合唱団の実力もあると思いますし、それを引き出したホベルト・ミンチュックの功績も大きいと思います。

ところで、ヴィラ=ロボスはこの曲を無伴奏合唱曲として書いたあとに、合唱曲としては演奏するのが難しいから、弦楽合奏曲として演奏してもよろしいと許可したということになっていますが、本当でしょうか? 今回の演奏を聴いて、僕はちょっと疑問を感じました。もちろん難しい曲なのだと思いますが、だからと言ってそういう変更を簡単に認めるものでしょうか? この曲が弦楽合奏曲として演奏されるようになったのは、何かほかの理由があったからではないのだろうかと感じました。

*続きます。
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